三、雄鶏山とは、何か?

 翌日のちあらはほとんど使い物にならなかった。

 なぜなら、眠いからである。授業中に何度も欠伸あくびをしてしまった。

 結局、中野駅から自分の神社までは二時間ほどを要した。その距離約一二㎞。偶然にもタクシーを降りて塩山駅まで走った距離と同じだった。そのときは人とすれ違うことなどまったくなかったのに、東京では人はたくさん歩いてるわ、車は邪魔だわ、信号は多いわ……とても同じ一二㎞とは思えなかった。

「ふぁぁ…む……」

 寝るのは朝方になってしまい……遅刻こそしなかったものの、授業中はうつらうつら、部活では受け答えもいい加減、帰ってきてからも、コタツに入ってぼーっとしている始末だ。しかしここで寝てはいけないのだ。寝てしまうと夜型になってしまう。

 それにしてもコタツは暖かい。すべてのやる気を奪う。

 人類はなんと罪深い装置を発明したのだろう。これほど人間を堕落させるものがあろうか?

「いや、ない…むにゃ」

 しかし昨今、コタツは家庭の中から消えつつあるらしい。

 人類はついにコタツと決別し、堕落の淵から抜け出したのだ。人類の未来は明るい。

 などと阿呆なことを考えていると、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。

『えー……』

 と心の中でつぶやく。だってコタツから出たくないから。

ピンポーン!

『もー……』

 もそもそとコタツから出て緩慢な動きで社務所に向かうと、賽の目クラブの部長、こなみがズカズカと入ってきていた。

「やほー」

 手には放課後、部で渡したお土産をぶら下げている。

「え……」

「眠そうな顔してるわねー」

 こなみは呆れると、持ってきたお土産──ほうとうセット──をちあらに手渡した。

「晩御飯一緒に食べようと思ってさ」

「え……」

「ななみは彼氏と一緒にサッカー見るんだって」

 こなみはちょっと頬を膨らませると、双子の妹の幸せに嫉妬した。

「彼氏、大阪なのに?」

「LINE 使って一緒に観るらしいわよ」

「あー」

「というわけであたしの分だけ持ってきたから、作って!」

「えー」

「イヤそうな顔するわねー」

「面倒くさい」

「でも晩御飯は食べるでしょ?」

「そうだけど……」

「カボチャはないと思って、カボチャだけは買ってきたわ」

 そう言って、でんとカボチャをコタツの上に置いた。

「立派なカボチャ」

 ちょっと調理する気になる

 まあ、このままボケッとしてるよりはいいか。

 ちあらは両頬をぺしぺしと叩いて気合を入れると立ち上がって台所に向かった。

 白菜、大根、人参、長ネギ、豆腐、春菊……。

 しめじも入れよう。

 お味噌はほうとうについてるようだが、味が足りなかった時のために味噌も用意する。前に大雨の洪水で長野市に派遣された時もらった信州味噌を取り出す。

 ゴボウも使おう、最近甘くする方法を覚えた。

「なんか手伝おうか?」

 こなみがひょいと台所に首だけ突っ込むが、ほうとうはひたすら具を煮るだけなので、手伝ってもらうことがあまりない。

「あ、IH出して」

 しばらく考えて、ポンと手を打つ。

「OKOK」

 勝手知ったる他人の家。こなみはためらわずに吊戸棚にしまってあるIHクッキングヒータを取り出して、いそいそと居間に戻っていった。

「IH、いちおう、拭いとくわよー」

「おねがいー」

 あらかた煮えたら鍋ごと居間に持って行く。目安はゴボウがかじれるくらい柔らかくなったらだ。

「お待たせ」

 鍋をIHの上にでんと置く。

 いつの間にかはし呑水とんすいが用意されていた。こなみが勝手に食器戸棚から持ってきたらしい。

 なべとは違うと思うんだけど……と思う。うどんばちに入れるのが正解じゃなかろうか?

