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「大原茂様、ご来店まことにありがとうございます。本日担当させていただきます、佐藤と申します」
「……オゥ」
いつも微笑みを浮かべている大原さんの仏頂面。なかなかの演技だ。僕も占いキングダムで毎日繰り広げていた十文字との茶番劇を思い出しながら、表情と声を作る。
「本日は全身リラクゼーション六十分のコースですね。こちらの台に、お顔を下にして寝そべっていただけますでしょうか」
大原さんは「フン」と悪態をつきながら、顔を出す穴が開いた施術台にうつぶせになった。
僕は普段通り、タイマーをセットしてマッサージを開始する。
意外なほど筋肉質な体をもみほぐしていく。
「おいおい、俺ぁ赤ん坊にマッサージされてんのかぁ?」
「もう少し強めをご希望ですか?」
「おぅニィちゃん頼むよ」
そうは言いながらもところどころ大原さんが「ア〜」とか「フゥ」とか間の抜けた声を出しているのは、僕には聞こえている。
十分ほどマッサージしたところで、予定通り大原さんが顔を上げて僕に向かって大きな声を出した。
「おいおいおい、この店はこの程度で金取ってんのかよ? 家で嫁に肩揉ませてる方がよっぽどマシだぞ? なぁ? ニィちゃん?」
ヒーリングミュージックのBGMがあまりに場違いなほどの緊張感が、この場を支配する。
「も……申し訳ございません……」
店奥の事務所から音が聞こえる。慎さんがクレーマー対応のために出て来ようとしているのだ。
事務所と施術室を隔てる扉が開いたところで、大原さんはもう一度僕に向かって怒鳴った。
「こんなんじゃ金は支払えねぇなぁ。別の人間に代われよ」
つかつかと歩み寄り、深く頭を下げる慎さん。
「大変失礼いたしました。彼は研修中でして。私、店長の慎と申します。もしよろしければ、私が代わらせていただきます」
慎さんは優しげな顔で僕を見て頷き、大原さんからは見えないところで、僕を元気付けるように背中をトンと軽く叩いた。あの血なまぐさい視界が、僕の間違いだったんじゃないかと思うほどの温かい手。
僕は小さく慎さんに頭を下げて、事務所に引っ込んだ。笑顔で頷く慎さん。
「では全身リラクゼーション六十分コース、お時間は改めて今からの開始とさせていただきます。どうぞよろしくお願いします」
扉を閉めて事務所にこもると、二人の会話は聞こえなくなった。僕は慎さんがいつも座っている椅子から少し離して丸椅子を置き、息をつく。
昨日、僕は遠野さんとドヤの前で分かれてから、大原さんと一緒にタクシーでボスの拠点である梅田のホテルへ向かった。
気をかけてくれている遠野さんには悪いけど、それでも、何もしないでいるのは耐えられなかった。
一万円を超える運賃は大原さんが唖然としながらも支払ってくれた。どうせボスと協合して莫大な売上を叩き出すのだ。これくらい奢ってもらったって罰は当たらない。
豪華ホテルの広々とした部屋には、今日一日の売上を帳簿につける十文字、スマホ片手にストレッチする秋月さん、梅田の町並みを見下ろすボス。場所が変わっただけの、いつもの光景。
「ボス、僕やっぱり、あの店長の――慎さんのやってることを見て見ぬふりはできません」
十文字がこちらを見て微笑む。僕は、何やら考え事をしているらしいボスに見つめられる。もう寝るつもりだったのか、化粧は落としてしまっていたらしく、幾分幼く見えた。
「ねえ幸太郎、その慎ってやつのフルネームと住んでるところはわかんないの? あと出身地とか」
スマホを見つめたまま、秋月さんが僕に質問を投げる。
「フルネームは慎浩介。出身は……あ、五年前に横浜から大阪に引っ越してきたって言ってました。大阪のどの辺りに住んでるかとか、最寄駅とかはわかりません」
「視界覗いたとき、家の周りの様子とかそういうの、わからなかったの?」
「視界って万能じゃないんです。写実的な絵画って一見リアルですけど、実際には広範囲があんなにハッキリと見えることって、ないんですよね」
十文字が興味深そうに頷く一方で、秋月さんは不満げに眉を上げた。
「焦点を合わせてないものがボヤケるのはわかるんだけど、それでも何か見てるものだってあるでしょ? 看板とか――」
確かに普通の人の視界なら秋月さんの言う通りだ。毎日通る道だからと言って目を瞑って歩いているわけではない以上、何かしらに焦点を当てるのが、普通――けれども「あの人の視界は異常なんです。人間はやたらにくっきり、鮮明すぎるくらい見えているんですけど、人間以外が、極端に不鮮明なんです。まるで、人間以外をほとんど見ていないみたいに」
「なにそれ、きも」
女の子の「きもい」は、いつも何だか胸にグサリとくる。自分に向けられているわけではないとしても。
大原さんが放った自信たっぷりの声が辛うじて僕の心を慰めた。
「ならば私にいい考えがある」
そして、今に至るというわけだ。
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