第2話 虚無な夜
ふと気づいたら涼と最後に会った駅のホームに立っている。
聞きなれた涼の声に顔をそちらに向け手を伸ばすが、涼に届くもう少しのところで電車の扉が閉まる。
「待て、待ってくれ! 頼む連れてかないでくれ!」
その場に立ち尽くし、行ってしまった電車を眺める。
またこの夢か…そう思った瞬間、目覚め自分が自分の部屋にいることを確認する。
前回と違うのは自分から嗅ぎなれない線香と焼香の匂いが漂っていることだった。
携帯を確認すると早朝4時、何度も見る悪夢とも言える夢を見続けているせいか疲れが取れた実感は全くない。
ベッドから立ち上がり、シワになった喪服を脱ぎ床に放り投げフラフラと冷蔵庫から発泡酒を取り出す。涼が死んだ現実がずっと頭から離れず、止められなかった後悔が寝ても覚めても大地を蝕む。何かに熱中して振り払おうにも仕事は休みになり、趣味という趣味もない大地はただただ酒に逃げるしかなかった。
目的もなくつけたテレビをぼうっと見つめ、気がつくと昼の情報番組が流れている。
普段は芸能人のゴシップや、うまいラーメン屋など可もなく不可もない情報を垂れ流していたはずなのに、今日に限って社会問題になっているのか若者と鬱をテーマにいろいろな芸能人が討論している。
若者代表みたいな最近はやりのインフルエンサーが今の国の制度では将来が不安。仕事もなく、金もない若者で溢れており将来に絶望して死を選ぶことは一つの選択肢としてしょうがないんじゃないかと悲しげな表情を貼り付けていうのに対し、中年の芸人がその極端な選択を認めたらいたずらに悲しい事例を増やすだけだ、しんどいなら誰かに助けを求めなきゃいけない。死を軽く考えすぎている反論する。どんどんと白熱する生番組をぼうっと見ながらもう何本目かわからない缶を開ける。
大地の目からはひとりでに涙が溢れ最後に会った時の涼が頭を何度もよぎる。
『なあ大地、毎日毎日今日が早く終われって思いながら生きる人生に意味ってあると思うか?』
今でもあの寂しそうな、諦めたような、それでいてなぜかどこか満足したような顔の涼が鮮明に目に浮かぶ。缶を握る手に自然に力が入りベコっと音を立てた。3分の1ほど残っていた酒を一気に飲み干す。
「意味ってなんだよ、俺はお前に生きていて欲しかったよ。俺が望むだけじゃダメなのかよ。勝手に答えなんて出すんじゃねえよ」
どんどんか細く、そして絞り出すように呟いた言葉は大地しかいない部屋の中でテレビの音にかき消される。
しばしそのまま人形のように固まっていた大地だったが、飲み終わった缶を机の上に放置し、そのままベッドに戻る。
数日似たような生活をしていたある日、久しぶりに大地の部屋のインターホンが鳴る。いつものように酒を飲んでいた大地は無視を決め込もうとするが、来客はそれを許さず何度もインターホンを押してくる。しまいには大きな声で
「おい! 山崎! いるんだろ! いいからさっさと開けろ!」
荒々しいノックとともに三井の怒号が飛んできた。
慌てて玄関を開け、久々に外の日を浴びた大地はあまりの眩しさに思わず目を背けるが、三井の両手で再度向き直される。
「よし、生きてるな! お前ちゃんと食ってないだろ、ガリガリじゃねえか」
その三井の言葉にそういえば最近酒しか口にしていなかったなとぼんやり思い出す。
久々にちゃんと見た自分の手はこんな数日でここまで人間って痩せられるのかってくらい細く、カサカサに乾燥していた。
「親方がお前に連絡繋がらねえっていうから見にきたんだけど、見にきて正解だったわ」
お前携帯どうした?という山崎からの問いかけに、そういえば充電すらしてなかった携帯を思い出し素直に謝罪する。
「すんません、充電忘れてました」
ったくしょうがねえなあと大地の頭を乱暴に撫でる。
「山崎、とりあえず服着てこい。そんで着替え何着かと携帯をカバンに詰めてもってこい、あと充電器も忘れずにな」