「なんかちがくない?」

「え、そう?」

「ま、いいけど……」

「細かいことは気にしない気にしない……おわちっ!!」

「煮えたぎっている」

「ふ──! ふ────!!」

 一生懸命とんすいによそったほうとうを冷ます。

くちびるやけどしたぁ」

「………」

 舌じゃなくて唇なんだ? とか思う。

なぐさめてくれないの?」

「それだけあわてたら、ヤケドもすると思う」

「冷たい対応ねー」

「冷たくした方が冷えると思って」

「えー!? ヤケドしたところを優しくキスとかしてくれないの?」

「……」

 なに言ってんだコイツ的な眼差しを送るちあら。

「うわ、ノリわるっ!」

「今日は眠いからエッチなことはしない」

「ちぇー……」

 こなみが一人でここに来るときは、だいたい飯かセックスのどちらかをねだりに来るのだが……今日は両方だったらしい。

「せっかくシャワー浴びてきたのに……」

「また今度」

「今度っていつ? 三分後?」

 諦めの悪い人だなぁ……。

「今はほうとうを味わうべき」

「まだおなか空いてないのよねぇ……」

 じゃぁ、なんでここに来た?

 とちあらは心の中で突っ込んだ。

 というか、たぶん最初はおなかが空いていて……何がトリガーかはわからないが、性欲が勝ってしまったんだろう。

「だってちあらが料理している後ろ姿を見てたら……じゅる」

「よだれ出てる」

 なるほど、性欲が食欲を凌駕りょうがした理由はそれか。

 それにしてもこなみの感覚はよくわからない。胸はEかFはあるし、スタイルも胸は大きいくせに腰は細くて全体的にはシュッとしていて締まっている。彼氏なんていくらでも作れそうなのに、何故かちあらに欲情する。

 かといってレズというわけでもない。

 頭がいいと性的な思考もおかしくなったりするんだろうか??

「はやく彼氏を作ってほしい」

「彼氏、ほしいー。でも世の中ロクな男がいなくて……別にあたしの身体目当てでもいいけど、なんか一目置ける男ではあって欲しいのよねぇ」

 ま、そうでしょうね。学年トップというか全国模試でもトップ一〇位に入るくらいの人だから、少なくとも同学年の男子は並の男以下なのだろう。

「あ、そろそろ冷めてきたかしら?」

 こなみはおもむろに視線をちあらから目の前の呑水に移すと、汁をそっとすすった。

「うん、イイ感じ。出汁も利いてるわね」

 そして満足げに微笑む。

 興味がちあらからほうとうに移ったので、ちあらはホッとした。

「賽の目クラブのときも聞きそびれたけど、何でそんなに眠いの? 昨日、何があったの?」

「終電に乗り遅れて……中野から歩いて帰った」

「はぁ? タクシーは?」

「いくらになるか解らなかったから……」

「中野から深夜だといくらなんだろ? 深夜は遠回りされちゃうとか聞くし」

「歩きが確実」

「その感覚もどうかとは思う」

「むぅ……」

「今回の仕事は、長いわね」

 こなみはちあらの能力やちあらが相手する霊だの怨霊だのを信じてくれる数少ない理解者だ。

「コク……」

「手こずってるの?」

「相手の正体がよくわからないから、手間取っている」

「へー」

「昨日は本丸を攻める準備をしてきた」

「なるほど……」

「相手の実力ややり方もだいぶ解ってきた……と思う」

「探り合い、か。敵もちあらの能力を探ってそうね」

「わたしのほうが多くの情報を与えてしまったかもしれない……」

「あら」

「それで諦めてくれるといいけど……」

 ちあらの底知れぬ力を感知できたなら、ちあらと一戦交えようとは思わないはずだ。

 少なくとも雄鶏山にはそれだけの知能があるはず。

「目的にもよるんじゃない? ちあらがターゲットなら諦めるかもだけど、違うなら微妙かも」

「むぅ……」

 目的はたぶん人間の魂だ。そして恐らく継続的に魂を得なければ存続できない存在なのだろう。

 ちあらがあの魔のカーブを除霊したことによって、魂を得る場所がなくなってしまった。おそらく雄鶏山はちあらに対して怒っているだろうし、新たな魂を得る方法を模索しているはずだ。

「ん?」

「なに?」

「それって神様なの?」

 こなみがその話を聞いて、首をかしげた。

「どういうこと?」

「土地神なら、その土地で死んだ人の魂を自由に出来るんじゃない?」

「あー」

「事故を起こさせてまで魂をとるなんて、なんかおかしくない?」

 たしかにそれはそうなのだが……。

「そもそも神様って魂食うの?」

「それは神による。生け贄を求める神がいるように」

「あ、そっか、そういうヤツもいるんだっけ……で、そういう神様って魂をどうするの?」

「そのまま食う。神が存在するためのエネルギー源、人間で言うなら栄養源みたなもの」

「ふーん……」

 こなみはイマイチ納得できないようだった。だいたい人間ごときの魂に、神を維持するなんの作用があるというのか? それは他の生物ではダメなのか? いや、そもそも魂とはなんなのか?

