一、ファースト コンタクト

 山梨県某所──

 山がいくつも連なる山奥、その山々の中をうねるように伸びる県道に、巫女姿のちあらは降り立った。浅草橋の神社を出てからかれこれ四時間以上、電車に揺られ二時間、車に揺られ二時間の旅であった。

 疲れはしたが周囲を見渡しても山しかないこの景色は、ちあらにとっては新鮮だった。なによりも空気がおいしい。そしてちらほらと見える紅葉がなかなかイイ。

 ちあらのそばには作業着を着た二人の山梨県職員、路肩には山梨県やまなしけん土整備部どせいびぶのシルバーのトヨタ プロボックスがハザードを出して駐(と)まっている。

 降り立った県道というのは急カーブの入り口あたりで、Rのきついカーブがぐっと左の方へと曲がって行くのが見える。ちあらと県職員はそのままカーブの先端へと歩いて行き、カーブ全体が左右に見渡せる場所で振り返った。見上げると、右手から左手に向かって急勾配になっているカーブであることがよくわかる。

 後ろ側はガードレールをはさんで崖だ。

「ふむー」

 ちあらはガードレールから上半身を乗り出すと崖下を覗きこみながら、何度か頷いた。

「どうですか? 何か感じるもんなんですか?」

 県職員の一人が少し自信がなさそうな、元気のない声でちあらに尋ねた。

 もう一人はキョロキョロと周囲を見渡す。

『感じるも何も……バッチリ見えてるけど……』

 ちあらはそう思いながらも、そのことは声に出さないでおいた。霊が見えるなどと言うと、昨今は頭がおかしいか詐欺師扱いされることが多いからだ。

 もちろん目の前の二人は、ちあらのそういった能力を期待して山梨の山奥くんだりまで連れてきたわけなのだが……そうであったとしても「今目の前に霊がいる」とは言いづらかったのだ。

「霊や祟を信じる方ではないんですが、何度工事してもこのカーブの事故だけは減らないんです」

 県職員の一人は付け替えたばかりのピカピカのガードレールとカーブミラーを指さしてそういった。少し遠くを見上げると、対向車の有無を知らせる電光掲示板も設置されている。

 道幅も片側一車線ではあるが、特に狭いということもなく、充分な広さが確保されていた。山の中の県道としては十二分に立派な道路だ。

 しかしこのカーブに渦巻く霊──いわゆる地縛霊じばくれい──は結構な数であった。二〇以上はいようか? そいつらが県職員の体にまとわりついたり、ガードレールやカーブミラーからこちらをじっと見つめているのがちあらには見えるのである。

 まさにこのカーブは地縛霊がひしめき合っているといっても過言ではなく、それは即ちここで多くの命が失われたことの証拠でもあった。この道路が作られてから何十年経っているのか解らないが、その分が貯まりに貯まっているのだろう。

 とはいえ地縛霊の力というのはそんなに強いものではないことをちあらはよく知っていた。普通の人間ならば、どうということはない。しかし精神が病んでいる時、体が弱っている時、睡魔に襲われている時など、ふとした隙に霊は入り込む。

 たとえそれがほんの一瞬だったとしても、車を運転していた場合、命取りになることもある。

「呼ばれたからには、仕事はする」

 霊の有無に明確に答えることを避けたちあらは、ふところから払い串を取り出すと深くうなづいた。

「すぐ済むから、待ってて」

 そしてそういって、今度は丁寧ていねいに折りたたまれた奉書紙ほうしょしを取り出すと、そのはしを持ってバンッと広げ、祝詞のりとを読み上げ始めた。

 なるほど、はたから見ているとそれっぽい。

「……祓閉給比清米給閉登、白須事乎聞食世登、恐美恐美母白須!」

 職員の二人にはちあらが何を喋っているのかは解らなかった。ただ驚くべきことは、ちあらが払い串を振りながら祝詞をあげている間、和紙でできた奉書紙が祝詞が書かれた面をちあらに向けて空中にとどまっていることだった。

