六、雌鶏山

「ほんとうにここでいいんだね? ほんとうに、ほんとうだね?」

 タクシー運転手の何度もの念押しに、ちあらは辟易へきえきしながらも、頷いた。

 運転手は何度もちあらをジロジロ見る。

 ぱっと見中学生ぐらいにしか見えない女の子が、山奥の誰もいない峠道で降ろせというのだから疑問に思うのは仕方がないことである。ただ、普通の女の子と違うのは、巫女装束を着ていると言うことだ。しかしただのコスプレだと、他人ひとは思うだろう。

 となると、イベント会場でもないのに巫女姿とか頭沸いてるのかと思われている可能性もある。

「見て解る通りわたしは巫女で、仕事でここに来た」

「こんな夜更けに?」

「巫女の仕事はお祓い。そしてお化けは夜出る」

「………」

 これほどもっともらしいのに説得力のない理由があろうか?

 ちあらからしたら、降ろすのをためらうなら何故ここまで来たのか理解出来なかった。

 止めるチャンスは途中にいくらでもあったはずだ。

 一方運転手にしてみれば、この小さな女の子の心配もさることながら、万一この子が事件にでも巻き込まれたら、連れてきた運転手がやり玉に挙げられることを恐れていたのである。

「東京都総務局防災管理課で領収書を切って欲しい。もし何かあったら都のせいにすればいい」

 そう言ってお金を叩きつけるようにトレイに置くと、そこでようやく運転手は折れた。

 タクシーを降りると、すかさず冷たい空気がちあらを襲った。それもそのはず、この場所は標高一四五〇mもある。

 街灯は遠くの方にぽつんと一つだけ。

 ただ降ろしてもらった地点には峠の茶屋があり、登山客用の広い大きな駐車場もあった。

 この場所は柳沢峠やなぎさわとうげと言い、道路は国道四一一号線、通称青梅街道といって、新宿を起点に東京の住宅街を東西に貫き、青梅おうめ奥多摩おくたまを通って塩山に至る。柳沢峠は東京側から塩山に向かう最後の峠で、ここから塩山まで一気に標高差一〇〇〇mの下り道が続くのである。

 雌鶏山の登山口は峠の茶屋とは道路を挟んで反対側、山の斜面にそって石階段が続いていた。

 ここから山頂へは慣れた人だと二時間ちょっとらしい。

 ちあらはいつもの図面ケースから打刀と脇差しを取り出すと、腰に差しなおした。

 今回は巫女装束での登山だが、雄鶏山のような鎖場はない。

「うむ」

 図面ケースを茂みに隠すと、一つ頷いて、真っ暗な登山道を歩き始めた。

 ざわめく木々の音、どこからともなく聞こえてくる何かの動物の声。そんな中を早足に登っていく。

 ここでも山岸から教えてもらった登山のイロハが役に立つ。ペース、呼吸法、踏みしめるべき足場、登山道と獣道やただ草木がなくなって道に見えてしまうようなところの見極め、などなど無意識に登っていてもいろんなことを判断しなければならない。

 特に足の踏み場は重要だ。滑りやすい所、ぬかるんでいるところには極力足を乗せない。木の根っこや階段はコケの有無や滑り具合を見極める。これだけでも疲れはずいぶんと違うものだ。

 ふと立ち止まって、山の斜面を見上げる。

 雄鶏山、もとい雌鶏山はちあらを知覚しただろうか?

『まだだと思う……』

 ちあらがタクシーを貸し切って寺社回りをしていたとき、雌鶏山がちょっかいを出してきたのは日も暮れた後だった。ちあらの発見に時間がかかった証拠だ。

 それに今は死者に探知されない呪文(ハイド・フロム・アンデツド)を自分にかけている。ただ、この術はちあらが能動的に死者に対して何かしてしまうと解けてしまう。たとえば目の前に現れた怨霊を退散させてしまったりとか。

