五、魂の往く先

「幽霊って、本当にいるんだな……」

 結界を作る手伝いをしながら、県職員はため息交じりにそうつぶやいた。

「どうだろ……」

「え……」

「触れずに一生を終える人がほとんどだと思う」

 ちあらは竹を杉の木に結びつけながら、そう答えた。

 確かに、幽霊に触れる機会がなければ、存在しないも同義だ。

「そういうものかな」

「それに」

「?」

「ここまで積極的に関与してくる霊は珍しいと思う」

「そうなんだ?」

「もし、あらゆる霊がこんなに積極的なら……たぶん、人はみんな霊を信じてると思う」

「なるほど……」

「つまり」

「?」

「今回のはただの霊なんかじゃない」

「え?」

 ちあらは県職員に作ってもらった石を積み重ねた祭壇に神棚を置くと結界を張り直した。

 これで登山道入り口は完全に霊的に封鎖された。

 術が終わって振り返ると、周囲は緊急車両の回転灯の光につつまれていた。その赤い光の中を、遽しく捜査員や警察官達が行き来している。狭い旧道は、ほぼ捜査車両と緊急車両で埋め尽くされていた。

 日は暮れ始めており、回転灯の赤い光が一層強く感じられる。

「トランクを開けてほしい」

 ちあらは県の車の後ろに回ると、バックドアに手をかけた。

「あ、ああ」

 県職員も荷室にちあらの荷物がもう一つ残っていることを思い出す。

「そのバッグには何が入ってるんだ?」

 そう問う県職員に答える代わりに、ちあらは無言のままバッグのヒモを緩め、中を見せた。

「あー……」

 中に入っていたのは、巫女装束だった。

「着替える」

 そしてそうとだけ言うと、後部座席に乗り込み、バタンとドアを閉めてしまった。

「あ、あぁ、ごめん」

 県職員が車に背を向けた。

 ちあらの巫女装束はマジック アイテムである。着る者を保護する様々な魔法がかけられている。ならば最初ハナから巫女装束で登山すればよかったしちあらもそうしたかったのだが、残念ながらこの服は登山に向いていない。足は高く上げられないし、袖は巨大で木々に引っかかるし、リュックが背負えない。

 ボロボロになった血だらけの服を脱ぎながら、ため息をつく。

「高かったのに……」

 ちあらは残念そうに巫女装束の入っていたバッグに、脱いだ服を詰め込んだ。

 着替えを終えて外に出ると、県職員にタブレット端末を借りた。

「遺体の位置を記録するのに使う。わたしのは壊れてしまった」

「なるほど。えーと、ロックの外し方は……」

 それから近藤の元へ。

 一方の近藤は遽しく部下にあれこれと指令を出していた。

「登山道の封鎖は終わったか?」

国師ヶ岳こくしがだけルート、甲武信こぶし小屋ルート、それぞれ封鎖完了しました」

「連絡がついた捜査員たちは、その場にとどまるように伝えて」

 ちあらがそのやりとりの中に割って入る。

「しかし、中に我々は入れないのだろう?」

「わたしが直接迎えに行く。あなたたちは広場から逃走した人たちを捜索して保護してほしい。今頃正気に戻ってるはず」

 広場で冷気に当てられて職場放棄した捜査員や警察官は恐怖の術(フィアー)にかかってしまっただけだ。術が解ければ元に戻る。ただ逃げている間に川や谷に落ちたりしている可能性もあるが……。