 そして祝詞をささげ終わったあと、ちあらは一歩力強く右足を踏み出すと、まるで刀を薙ぎ払うように払い串を懐から外側に向かって振り上げた。

 すると宙に固定されていた奉書紙が真っ二つに切れたかと思うと、一気に燃え上がった。

 その炎の中に地縛霊が吸い込まれ、焼かれていく。

 しかも全ての地縛霊が焼き尽くされるまで、その炎が絶えることはなかった。

「うむ」

 とはいえ、それは数分の出来事である。

「終わった」

 ちあらは燃え尽きて風に乗って飛んでいく灰を前に、コクリとうなづいた。残った灰が空高くへと舞い上がり、やがて風景の中に消えていく。

「これでもし、事故が減ったなら、霊の仕業」

 そしてちあらは祓い串を懐へしまった。

「意外とあっけないもんなんですね」

 いまいち状況を理解出来ていない県職員は、代わり映えしない景色を見つめてそうつぶやいた。

 なんというのだろう、地鎮祭じちんさいの時のような長ったらしい儀式めいたものがなかったからかもしれない。ただ、科学的には考えられない不思議な現象は目の当たりにすることができた。奉書紙が空中にしかも風にもあおられず浮いていたこと、その紙がすぐに燃え尽きなかったことである。

 実はこういったオカルト案件に自治体や行政がからむことは基本的になかった。しかし月夜野つきよのちあらという存在が、警視庁の災害対策課や東京都の災害対策本部などに派遣されるようになると、行政の対応は一変、東京都の災害対策費を大幅に引き下げるという効果をもたらした。

 というのも行方不明者の捜索や災害発生時の状況把握に警察やボランティアなどの人海戦術に頼るよりも、ちあら一人を派遣するだけで済むようになったからだ。

 一日で何十万〜何百万円とかかっていた行方不明者の捜索などが、ちあら一人の人件費でまかなえてしまうばかりか、精度が段違いに高いのだ。

 東京都のそのやり方が徐々に他の地方自治体に知られるようになり、何か災害が起きると近隣の県は東京都に依頼するようになった。

 ちあらがこうして山梨県の山奥にまで連れてこられたのも、そういった経緯によるのだった。

 またこの自治体の対応はちあら自身にもメリットがあった。なにせ何十人、何百人の役目を一人でこなすのだ。いただくお給金も決して安くはなく……もっともそれらはちあらの懐にではなく、ちあらの上司であるところの黒翼クロハの懐に入るのではあるが……。

「とりあえず、これで様子を見る感じですか」

「そう、だけど……たぶん事故は減らないと思う」

 安心しかかった職員たちの前で首を左右に振った。

「え?」

 職員二人が顔を見合わせる。

 ちあらは黙って崖の方を振り返ると、腕を上げてとある地点を指さした。山々が連なるその先に一つの岩山が顔を覗かせている。

「あー、えーとあれは……雄鶏山おとりやまだったかな?」

「いや、大師山たいしやまじゃなかったっけ?」

「ちょっと地図で確かめる……」

 職員の一人がハンディサイズの登山地図を取り出してパラパラとページをめくる。

「雄鶏山でしたね」

 そしてちあらともう一人の職員に地図上の雄鶏山の地点を指さした。

「で、その雄鶏山が何か?」

「さっきからあの山から視線のようなものを感じている」

 ちあらはここで初めて、「霊が見える」的な言葉を吐露した。

 さらにちあらはその力が非常に強力であることも知覚していた。というのもちあらが感知できる殺気や負の感情というのはせいぜい数十m。こんな何㎞も離れた負の気を感じることは不可能だからだ。