 さらに悪いことに雌鶏山は雄鶏山と打って変わって、魑魅魍魎の宝庫だった。

 あらゆる霊や妖怪が飛び交い、山の中を闊歩かっぽしていた。

 おそらく雄鶏山にいるツキノワグマのような、秩序を守ってくれる神がいないからだろう。

 ちあらの姿は死者には見えなくとも、残念ながら妖怪には見えてしまう。

「むぅ……」

 首に巻き付こうと木の枝から滑り落ちてきた蛇の妖怪を振り払って、ちあらは口をとがらせた。

『人間だ』

『人間だ』

 そうこうしているうちに、続々と魑魅魍魎が寄ってくる。

『こんな時間に人間がいるゾ』

『死体を運んできたのか?』

『なに、またか?』

『いや、一人だゾ』

『一人だ』

『おなごだ!』

『ぐひひ、女だ!』

「どいて」

 ちあらはワラワラと集まってきた魑魅魍魎どもを押しのける。

『わしらが見えるらしいぞ』

『ナニ!?』

『そんなバカな』

『いかん、隠れろ』

『今さら遅いわい』

『一体何者だ?』

『我らを退治しに来たのか?』

『お千代様に報告じゃ』

『いや、そんなことより我らの姿を見られた以上、るしかねぇ』

『食っちまおうぜ』

『そ、それよりも、お、おらぁこの子とまぐわいてぇだ』

『オレもだ』

『順番だ、順番だ』

『処女か?』

『処女じゃなかったら、べべさ食い破ってやる』

『バカ、まぐわえなくなるでねーか!』

 好き勝手な会話がちあらの周りで繰り広げられる。が、どの妖怪もちあらに触れようとはしない。ちあらの強さを探っているのだ。

『おまえが行けや』

『いや、まずは言い出しっぺのおまえが……』

『根性なし』

『おめぇ、足ふるえてんぞ』

 ちあらが一歩踏み出すと、妖怪どもが一歩下がる。

「む…」

 試しにだだだっと何歩も進んでみると、妖怪どもは道を開けた。

 なんだ口だけか。

 遠巻きに取り囲む妖怪どもを見渡して、賢そうな顔をしていたイタチの妖怪をひっ捕まえる。

『ひっ!』

「お千代様って誰? 死体を運ぶってどういうこと?」

 ちあらは先ほどの会話の中で気になったことを尋ねる。

『知らねぇや』

 しかしイタチは外方を向くだけだった。

 他に答える気のある妖怪はないかと周囲を見渡すが、妖怪どもは好奇の目でちあらを見つめるばかり。この山が、いや、この辺り一帯がこのような無法状態になっているのは、明らかにちあらが追っている雌鶏山のせいだろう。あの魔のカーブに地縛霊が滞留していたように。

 となるとこの山は遭難や事故が多かったりするんだろうか?

「あなたたちに用はない、わたしが会いたいのはこの山のヌシのみ」

 ちあらは妖怪どもを無視して歩き出そうとすると、屈強な一つ目の妖怪が立ちはだかった。

『そんなことより、自分の心配しな、小娘』

 言うが早いか、ちあらにつかみかかる。

 しかし一つ目の大きな手はまるで滑るかのように、あさっての方向に逸らされてしまう。巫女装束にかかっている防御魔法の影響だ。ちあらの周囲には魔法障壁があって、簡単に触れることはできない。

『こ、この……!!』

 焦る一つ目。その隙を狙ってちあらは一つ目をこかすと、バランスを崩したところでそまま斜面へと蹴り飛ばした

『うおおお……!?』

 叫び声を上げながら落ちていく。

 そしてそれが引き金となった。

 一斉に妖怪どもがちあらに襲いかかったのだ。

 しかしちあらは逃げようともしない。取り囲んでいた妖怪たちが、ちあらにつかみかかる、まさにその手や牙、触手などが到達しようとした瞬間、ちあら自身が爆発した。

 大轟音と共に、約二〇m四方が炎に包まれ、中にいた妖怪どもは吹き飛ばされてしまった。

 炎の中から、ちあらがゆっくりと姿を現す。

 その一部始終を見ていた他の妖怪どもは、ただただ唖然とするばかりだ。

 燃やされた木々たちも黙ってしまった。

「刀を抜くまでもない」

 ちあらはそう言うと、自分の足許でもだえ苦しみながら転がる妖怪のヤケドを治してやった。

「抵抗するなら、排除する。死にたくなければ、去れ」

 ちあらはそう言って、刀の柄に手をかけた。その手に炎のオーラが光る。

『こ、こいつ、バケモンだ』

『あの炎の中にいたのに無傷だぞ』

『怪火じゃ、怪火じゃ』

 妖怪に化け物呼ばわりされるのは心外だが、自分が常識を逸脱した存在であることに間違いはない。

 ちあらの周りにいた妖怪たちが、一斉にちあらから離れた。

 そう、それでいいのだ、と思った瞬間!