大地はそう言われて自分がパンイチで玄関にいることに気づき慌てて部屋の中に戻る。三井は大地が部屋に戻っていったことを確認して、親方に大地の無事報告の電話をかけ、それを終えるともう一件電話をかけ始める。
大地は遠くに三井の変わらないハキハキとした声を聞きながら、指示された通りに荷物をそこら辺にあったカバンに詰める。
「三井さん、詰めましたけどこれって」
大地が言い切る前に三井は大地のカバンを奪うとついてこいと一言言って歩いていってしまう。慌てて追いかけると、三井の車が止めてあり乗れと促される。
でも大地はあの日にも乗った三井の車に抵抗感を感じ、体が固まってしまう。
それを見た三井は困ったように頭を掻き、すまん気がきかんかったわと大地のそばまで来て大地の背中をさする。
三井の手がとても暖かく、最近全然眠れていなかったこともありそのぬくもりに安心して意識を手放しかける。
近くで三井の驚く声としっかりとした腕に体が支えられる感覚に、限界をとうに迎えていた体は強制的に意識を手放させた。しばらく大地の様子を観察していたが、大地がただ寝ているだけであろうと判断した三井は今のうちだとばかりに大地を乗せ、車を走らせた。
「少しの間だけ我慢してくれな」
三井の運転する何の音楽もかかってない車の後部座席には、以前と打って変わって筋肉は衰え、目の下にくっきりとしたクマを作った大地がとても静かに眠っている。
呼吸音すら弱々しく、胸が上下に動いていることを信号で止まっては後ろを振り向き目視で確認して安心するを繰り返していた三井は、目的地に着く頃にはいつも以上の疲労を感じていた。
「悪い、山崎一回起きろ」
体を揺すられ、重い瞼を無理やり開けると心配そうに顔を覗き込む三井と興味深げに覗き込む小学低学年くらいの女の子1人とその子よりさらに幼い双子であるだろう顔がそっくりな男の子が2人がいた。
「え…」
明らか自宅でも病院ではない場所にいる環境変化に理解が追いつかずフリーズしてしまう大地を他所に、三井は別場所にいるのだろう人物に大地が起きたことを伝えるとそのままどこかに立ち去ってしまう。
3人の子供たちは相変わらず興味津々に大地を見つめてくるのでたまらず笑顔を作り懸命に状況理解をしようと試みるが、双子の1人に変な顔と一蹴されてしまう。
一言言い返そうと口を開きかけた時
「山崎くん、体調はどう? 起きられそう?」
優しい女の人の声がして、そちらに視線をやると心配げな顔をした女性がいた。その隣には少しふてくされたような顔の三井。子供たちはその女性が現れるやいなやその女性に駆け寄る。その様子をじっと見つめていた大地は、おそらくその子供たちの母親なんだろうと見当をつける。
「起き上がるのは難しそうかな?」
再度その女性に尋ねられ、自分が寝たままなのを思い出し体を起こす。
「いえ、すみません、起き上がれます」
よかったと少し安心したような表情を浮かべた女性は、大地に近づきちょっとごめんねと大地の手や目などを真剣な眼差しで見つめ何かを確認するかのようふれる。何が起こっているのか未だよくわからない大地は女性になされるがまま三井に説明を求める視線を送るが、当の三井はデレデレとした顔で子供たちと戯れていた。
「うーん、とりあえず家でどうにかなりそうね。山崎くんここがどこだかわかる?」
辺りを見渡すが、やはり見覚えがあるものは何もない。でも、病院でもなく三井が親しげに子供たちと戯れていることを鑑みると結論は出た。
「三井さん家ですかね?」
その答えに女性の後ろにいた三井が正解だと言いたげに拍手をし、それを真似した子供たちも同様に拍手をしだす。そんな4人に静かにと振り向きながら言う女性の表情は大地から読み取れなかったが、4人の行動がピタリと止まったことにより察することができた。どうやら三井は意外にも尻に敷かれるタイプの男だったようだと一人納得する大地。