 にもか関わらずこれほど圧を感じるということは、相当強力な負の力が働いているに違いない。

「力の正体は解らないけれど……ここで事故が起きるのも、地縛霊が滞留するのも、あの山の所為だと思う。あの山からの力が衰えない限り……ここはまた事故が起きる」

 ちあらはそう断言した。

「ええ……」

 ここで県職員は二つの思いが生じた。

 一つはちあらの言葉をそのまま信じる思いだ。先ほどの儀式を見せられると、この目の前にいる小さな巫女には何か不思議な力があってもおかしくはないかも、という気持ちがある。

 もう一つはエセ霊能者よろしく、さらに理由をつけて仕事を増やそうとしているのではないか──つまり県から余計にお金を引き出そうとしているのではないか──という思いだ。

「だから、事故が減らないようだったら、もう一度わたしを呼んでほしい」

 ちあらは職員たちの心の中を見透かしたのか解らないが、それ以上のことは要求しなかった。

「一応、雄鶏山のことは持ち帰って議題には挙げましょう」

「そうだな」

 二人はわりと真剣にちあらの話を受け入れたようだ。持っていたタブレット端末にメモをしている。

 そこには日報か何かのためか、現場写真なども収められていた。もちろんちあらが祝詞を唱えているところも。

「そういやぁ、雄鶏山の登山道入り口は帰りに通ることができるんじゃないか?」

 職員の一人がもう一人に思い出したように尋ねた。

「あぁ、まぁ行けなくもないが……行きます?」

 話を向けられた職員が今度はちあらに尋ねる。

「……」

 確かに興味はある。が、力の正体を突き止められるかどうかは自信がなかった。

「ただ、登山道の入り口と言っても雄鶏山はいくつかの尾根を越えないと行けないんですよ。雄鶏山専用の登山口っていうわけじゃないんです」

布施ふせさん、詳しいね」

「一応登山が趣味で……」

「へー、それは知らなかった、だから登山地図なんて持ってたのか」

「山に直接つながっていないなら、行っても何も解らないかも……」

 ちあらは少し自信なさげに答えた。

「そういうものなんですね」

「コクリ」

「とりあえず戻りましょうか」

 三人はハザードを出して止まっている車に戻った。

 前席に県職員が、助手席の後ろにちあらといった具合だ。プロボックスという車は四ナンバー登録のため荷室を室内長の半分はとらなければならない。従って、後部座席の膝空間は決して広くはないのだが、身長一四〇㎝しかないちあらには充分な広さだった。

 後ろの荷室には測量やらで使う機材が載せっぱなしになっているので、カーブや道路の凹凸を通るたびにガタガタとうるさかった。

 数㎞降りてくると通行止めのゲートが見えてくる。実はこの道路は冬季通行止めになっており、今の時期、一般車は入って来られない。県もこの道路が閉鎖されるタイミングを見計らって、ちあらに依頼したのだ。

 そのゲートのすぐ脇に、細い道路があるのが見えた。今走っている道路とは打って変わって狭く、アスファルトもだいぶ痛んでいる。

「こっちの旧道を行けば雄鶏山につながる登山道入り口の前を通って帰れます。この道はまた県道と合流するんで、ついでだから見ていきましょう」

 職員はハンドルを切ると、旧道の中に入っていった。雄鶏山のことが気になっているのだ。

 旧道はさきほどの県道に増してカーブが厳しかった。しかもガードレールなどもなく、ハンドル操作を誤れば谷底に真っ逆さまだ。

 十数分も走るとシルバーのプロボックスがまた路肩に寄せ、停まった。

 両側に木々が迫り、目の前には沢にかかる小さな橋が見える。すれ違うのも厳しいぐらい狭い橋だ。そして車が停まった路肩はただの路肩ではなく、四~五台は車が駐められる広さがあった。登山者用に用意されたちょっとした駐車場のようだ。