「山の中の捜索はわたしにまかせてほしい」

 もとより行方不明者の捜索は得意だ。

「わかった、今回は君を信じよう」

「ありがと」

 ちあらはそういうと、右掌を近藤の前に差し出した。

「?」

「無線機を貸して欲しい」

「あ、あぁ、そうだったな」

 近藤は部下に予備を一台持って来させると、ちゃんと使えることを確認してちあらに渡した。

「行ってくる」

 ちあらはさっさと向き直ると、明かりも持たずに登山道の中に消えていった。

「あの子は何者なんだ?」

 近藤が消えゆくちあらの背中を見つめながら、ため息交じりにつぶやいた

「何者なんでしょうね……」

 そばにいた県職員も肩をすくめる。

「山梨県は知っててあの子を連れてきたのではないのか?」

「元々、地鎮祭を依頼する程度のことだったんです」

 霊の存在なんて誰も信じていなかった。あの魔のカーブの除霊を依頼したのは、事故を防ぐためのあらゆる手段のただの一つであり、気休め程度のものだったはずだ。

「それが、こんなことになるなんて……」

「私も、こんな事件は初めてだよ……正直、関わりたくなかったね」


*  *  *


 広場へと続く道はすっかり暗くなっていた。時刻は一六時過ぎ。

 ちあらは木々とコミュニケーションをとりながら、まずは広場に向かった。

 捜査員は五人一組で七班に分かれて山に入ったらしい。つまり合計三五名だ。その内、ちあらの守護によって生還した班があるので、残りは三〇名。警察犬部隊はたくさんの沢に阻まれ追跡があまりできなかったらしく、早々に引き上げたらしい。

 ちあらは木々の持つグリッド状の情報網を駆使して彼らの居場所を突き止める。

 これは魔法ではあるが、呼応する木々までもが魔法を使っているわけではない。

 木々たちは常に互いにコミュニケーションをとっていて、例えば害虫にやられればその情報を他の木に伝えるし、害虫に対抗するための毒素や酵素の情報を共有する。そして当然、どの木がやられたかの位置情報も。ちあらはそれらを読み取っているのだ。

 森は人間の数はちあらを含めて三二と伝えて来た。これは捜査員三〇名にちあらと山岸を加えた数だろう。そして他に登山者はいないことも解った。

「ふむ」

 これも木々が三二という数字を返すわけではなく、そばに人がいると返してきた木の情報を元に集計はちあら自身が行う。

 内訳は死亡が五、生きているが動けない者が八、軽症・無傷が一九。

 死亡の内容はショック死が一、出血多量や脳挫傷などの外傷性ショックが二、頸部圧迫が一、溺死が一、外傷性ショックと溺死は滑落したためと予想される。ショック死は恐怖に耐えられずに死亡。頸部圧迫はとある樹木から重要な情報が届いた。自分の枝にぶら下がっている、と。

 などと情報をまとめていると、死亡が一増えた。重傷者が一人息を引き取ったようだ。

 一人死亡したことを知って、ちあらは慌てて近くの木によじ登った。

 巫女装束なので登るのに苦労したが、木が枝でサポートしてくれた。

 なんとか空が見える場所に……と思ったのだが、ちあらが選んだ木は決して高い木ではなく、枝葉の隙間からわずかに天に昇る光の筋が確認できただけだった。雄鶏山が魂を引き上げた瞬間だった。雄鶏山のどこかに向かったのだろうとちあらは思った。

 広場に到着すると、大きな影がど真ん中にデーンと座っているのが見える。

 あのツキノワグマである。

『まったく、騒がしくてかなわぬ』

 クマはちあらの姿を認めると、のっそりと歩み寄って不機嫌そうな声を上げた。

「迷惑をかけてすまない」

『人はもっと山を尊ぶべきだ』

 クマはそういうとフンと鼻を鳴らす。

「山に入った人たちをあなたたちの領域から出すために、協力してほしい」

『いつもなら人間など相手にしないのだが……お前には私から近づいてしまった以上、この件が片付くまでは協力しよう』

「ありがと、終わったらちゃんとお供えする」

『私は人の祈りは聞かぬ。供え物に意味はない』

「むむ」

『死んだ者をくれるというなら、喜んで受け取るが?』

「それは自然に任せたい。もしわたしたちが見つけられなかったら、あなたのものになる」

『よい判断だ』

「とりあえず重症者から助けたい」

『場所はわかっているのか?』

 ちあらは近くの木に触れて、自分が木々とコミュニケーションがとれることを示した。

『巫女というのは、伊達ではないようだな』

 クマは片目を見開いて驚いた。

「かつて人も自然とコミュニケーションを取っていたと聞くけど……」

『人もまた動物だからな』

 クマはそう言うと四つ足で立ち上がり、ちあらを背中に乗るように促した。

「ありがと」

 ちあらのその言葉が終わらないうちにクマはちあらを乗せて山の中へと入っていく。

 木々の中をすり抜けるように移動するクマの能力は、山に入った捜査員たちの場所に直ぐに駆けつけることが出来た。

 ただ、クマの姿を見られては誤解される。近くまで来たらクマから下り、ちあら単独で遭難者の場所へと向かうのだが、コレはコレで実はホラーだった。なにせちあらは明かりを持たずに山に入った。暗闇でもものが見える術(インフラヴィジヨン)が使えるからだ。