 ちあらの立っていた地面がえぐられるように崩れた。

「!!」

 同時に地面から巨大な鎌が二本飛び出してきたかと思うと、ちあらを両側から挟むように迫ってくる。さらに地面はぼろぼろと崩れ、その中からその鎌の持ち主の姿が露わになった。巨大な昆虫の頭だった。

 その頭から鋭い二本の鎌が生え、ちあらを真っ二つにしようとしていたのだ。

 すごい、ここまで巨大な妖怪がそろっているなんて……妖怪保護地区にしてもいいくらい。

 などと考えながらも、迫り来る鎌を尻目にちあらは打刀を抜いて、重力に任せてそのまま真下に突き立てた。

『ぎえぇぇぇぇぇ!!』

断末魔の叫びが、山の中に響き渡った。

「南無」

 自分でブッ刺しておいて、南無もクソもないが、まぁ南無いことに代わりはない。

 鎌がちあらの身体を真っ二つにする前に、打刀が妖怪の眉間に深々と差し込まれていた。

 同時に、ボンッと煙のようなものがあがると、巨大な鎌とそのヌシの姿は消え、小さなアリジゴクがちあらの足下でひっくり返っているのだった。

 幻覚か? それとも巨大化か?

 なんにせよ、元の大きさは小指ほどもない。

 ちあらは打刀を鞘に収めると、ぽかんと口を開けて驚いている妖怪どもを見渡し、「これ以上邪魔するなら、山ごと焼き払う」と言って、自分の身体に炎をまとわせた。

『『『参りました』』』

 ここでようやく妖怪どもはひれ伏して、ちあらに降伏した。


*  *  *


 それから妖怪に案内されて、雌鶏山神社を詣でた。

 しかし妖怪は山ほどいるものの、祭神はいなかった。

 この神社は金山を奉ったもので、ここより北にある集落に里宮が鎮座しているらしい。

きん!」

 なんか予想もしない単語が出てきた。

『雌鶏山ではその昔、金が採れたんじゃ』

『この神社は鉱山で命を落とした者なんかが奉られてたんでさぁ』

「はぇ~」

 ツキノワグマがこのエリアをテリトリーにしていない理由が解った。金が掘れるが故に、あらゆる場所に人間が侵出し、ツキノワグマの手に負えなくなったのだろう。そして妖怪が棲む無法地帯となった。

『わしらのあるじ住処すみかはこの神社じゃなくてこっちでさぁ』

 そう言って、ちあらをさらに木々の生い茂る中に案内した。こんなところ歩けるわけないと思ったのだが、うっそうとしていたのはほんの十数メートルで、その先は明らかに斜面を削った平らな場所が現れ、両側には石垣が続いていた。何かを運び出すために整備された跡だ。

 そして多くの霊や妖怪が行き来に使っていることも解った。

 妖怪にいざなわれるままに先を進んで行くと、大きな岩の前で妖怪たちは歩みを止めた。岩は草木で覆われ苔むしていたが、どこか隙間でもあるのか空気が抜けて来るのが解る。そしてその風に乗って霊が出入りしているのが見えることから、この岩の向こうは空洞になっているのだろう。すると妖怪の一人が、金を掘る坑道の入り口だと教えてくれた。