「ほら、そこが登山道の入り口ですよ」

 職員が後部座席のちあらに話しかけると、窓の外を指さした。

 なるほどその先にはうっそうとした木々の間にぽっかりと開いた登山道の入り口が見えた。まるでトンネルの入り口のようだ。まだ昼間だというのに、ずいぶんと暗い。

「見てくる」

 ちあらは車から降りるとその登山道の入口まで歩いた。

 木々はちあらに対して拒む様子はなかったが、登ることは勧めていないようだった。

 ちあらは右手を掲げて何羽かの鳥も呼び寄せてみる。鳥たちもこの登山道の先を恐れたり嫌ったりしているワケではなかった。

 木々に閉ざされた山の中で鳥たちと会話する巫女の姿は神秘的でもあり、また美しくもあった。まるで山の守り神のようだ。

「森に巫女ってのは絵になるもんだな」

 車の中からその様子を見ていた県職員がそんなことをつぶやく。

「なんだか不思議な光景ですね」

 もう一人も頷く。

 鳥たちとのコミュニケーションが終わって、ちあらは小さなため息をついた。これといった有用な情報が得られなかったのだ。これ以上の情報を得るにはこの土地の神と接触すればよいのだが……神との接触はデリケートすぎることをちあらはよく解っていた。この土地の神のことをよく調べてから接触しないと、機嫌を損ねたら目も当てられない。下手に天変地異を起こされても困るし。かといって神によっては挨拶もせずに入ってくるとは何事かと怒るヤツもいる。

 なのでこれ以上の調査をするにはこの付近にある神社を把握しておく必要がありそうだ。

 ちあらは車まで戻ると「やはりよくわからなかった」とだけ報告した。


*  *  *


 山梨県から再度ちあらの元に連絡が入ったのは、一週間ほと経ってからのことだった。

 あの雄鶏山について調査依頼が来たのだ。

 正直ちあらは驚いた。てっきりあの件は新たな事故が起きるまで関わることはないだろうと思っていたからだ。にもかかわらず、山梨県は雄鶏山調査を依頼してきた。

 ただ、山梨県がこの山に固執する心当たりもあった。

 あのカーブはちあらが除霊をする一ヶ月ほど前、悲惨な事故があったからだ。軽自動車の単独事故だったのだが、消防隊員が前席にいた男女を救出している間に、先に後席から助け出された少女がガードレールを乗り越えて崖から飛び降りたのだ。

 恐らく前席にいた両親が助からないと思い、悲観して自殺を選んだのだと報じられ、世間は少女を放置した県警や消防を非難し、知事が謝罪会見、山梨県警の署長が更迭されるまでの大騒ぎとなった。

 県としてはどんな小さな原因でも潰しておきたいと考えたのだろう。

 が……。

「困った」

 事は割と大変である。

 そもそも山登りしたくないし。

 あの山やその周囲にいる神々の許可を取るのも大変。

 もっともちあらの力というのはとてつもなく強大で、そんじょそこらの土地神など恐るるに足らないのだが、ちあらが力でねじ伏せたとしても、ちあらが去ったあと逆恨みして、その土地に不幸を振り撒いたり近づいた人間を呪い殺したりされたのでは本末転倒だ。神々の世界にもコンセンサスというものが必要なのである。

 こういう時に役に立つのが、ちあらの持つ様々な秘術や力……ではなく、インターネットであった。

 まずはグーグルマップであの雄鶏山の付近を表示し、「寺社」で検索。さらに日本全国の神社や寺を網羅したサイトから、あの山の付近の寺社を検索。

 小さな祠も含めて一五カ所をリストアップした。

 ちあらはこのリストを山梨県に送るとともに、あの山の半径一〇㎞以内にリストから漏れた寺社がないか確認するよう伝えた。ちなみにこの一〇㎞というのはテキトーである。ただちあらの術の影響範囲を簡単に見積もった広さだ。

 そして一日では終わらないこと、さらにふっかけた金額の見積もりを黒翼を通して東京都に伝えた。

「ふぅ」

 そこでようやく一息つく。

 いつの間にかちゃぶ台の上にあったお茶は冷めていた。

 入れ直そうと立ち上がる。

 そういえばそろそろコタツを出さないとなーなどと思いながら……。

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