 なので、捜査員たちからしたらどこからともなく枯れ葉を踏みしめる足音が聞こえ、次第に自分たちと交信する無線の音が聞こえ、足音がすぐ側まで来たかと思ったら木々の影からいきなり目の前に巫女が現れるのだ。

「迎えに来た」

「うわぁ…!」

 突然現れた少女の姿に、幽霊でも出たかと言うような表情かおをする。

「あ、迎えに来たというのはそう言う意味ではなくて……救助に来た」

「そ、それはありがたいが……あんた一人でどうやって……」

「怪我を治す」

「え?」

 言うが早いか、ちあらは捜査員の折れてる足に触れて治癒の呪文を唱える。

 ほんの一、二分の出来事だ。

「もう立てる」

 その言葉に疑問を持ちながらも、痛みは消えているので恐る恐る立ち上がる。

 確実に足が折れていていたはずなのに……何の痛みもなかった。

「嘘みたいだ……」

 捜査員は驚いて地面を何度も踏みしめた。

「登山道まで案内するから、自分の班と合流して欲しい」

 本来なら一人一人付き添って近藤たちの待つ旧道まで帰すべきなのだが、そんなことをしていたら時間がかかりすぎるし、こうしている間にも命を落としてしまう重傷者もいるかもしれない。

 それに、ちあらは雄鶏山のなんというのだろうか、意思というか、そういうものが少し垣間見えたような気がしていた。というのも雄鶏山がまだ魂を渇望しているなら、山に入った捜査員たちは全滅していたはずだからだ。しかし、魂をとったのは事故死した者のみである。

 ここになにか意味があるとちあらは思ったのである。これ以上殺すことはおそらくない。

 もちろん念のために魔から守護する術はかけておくが……。

「が、が、ががが……」

『どうした?』

 クマが困惑するちあらの顔をのぞき込む。

「弾切れ……」

 神から与えられている呪文の数は決まっている。さらに毎朝何の呪文を何回使うかを神に誓願しておかなければならない。ちあらの予定では、守護すべき人間は自分と県職員の二人と案内役の山岸だけだったので、あまり守護の呪文をとっていなかったのだ。

『おまえの神は、融通がきなないのか?』

「わたしの力は神が決めている。術が切れるのもまた、神の意志」

『おまえが死に直面したときに、術が切れたら?』

「神がわたしを死に渡されたのだと思う。わたしの死は、神が決める」

『その志は素晴らしいが、死を前にしてその志のままでいられるのか?』

「大声で泣いて喚き散らし、歯ぎしりし、命乞いする」

『フン、正直だな』

「人間、きれい事が言えるのは、心に余裕があるときだけ」


*  *  *


 ちあらが最後に向かった場所は登山道からもっとも離れた、自然林に閉ざされた場所だった。沢の水源となっているようで、あちこちから湧き水がしみ出し、それが集まって小さな泉を形成していた。