『金鉱がバレないために、塞がれたんでさぁ』

「なるほど」

 この岩の向こうに、ずっと追ってきた雄鶏山……いや、雌鶏山のヌシがいる。

『お千代様、お千代様』

『お千代様に会いたいという人をお連れしただ』

『お千代様?』

 妖怪どもが何度も大岩の向こうに声をかけるが返事がない。

 ああ、やっぱりとちあらは心の中で舌打ちした。

 妖怪どもを押しのけてこのまま中に押し入りたいが、巨大な岩が邪魔をしている。

「この岩をどかして」

『そ、それは……』

 妖怪たちが顔を見合わせる。

「わたしがやると、あなたたちも、中にいる者たちもすべて吹き飛ばしてしまう」

 ちあらはそう言って、目の前の巨大岩をコンコンと叩いた。

『おれがやろう』

 先ほどちあらに突き落とされた一つ目の大男が岩とがっぷり四つに組むと、岩を押し始めた。

『一人じゃむりだぁ』

 他の妖怪たちも加わって、大岩を一生懸命押すがやはりびくともしない。まぁでも人手はあるとちあらは思うと、蔦や倒木を集めさせた。

『どうするんで?』

「てこ」

『『『?』』』

 大岩の下を掘り、そこに倒木をガッチリとかませる。倒木は長ければ長いほど良い。

 さらに蔦でロープを作って大岩に上の方を囲むように結び、それを妖怪どもに渡す。

「あなたたちはこの倒木を、こっちに思いっきり押して。同時に、この蔦をみんなで引っ張る」

『わかっただ』

『みんな、いくどー』

『『『せーのっ!!』』』

 倒木が折れること三回、ようやく巨大な岩が動き、ちあらが通れるほどの隙間が空いた。

 ちあらは急いで中に踏み込んだが……もぬけの殻。お千代はすでに雌鶏山から逃げた後だった。

『お千代様がいなくなってしもうた』

『お千代様……!』

『お千代さまぁ』

 妖怪たちが坑道の中をさまよいながら、悲しげに名を呼んだ。

「……」

 ちあらはしばらくその様子を眺めていたが、とりあえずこの場所が一体どういう場所なのかを妖怪どもに尋ねた。

 この辺りには金が採れる山がいくつもあったこと。

 たいそう賑わっていて、遊郭などもあり、黒川千軒と言われるほど栄えていたこと。

「それはいつのことなの?」

『戦国時代やね。甲斐武田家かいだけだけの所領じゃった』

ふる……」

『この雌鶏山が黒川金山いうてな、北に龍喰金山、牛王院金山というのもあったんじゃ』

『けど武田家が滅ぼされるとき、金山の場所を隠すために塞がれたんでさ』

『そこで働いていた者たちもろともな』

「ひど……」

『おいらん淵いうて、谷底に落とされた者もおったんじゃ。あっちは供養塔が立っとる』

 なるほどスマートフォンで検索すると出てくる。

 おいらん渕に落とされた遊女たちの遺体は、谷底の川を下って、川下の集落に流れ着いたため、供養も行われたらしい。

『供養されるだけマシでさぁ。この坑道に閉じ込められた者は誰にも知られずに死んじまっただ』

『敵が来るからこの中に隠れるように言われて、たくさんの遊女がここに入れられたんでさぁ』

『入り口を大岩でふさがれたけんども、最初は疑う者はおらなんだ』

『けど、待てども待てどもこの大岩がどくことはなかったんじゃ』

『女手だけじゃ、この岩はとてもじゃねえけど動かせねぇ』

『自分たちは捨てられたんだと気付いた遊女たちは、暗闇の中で一人、また一人と狂っていったと聞いてまさぁ』

『お千代様だけが最後まで狂うことなく、一人一人看取ったそうな』

「どうして狂わなかったの?」

『お千代様は盲目だったんでさぁ。元から暗闇の世界に生きてたんでさぁ』

瞽女ごぜやね』

『瞽女なんて、今の人は解らん、解らん』

 あわててスマートフォンで「ゴゼ」を検索する。琵琶法師の女版みたいなものらしい。

『でも狂わない方が地獄かもしれねぇ』

 狂い死にした遊女は、当然、怨霊となった。

 その怨霊を鎮めるために、生き残ったお千代は一心不乱に三味線を弾いていたという。

 弾いて、弾いて、弦が切れては張り直して、また弾いて……しかし、お千代自身も、その怨霊たちに飲み込まれ、ついに自らも怨霊となってしまった。それが、ちあらの追っていた雌鶏山の正体だった。

『お千代様はまだ幼くてな、客を取ることはできんかったし、目が見えんかったからもっぱら他の遊女のお世話をするのが役目じゃった』

『とくに三味線や琴で遊女たちの荒れた心を癒やしていたそうじゃ』

「そう……」

 自分を鎖場から落としたとき、広場で恐怖の風が吹いたとき。確かに弦楽器の音を聞いた。

 あの音はお千代が弾いていたのか。

 恐らくだが、琴や三味線の音が呪文の代わりを果たしているのだろうとちあらは推測した。

 この閉鎖された逃げ場のない空間の中で、一人また一人と発狂し、死んでいくその中で、お千代はどんな思いでいたのだろうか? 閉じ込めた者たちを恨んだだろうか? 狂い死にする遊女たちを悲しんだろうか? それとも恐怖しただろうか?

