18

 疲労で足もとが覚束ない。頭が痛い。空腹なのに食欲が全くわかない。足に刺すような痛みが走るのは、寒さからなのか、見てしまったものの影響か。

 背後から鳴らされる、聞き馴染みのあるクラクションに、僕は足を止めた。

「幸太郎、いつもよりシケた顔してるじゃーん。もう大阪飽きたの?」

 見慣れた黄色のジャガーMk2。助手席の秋月さんが僕を茶化す。十文字が静かにドアを開け、僕を招き入れた。僕は半ば倒れ込むように、後部座席に乗り込む。暖房がかじかんだ手足の指先を解した。

「ドロボウはどうした」

 ルームミラー越しのボスと目が合う。

「捕まえました……」

 十文字は「やったね」と僕の肩を叩いた。よく知った人物の手が温かい。

「まだ何かあるのか」

 ボスの切れ長の目が、僕を射抜くように見つめている。

「――場所を変えて話そう」

 僕はこのまま東京に連れ帰られるのではないかとドアに手を伸ばしたが――いや、東京に戻るのも一つの手かもしれない。

 何かを感じ取ったらしい十文字が「大丈夫だよ」と微笑む。

「わたしたちの泊まってる部屋、豪華すぎて幸太郎びっくりし過ぎてまた逃げちゃうかもね?」

 秋月さんのいつもなら僕の反抗心を煽る口調が、今日だけは妙に心地よい。


 梅田のホテルに着く頃には、僕の気持ちもやや落ち着いていた。というのも、十文字という優れた聞き手に何やかやと大阪暮らしの話をすることで、気が紛れたおかげだ。

「下着泥棒は捕まえた。でも、もっと大きな問題が?」

 部屋に着くなり、探偵よろしく十文字が僕に問いかける。

「はい。あの、バイト先の店長が……」

 話し始めてみたものの、何と言えば伝わるのかわからない。こんなことを話して頭がおかしくなったと思われないか。東京に帰りたくないがあまりについた嘘だと思われないか。

「バイト先の店長さんが?」

 十文字が僕の目をまっすぐ覗き込む。ボスはワイン片手に大きな窓から梅田の街並みを見下ろし、秋月さんは爪を磨きながらスマホで動画を見ている。

 東京の日常が、僕に見たまま起こったままを、喋らせた。ボスも秋月さんも、終始聞いているのかわからない様子だったが、僕が話し終えると、各々顔を上げて僕を見た。

「えげつなー。幸太郎、早くその人から離れなきゃ危ないんじゃない? 下着泥棒のときと同じで、証拠がないから通報だっててきないし……。だよねーボス?」

「うん……いや、分からん……。幸太郎はどうしたい」

 珍しくボスの答えの歯切れが悪い。

 疑われると思っていたけれど意外な反応に驚いた。

 ああでもそうだ、この人たちは、僕の能力のことを他の誰よりもよく知っている。もしかしたら僕が嘘をついているかもしれないのに、どうやら僕が思っている以上にこの人たちは僕のことを信じてくれているらしい。

「考える猶予をしばらくやる。大阪出張、好調だからな」

 ボスは親指と人差指で丸を作ってニヤリと笑った。あぁ、これが僕らのボスだ。

「のんきなもんですね」 悪態をつきながらも僕は、内心ボスに感謝した。

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