 その泉が見下ろせる、少し斜面を登ったところに一人の男がぶら下がって死んでいた。

 山岸であった。

 雄鶏山に乗っ取られても、その間の記憶は失われない。

 憑依の術が解け、我に返ったとき……彼にはどうすることもできない事実だけが残った。

 その決着を自分の手でつけるには、死を選ぶしかなかったのかもしれない。

「下ろすの手伝って」

 ちあらはクマに山岸の遺体を支えてもらいながら木から下ろすと、静かに寝かせた。

 山岸の表情は穏やかに見えた。なんの怨念も無念も感じ取れない。

 普通の人間なら、この状況を恨み悔やみ、そして苦しんだはずだ。

 ちあらには死者と会話する(スピーク・ウィズ・ザ・デツド)という術があるのだが、魂は抜かれてるため、その術は使えない。

「……」

『彼がこの場所に何度かきていたのを私は見たことがある』

 するとクマが山岸の死体に近寄り、軽く頬ずりした。懐かしむように目を細める。

『この場所は我らのテリトリーだが、彼はそれをよく解っていたように思う。彼は山を敬い、動植物を愛していた。彼がこの場所にいる時、彼は我らの一員だったのだ』

「あなたでも人を信頼することがある?」

『かつてお前たちに「自然」という概念はなかった。お前たちもまた自然の中の一員だと自覚していたからだ。自然と人間を区別するようになったのは最近のことだ』

「なるほど……」

 クマとの話を聞いていて、この山岸の遺体は神のものになったのだなと、なんとなく思った。彼の遺体が発見されることは、ないのだろう、と。


*  *  *


 近藤たちの待つ旧道にちあらが戻ったのは、午前零時を過ぎてからだった。

 負傷者を含め二五名が生還することが出来た。

 一方、遺体は現地に残したままだ。遺体を運ぶ力をちあらが持ち合わせていないからだが、その代わりGPSで場所を地図にマークしておいた。

「このアドレスにアクセスすれば遺体の場所がわかる」

 グーグルマップのマイマップに登録してあるアドレスを近藤に伝えた。ポイントされた地点には写真も投稿されており、遺体や周囲の状況が確認できるようになっていた。

「すごいな」

「今の科学は魔法のよう」

「今日のところは……ここまでか」

「遺体の収容は任せた」

「全部で……六、いや……八か……」

 山岸に直接殺害された県職員とドコモ職員も、広場に残したままだ。

 ただ、事件はこれで終わりと言えば終わりだった。なぜなら事件を起こした山岸は自殺し、捜査員達は不慮の事故ということで説明がついてしまうからだ。雄鶏山の要素は一つもない。

 もちろん、捜査員や県職員には疑問がたくさん残るだろうが……追求したくもないだろう。

「事件の公表に関しては警察庁と協議して欲しい。O案件っていえば警察庁が公表すべき内容を教えてくれるはず」

「なんだそれは? 」

「警察にもこういう不可解な事件を扱うところがあるみたい」

「聞いたこともないが?」

「滅多に無いからだと思う。わたしは確かに伝えた」

 ちあらは念押しの意味も込めて、近藤のそばにいた機動捜査隊の君島の方にも目配せする。

「こちらでも確認しておく」

 近藤は部下にメモをとらせながらもついでにちあらの連絡先も確認した。

「事情聴取は受けてもらうからな」

「解っている」

 明日の段取りが大まかに決まったところで、ようやく撤収となった。

 近藤を始め、続々と緊急車両が去って行く。

 本来なら封鎖した道路には警察官を残さなければならないのだが……誰もやりたがらないだろうなーとちあらは内心苦笑した。

 最後に近藤がパトカーに乗り込むのを見届けてから、再び山の中へと入った。

 なんとかして雄鶏山の正体を突き止めたい。

 ちあらはクマの場所まで戻ると、今度は雄鶏山山頂へ連れて行くよう頼んだ。

『タクシー扱いだな』

 クマは不機嫌そうにフンと鼻を鳴らす。

「この件は、まだ終わっていない。だからあなたはわたしの前に姿を現している」

『よくわかっているな』

 クマは少し仕方なさそうにしながらも、ちあらを山頂へと連れて行った。

 時刻は午前二時。

 そして、そこで待っていたものは……満天の星空と澄んだ空気だった。

 霊の痕跡も神のような意識の存在もない。ただただ星明かりに照らされた山々の光景が広がっているだけだった。

「えー……」

 命をかけてまで目指した雄鶏山の山頂は、神の痕跡どころか霊の残滓ざんしすらない。

 そんなバカなとちあらは残っている感知系の呪文をフル稼働させるが……自分とそしてクマの存在を指し示すだけ。いや、全くないわけではない。鎖場の根元の方では、滑落死した薄い地縛霊がちらほらいたりはするものの、他はなしのつぶてだった。

「今、この山に神はわたしだけだ。改めて探す必要はあるまい?」

 クマにそう言われて、ちあらは我に帰った。

「あ……」

 そして、大轟山三津窪神社の神が暗示してきた白無地の意味を理解した。

 雄鶏山は「潔白」だったのだ。

 そして雄鶏山の神というなら、それはクマであると。つまりちあらの言っていることは間違っているということを、三津窪神社の神は訴えただけなのだ。

「ふーむー」

 だとしたら県道で除霊した時に感じた、あの殺意とも恨みとも取れるような強い視線は一体どこから来たものなのか?