「あー、でも昔話や怪談とかでも妖怪が魂を欲しがったりするわよね」

「人の魂に、何故そこまでの価値があるのかは、わたしもよくわからない」

「あ、そうなの?」

 今から聞こうとしたのに……。

「ただ心当たりはないこともなくて……」

「うんうん」

「人間を作った神はより上位の神で、土地神とか土着の神にとって、そのより上位の神が作った生命である人間の魂は、とても価値があるもの……なのではないかとー」

 今まで邪神も含め様々な神に出会ったが、彼らは人間を特別視する。

 それは過去の記録──言い伝えや神話、歴史書など──でも一致している。

「歴史や神話は人間が残したものだから、人間が特別なのは当然じゃない?」

「そうでもない」

「へ?」

「神や妖怪が残した書物や言い伝えもある」

「へー、そうなんだ?」

「ただ……」

「ただ?」

「こなみの言うとおり、今それを伝えているのは人間ではある……」

 教典も神話も、今となっては人間が編纂へんさんしたものしか残っていない。

「神様から聞いたことでも、人間が勝手に改変しているかもしれないって?」

「コク」

「そんなことしたら天罰が下るんじゃない?」

「……」

 どうだろう。

 神の普遍的な目的の一つに「信者を増やす」もしくは「自分の民を増やす」というものがある。その目的のために改ざんされたのであれば、神は怒らないのではなかろうか? たぶん……。

「なにそれ、いーかんげん。まるで人間みたい」

「ん」

 それは間違っている。人間が、神に似ているのだ。

 人間が進化の過程で生まれたのか、どこかの神に造られたのかは置いておいて、少なくとも人間が生まれる前から神はいただろうし、多くの神話でもそうなっている。それに多くの動植物は神を認識している。人間がこの世に生まれる、遙か太古から。

 つまり人間も進化する前の動物──類人猿?──の時代から神を認識していたはずだ。

「もし、人間がより上位の神に造られたのなら……」

「うん」

「人間を造った神は、自分の民を増やすのに成功している事になると思う」

「あー、それ面白いわね」

 弱肉強食の自然の摂理から抜け出し、ほぼ地球全土に広がった人間。

「もしかしたら、人間を造った神様ってのは、かつてはアフリカの土着の小さな神だったかもしれないってことね。ロマンある話だわ」

 こなみがアフリカの神だと思ったのは、現生人類発祥の地がアフリカとされていることと、ミトコンドリア イブがアフリカの女性だったことから来ていると思われる。

「ただ信者は増えてないみたいだけど」

 そしてそうも付け加える。

 確かに人間は自分たちを造った神を憶えてはいないし、神を信じる者は減った。

「ま、話を整理して、とりあえず人間の魂は、神様や妖怪の格好の餌なワケね?」

「たぶん」

「でも神様なら魂の調達には不便しないはず。信者がいる限り」

「コク」

「とういうことはつまり、犯人は?」

「どっちかっていうと妖怪……かな」

「んで、死者の術に反応するヤツとなると?」

「知能のあるアンデッド……かな」

「はい、結論でました~」

 こなみが嬉しそうに箸で呑水をチンチンと叩いた。

 アンデッドでいいのかな。整理するとそうかも……? いや、まだ妖怪の可能性も残っている。僧は言っていた。「物の怪」と。あ、でも物の怪という言葉はアンデッドも含む気はする……。

「なにを、している?」

 思案しているちあらに、いつの間にかこなみがまとわりついていた。

 妖怪か?

「ん? おなかも一杯になったし、犯人の目星もついたし、あとはエッチするだけかなーって」

「………」

 諦めてなかったのか……と、呆れる。

「眠いなら、そのまま眠っててもいいわよ。夢の中で気持ちよくしてあげる」

 こなみはそう言って、ちあらをぎゅっと抱きしめた。

 あー、ずるい……。優しいけれどもどことなく頼れるこなみの抱擁。

 その気がなくても、自然とその気になってしまう……不思議な抱擁だ

 何よりも心地よい。

 ずるいなぁ。

「ん────」

 こなみが甘えるようにちあらにすりすりする。

 まぁ、いいか……。

 眠いなら眠いまま、面倒なら面倒なまま、そして心地よいなら心地よいままに、この身体をこなみに預ければ、なんかそれで丸く収まる気がする。

 そんなことを思いながら、ちあらはこなみの口づけを受け入れた。

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