「正解よ。そして私はそこにいる三井俊彦の妻の香澄。よろしくね」
そう言って手を出してきた香澄に、はいと言っておずおずと手を出し握手をする。
「一応私医者をやっていてね。今簡単に見させてもらったんだけど、ちょっと今の山崎くんに一人暮らしは無理だと思うのよ。俊彦から聞いてたと思うけどしばらくはうちで過ごしてもらおうと思うんだけどいいよね?」
初耳の提案に目を丸くし返答できずにいる大地を見て察した香澄は、1トーン下げた声でパパと俊彦を呼ぶ。普段からは想像できないおどおどした態度で香澄の質問に答える俊彦は若干涙目になっているように見える。そんな二人を見ていた大地の手に突然何かが触れる。視線を下げるといつの間に近づいて来ていたのか3人の子供たちが目をキラキラさせて大地を見つめていた。
「お兄ちゃんうちに住むの?」
「今日から?」
「わからないことは美奈に聞いてね!」
三者三様で大地に言い募る。大地が答えに困っていると三井夫妻の方からバチンと強めの音がして何があったのかと全員で俊彦と香澄を見ると、頭を抑え痛みに耐える俊彦がいた。香澄はなぜ何も伝えなかったのか、いくら体調のためとはいえ突然連れてこられたらびっくりするだろうと尚も俊彦に言い募る。そこで俊彦が言い訳しようものなら香澄の鉄拳が振るわれていた。
そこで大地はさっきの香澄からの質問は急遽提案されたわけではなく、事前に決定されたことであり、事前に俊彦から説明を受けるはずだったんだなと知った。そして、また自分が腑抜けたばかりに三井に迷惑をかけてしまったのだと知った大地は申し訳なさで頭がいっぱいになった。そんな中子供たちは呆れたようにまたやってるよと各々が口々に呟いているところを見ると、これが三井家の通常なのかもしれないと考えがよぎるが、今回の原因は自分にあることに変わりはないのだと首を振る。ただ自分が伝えるべき言葉は感謝なのか謝罪なのか、そしてこの感情をどう伝えればいいのか、大地には何も浮かばなかった。
ただ呆然と俊彦と香澄のやり取りを眺めていると、隣室からでっぷりと肥えた猫が大地の膝の上にやってきて我が物顔で丸くなった。子供たちは福ちゃんだ!と両親のやり取りを気にした様子もなく大喜びできゃっきゃしている。双子の片割れが触りたそうに見ているがもう片方の片割れがそれを止め、怒られるぞ福にと注意する。3人とも大地を羨ましそうに見つめるが誰一人としてが福を撫でようと手を出してこない辺り力関係が見て取れた。
先ほど止められた双子の一人がいいなあ福ちゃん全然僕のところに来てくれないのにと大地を羨ましそうに見るが今のヒョロガリの大地にしてみればなかなかの重さの猫は結構しんどく苦笑いを浮かべるだけだった。ただ、なかなかに気難しい猫らしいことは3人の様子から見て取れたので、無理にどかすこともできずひたすら耐えるしかなかった。どれくらいの時間が経っただろうか、おそらく数分も経ってない間4人で丸々太った猫を見つめているといつの間にか言い合いが収束したらしい香澄から声がかかる。
「ほらみんな! もうすぐご飯だから準備するよー!」
壁にかかっている時計を見ると午後6時半を過ぎたところだった。
はーいと子供達3人は足早に大地の元から離れ部屋を出ていく。
気づいたら俊彦の姿はなく香澄は大地にご飯の用意ができるまでもう少し寝ててねといって部屋を出ていってしまった。福と言われた猫はどける気がないらしく、しょうがないかと足はそのままで上半身だけ再度横になる。態勢が変わって寝づらくなったのか福も大地の足からお腹にかけて大きくのびる態勢に変更する。
一気に静かになった室内に少し寂しさを感じながら、お腹らへんにある猫の重さと暖かさに促され気付いたら大地は緩やかな眠りに落ちていた。
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