 山岸に取り憑き、殺人を犯したのは一体何者なのか?

「もう少し付き合って欲しい」

 ちあらはクマの腕を引っ張ると、今度は除霊をしたあの県道のある方角を指さした。

『あそこ行くことにどれほどの価値があるというのか』

「現場百回と言う」

『……』

 クマは呆れながらも、ちあらをあの魔のカーブの場所に連れて行った。

 カーブの先端に立ち、雄鶏山の方を向いて意識を集中するも……やはりなにも感じない。

 ちあらは改めて除霊したときの状況を思い出す。

 奉書紙を広げ、呪文を唱え、炎に霊が飲み込まれていく。そのとき視線に気付いた。

 誰かに見られているような感覚。そして殺意にも似た、憎悪の波動。

『その視線は、いつから感じていたのだ?』

 クマがちあらの隣に来て、ちあらと同じ方角を見る。

「……」

「気付いたのは除霊中だったように思う」

『ならば地縛霊に何か起きたことに気付き、それを確かめるために意識を向けたのだろう。すると除霊するおまえの姿が見えた』

「そしてわたしに、憎悪の視線を向けた?」

『だろうな。地縛霊に異変があれば気付くことができたのだろう』

「な、なるほど……」

 ここまでが限界なのかなと、ちあらはなんとなく思った。

 雄鶏山は常に正体を隠し続けてきた。ちあらの前に姿を現すときは、必ず誰かに乗り移った状態だった。そしてそれが雄鶏山のやり方なのだろう。徹底的に正体を隠し、魂を奪うのも地縛霊にやらせる。そうして長きにわたって、この場所に存在し続けてきたのではないか?

 となると、ここでぼけーっと景色を眺めていても、解ることなど何もないであろう。

「むぅ……」

 次に雄鶏山の尻尾をつかめるとしたら……この辺りでまた死人が出るときか。

 などと不謹慎なことを思う。

 それから自分の隣にいる大きなクマを見上げる。

「あなたは雄鶏山の正体を知っている?」

『今度は神頼みか?』

 クマが薄く笑った。

「この土地で起きたことなのだから、知らないはずがないと思う」

『神の縄張り(テリトリー)は、おまえが思っているよりも複雑だ』

「?」

『この山々は私の支配下にあるが、その中には人間が信仰する神々もまた、住んでいる』

 確かに、あの大轟山三津窪神社も、このクマの支配地域テリトリーの中にある。

『何度も言うがわたしは人の神ではない。だから人の神はわたしのテリトリー内に存在できる』

「おー」

 つまりクマは雄鶏山の正体を知っているのだ。そしてそれは人間と関わりのある存在なのだ。

『今回の件は我らのテリトリーを騒がせたから協力しているのであって、決着はおまえたちの手でつけるべきだ。そして私はどちらにも肩入れはしない』

「そう……」

 もう、ちあらに打つ手はなかった。

 雄鶏山は見事に正体を隠し通し、魂をまんまとせしめていった。

 それにちあら自身も使える呪文が尽きかけている。これ以上雄鶏山と事を構えるのは得策ではない。

『いつまで眺めているつもりだ?』

 ぼけーっと雄鶏山の方に向かって立ち尽くしているちあらに、クマはいい加減いらだっているようだ。

「ご、ごめんなさい」

 そう言って振り返ろうとしたとき、一筋の流れ星が空を駆けていった。

 澄んだ空にふさわしく、それでいて一瞬で消える、一条のはかない光。

「あ……」

 そこでちあらは雄鶏山に魂が引き上げられた時のことを思い出した。

 そうだ、魂だ。

 魂の行き先には、その魂を引き寄せた者がいる。

『もう一度、山岸の元へ!』

 ちあらはぐいぐいとクマの腕を引っ張ると、元来た方角を指さした。


*  *  *


 ちあらは山岸の遺体が横たわる、あの泉の場所に降り立った。

『魂もないのに、何故ここへ来たかったのだ?』

 クマが怪訝そうにちあらの表情を伺った。

「魂の向かった方角を、記録するため」

 ちあらは自分を納得させるように頷くと山岸が首を吊った木に語りかけ、山岸の魂が飛んでいった方向を尋ねた。すると木は魂が向かったのと同じ方向に伸びている枝を教えてくれた。