「あなたたちがそこまでお千代を慕うのは何故?」

『わしらが生き残る方法を考えてくれたのが、お千代様でさぁ』

 始め、妖怪どもはそれぞれ勝手に活動していたのだという。

 旅人を襲って金品を奪っては、人を喰らう。文字通りの妖怪の所業だ。

『もともと江戸と甲斐を結ぶ街道は、この雌鶏山の南側にありましての』

大菩薩峠だいぼさつとうげって言うだ。難所が多くてケガ人や遭難者が多かっただ』

『盗賊が住み着いたりして、そらもう、人の命に困ることはなかったもんでさ、ヒヒヒ』

 だが、無秩序な妖怪どもの活動は人間たちの知られるところとなり、人間を積極的に襲った妖怪どもは退治され、霊は除霊されてしまった。

『はじめ、お千代様は黙っておらたちのやることを見てるだけだっただ』

『けれど、お千代様も怨霊。人の魂は、欲しい』

『そこでおれらに魂をとる掟を作ったんでさぁ』

 その掟とは、ターゲットを遭難や事故で死んだ者、すでに何者かによって殺された者、山に捨てられた者に限定することだった。そして山で殺人を犯した人間は、呪って良いとした。

 妖怪による直接的な殺人がなくなると、山での妖怪や霊のうわさ話が消え始め、やがて時代が進むと共に人間は妖怪や霊を信じなくなり、さらに北側に立派な国道(青梅街道)が出来、大菩薩峠はただの登山道になった。

 一見、無秩序に見えたお千代のテリトリーは、魂を奪うことに特化したエコシステムができあがっていたのだ。

「なんでお千代の言うことを聞いたの?」

『お千代様に従わなかったヤツはみんな人間に退治されちまっただ』

『それにお千代様は、わしらのアイドルだぁ。かわいいんだぁ。お千代様のいうことなら、何でも聞いちまうんだぁ』

「あ、そう」

 お千代がひたすら正体を隠し続けたのは、なにもちあらの力を恐れてのことではなく、彼女の処世術だったのだ。そしてこのお千代の戦略は、人とは距離をとるというツキノワグマの戦略となんとなく似ていると思った。

 さらに昭和の時代に入っても妖怪たちに味方したのが、ヤクザなどの反社だった

 この一帯は自然林が残り、人が踏み入れない場所も多かったことから、暴力団の格好の死体遺棄現場となった。ついでに遺棄しに来た人間に呪いをかける。呪いにかかった者はちまたで殺人を犯し、また死体をてに来る。時には前に棄てに来たヤツが死体として運ばれてくることもあった。

『だけんども、それだけじゃぁ魂は足りねぇでさ』

 妖怪が肩を落とした。

 魂がそれなりに手に入る上に、人間に退治されなくなったため、妖怪が増えすぎたのだ。

 ああ。

 ちあらは、ポンと手を打った。

 ちあらが依頼された事故の多い、あの魔のカーブ。地縛霊を配し、直接人間を狙う。これはお千代の掟から外れている。外れているから人間に疑われることになり、自分ちあらが派遣されることになった。

 さらに、これはツキノワグマのエリアでも起きていることにも気付く。

 それは「鹿」だ。人のテリトリーに入り込む鹿が増えたというあの大轟山三津窪神社での話だ。

 人間のテリトリーに入ってしまった鹿は、猟友会によって駆除されてしまう。

「ふむー」

 何事にも原因があり、結果があるのだなとちあらは一人で勝手に納得した。

「で、お千代はどこに逃げたの?」

『『『………』』』

 妖怪たちは顔を見合わせる。

『お千代様は怨霊だから、岩があっても自由に出入りはできましただ』

『けど、ここから出たことはほとんど無いでさぁ』

『お千代様が心配だぁ。どこかで迷子になってるかもしれねぇだ』

 と妖怪たちが話していると、後ろで大きな岩が動く音が聞こえた。

『ああっ、岩が……!!』

『わはははは、小娘を閉じ込めたぞ』

『お千代様が戻ってくるまで、おまえは人質だ』

『お千代様がいなくなったのも、おまえのせいだ』

 岩の向こうから、口々にそんな声が聞こえてくる。後先考えない妖怪らしい行動ではある。

『ばか、わしらも出られねぇでねぇか』

 中に閉じ込められた妖怪たちが慌てて岩を叩いた。その脇をこれ見よがしに幽体が岩の隙間から出入りするのが見える。

『おまえらは小娘の相手でもしてろ。得意だろ』

『バカなこと言ってねぇで、早くこの岩をどけるんじゃ!』

「心配には及ばない、こんな岩どうとでもなる。あなたたちは無事では済まないけど」

『『『ひええ……』』』

 そういえば吹き飛ばせるとか言ってたことを思い出し、震える。

『わ、わしらを巻き添えにするのは勘弁してくだせぇ』

「外の妖怪たちを恨むべき」

『早よう開けい』

『こ、この方は、岩ごとわしらを吹き飛ばす気じゃ』

『やれるもんならやってみろ、見届けてやろうじゃねえか。どうせハッタリだ』

『い、いかん』

 めんどくさいなぁ。

 妖怪どものくだらないやりとりを他人事ひとごとのように眺めていると、同じように坑道の奥からじっとこちらを見つめている者がいるのに気付いた。それは自分と同じくらいの年頃の女の子。まさかお千代かと思ったのだが、着ている服がどう見ても現代だ。