 しかしそれだけでは不正確だ。枝の生えている角度と実際に飛んでいった角度には誤差が生じているはずだと、ちあらは考えた。

 そこでさらに周囲の木々にも同じことを尋ねて回り、一致する方角が決まると、さらにその方角に数十mほど進んだ。

 そしてそこでも同じように木々に魂の飛んでいった方角を尋ねる。

 ちあらはそれを繰り返して、より正確な魂の飛んでいった方角をグーグルマップ上にプロットしていった。しかしどこまでも追跡できるわけではない。魂がある程度の高さに昇ってしまうと、木々も魂を知覚できなくなるので、そこで魂の方向は解らなくなった。

『面白いことを考えるものだな』

 クマが少し感心して、ほくそ笑んだ。

「次の遺体の場所に連れて行って欲しい」

『ふむ、いいだろう』

 こうして、六遺体から魂が飛んでいった方向を記録することができた。

 ちあらは大きくうなずくと、満足そうにタブレットの画面を眺めた。

 あとは家に帰ってからのお楽しみだ。

「ありがとう、あなたがいなければできなかったこと」

 ちあらはクマに深々と頭を下げると、ぎゅっと、その分厚い手を握った。


*  *  *


 それからちあらが目を覚ましたのは、すでに夕方だった。

 自分の神社に戻ってきたのは、午前一〇時頃。朝六時の遺体収容が始まるまで、あの登山道の入り口で待ち、パトカーに塩山駅まで送ってもらい、浅草橋へと帰ってきたのだ。

 ボロボロになった服や弁当の処理をして、お風呂に入って、寝た。

 県から借りたタブレットは警察に返してしまったが、遺体場所とその魂が飛んでいった方向を記したマップは、自分のメアドに共有しておいた。それを予備のスマートフォンで読み取り、コンビニでA3目一杯に印刷すると、これをコタツの上に広げた。

 各遺体には数十~数百m分ではあるが、魂が飛んでいった方向が記されている。この方向に定規を当て、さらにその先に線を引くのだ。

 すると六遺体から伸びる、六本の線が交わる地点ができる。

 これが、魂が向かった先であり、ちあらに残された唯一の手がかりだった。

 そして六本の線が交わる地点は、とある山を指していた。

雌鶏山めとりやま……?』

 それは雄鶏山とは国道四一一号を挟んで反対側に位置する山だった。方角としては南西、そして雄鶏山からは一五㎞離れているようだ。

 山頂には神社まである。これはますます怪しい。

『あ……』

 ちあらはさらにあることに気付いて、この雌鶏山から自分を監視していた目玉が消えた笹子駅までの直線距離を測った。

 その距離、おおよそ二〇㎞。

『なるほど……』

 雄鶏山の影響範囲は半径約二〇㎞で、これはたぶん五里なのだろうとちあらは考えた。

 つまり敵は雄鶏山ではなく、雌鶏山だったようだ。

 そして雄鶏山と雌鶏山には何か関係があるのだろう。名前からして雄鶏と雌鶏だ、昔から謂れがあるのかもしれない。そして雌鶏山は雄鶏山を経由してさらにその先のことを見たり聞いたり力を行使したりすることができるのだろう。

 雄鶏山や事故の多いあのカーブで何も探知できなかったのは、敵が雄鶏山からさらに一五㎞も離れた別の山にいるからなのだ。

『ふむー…』

 もっとも、この六本の線がクロスした地点が、本当に敵の本拠地かどうかの確証はない。もしかしたら囮かもしれない。が、ちあらにはここしか手がかりがないのも、事実だった。

「行く…」

 ちあらは居間にかけてある時計を見上げた。

 まだ一八時前だ。

「そして叩き潰す」

 そして軽く拳を作ると、深く頷いた。 


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