 その子はちあらと目が合うと、少し躊躇しながらもちあらの前に進み出て、興味深そうにちあらに触れようとした。

「え」

 しかしちあらを驚かせたのは、この子に魂があることだった。

「この子は誰?」

 ちあらは言い合いをしている妖怪どもに割って入って、その子を妖怪たちの前に突き出した。

『ん? 心音ここね言うだ。お千代様がかわいがってる霊でさぁ』

 魂は生きている人間に会えたことが嬉しいらしく、にこにこしてちあらに笑いかける。

「なんで、魂があるの?」

『お千代様の大切な友達だからでさぁ。お千代様が連れてきたんでさぁ』

『違うか、逆にこの子がお千代様を呼んだのかもしれねぇ』

「どういうこと?」

『事故で死ぬはずだった子でさぁ。助かったのに、この子が自分でこっちに来たんでさぁ』

 妖怪が少し悲しそうな表情かおをする。

「なるほど…」

 ちあらは霊に向き直ると、その子の頭に触れて、記憶を垣間見る。

 瞬時に霊の記憶がちあらの脳裏にフラッシュバックする。

 事故の瞬間。

 いや、その情報はいらない。

 もう少し前……と思ったら、ガードレールをまたいで飛び降りる瞬間。

 そっちじゃない。逆。

 ばばばっとまるで走馬灯のように、彼女の記憶がいくつもちあらの脳に届いた。

「う……」

 父親による性的虐待。

 母親による暴力。

 言葉によるなじりや理不尽な叱責、いじめ。

 身体についた消えないきずあとは、見るたびに虐待の時のことを思い出し、さらに心を締め付ける。

 痛む身体が、本当に痛いのか、錯覚なのかも解らなくなり、もだえ苦しむ。

 しかし、霊となった今のこの子の身体には、そんな痕は一つもない。

『あの事故は魂をとるのに失敗したんでさぁ』

『両親は助かったんじゃ』

 このままではまた虐待の日々に戻ってしまう……と、魂がそう思ったのかどうかまでは解らない。もしかしたら彼女の目に、地縛霊たちのいざなうう姿が見えたのかもしれないし、お千代自身が手招きしたのかもしれない。

『よくお千代様は同じ年頃の魂を見つけたら、喰わずに大事にしておっただ』

 早逝そうせいしてしまった魂と、自分の境遇を重ねたんだろうか?

 ただ魂も永遠ではない。いつかはついえる。その時まで大事に抱えているつもりだったのかもしれない。

「事情はよくわかった」

 ちあらはこの山のことを理解すると、膝をポンと打った。

「でもどんな事情にせよ、わたしに発見された以上、この場所はもはや怨霊の棲める所ではなくなる」

『『『……』』』

 妖怪どもに動揺が走る。

「ここは、完全に、人の地とする」

 ちあらは打刀を抜くと、妖怪たちの前でそれを地面に突き立てた。

 ひいっと妖怪どもが恐れおののく。

『わ、わしらは……? ど、どうなるんじゃ?』

「この地に、あなたたちと人間の神を置く」

 そう言って、きょとんとしている魂を呼び寄せ、自分の隣に立たせた。

『お、お千代様は?』

「ここに神を置く以上、お千代のことをあなたたちが気にかける必要はない」

 ちあらはその程度の表現にとどめた。お千代を滅するとはハッキリ言えなかったのだ。

 今のちあらにはそれしか方法がないことも、ハッキリ言えなかった理由だった。あの僧が言っていた魂を救うことは、ちあらにはできない。もしできるとしたら、お千代を石か何かに封じ込め、力ある仏僧に託すことだ。その者がお千代を地獄に送り、再び輪廻の輪にもどるまで試練を受ければ……あるいはまたいつか人間に転生できるかもしれない。

 しかしお千代ほどの怨霊に打ち勝てる仏僧を、ちあらは知らなかった。

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