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「確かに今日は非番だから仕事終わりに連絡するように言いましたけど、まさかその当日に動かされるとは思わないじゃないですか」

 僕は七時にシフトを上がり、連絡先をもらったばかりの遠野さんに連絡をした。今から玉出駅に向かって張り込めば、足立の帰宅時間に間に合う。

「来ていただいてありがとうございます。あの、よかったら、こちらどうぞ」

 さっきスーパーで買っておいたあんバターどらやきを手渡す。

「な、なんですか……」

「いつもコンビニのレジ横に置いてあるのを、食い入るように見てるじゃないですか」

 遠野さんは口をへの字にしながらも、受け取るや否や袋を破いてどらやきを頬張った。

「あなたのその能力……」

「幸太郎でいいですよ」

「こ、幸太郎さん……の、その能力は……」

 お風呂上がりでジャージ姿の遠野さんと、ドヤ街とバイト先の往復しかしないダル着姿の僕は、コンビニの前でたむろする若者風にしゃがみこんだ。

 よりそれっぽくしようと準備していたタバコに火をつけかけると、遠野さんが「警察官の前で未成年喫煙をするつもりですか」と、さっき調達してきたセブンスターとかいうやつを僕から取り上げた。

「よくわからないんです。幼い頃からで。みんな同じだと思ってました。元々内気で人と話すことが少ないタイプだったので。小学校三年生くらいのときですね、自分だけがおかしいって気付いたのは」

「そうなんですか。――にわかに信じがたい……」

 遠野さんは僕の代わりにモクモクと白い煙を吐いている。

「でも事実なんです。あ、なんなら、マッサージを終えてから今までに見てきたものも全部当てましょうか?」

「いや、大丈夫です。信じられないだけで、信じてはいるので」

 遠野さんは咳き込みながら一本目を吸い終わり、ダウンのポケットに両手を突っ込んだ。

 僕が肉まんにぱくついているとやや視線を感じたので、デザートに取っておいたあんまんを渡してみた。遠野さんはいささか柔らかい表情で受けとる。

「遠野さん、ホントに甘いものがお好きなんですね」

「はい、お恥ずかしながら甘いものには目がないです」

「それって彼女さんの影響ですか?」

「え? いいえ? 私には恋人などおりません」

「あれ、じゃあお家に飾ってある写真って」

 遠野さんは俯いて、しばし無言になってしまった。俯きすぎて、顎が胸筋にめり込んでしまいそうだ。

「ァ……アイドルです。『ぴゅあぴゅあまっする』っていうアイドルで……友達に連れて行かれた現場でどうしても目が離せない子が……これが『推し』というやつなんでしょうか……」

「ぴゅあますの子でしたか! 僕の推しのYouTuberが、元ぴゅあますのメンバーなんですよね。鍛(たん)野(の)凛子(りんこ)ちゃんって子なんですけど」

「鍛錬担当、鍛野凛子さん! 私は新参なので、卒業メンバーはお名前しか存じ上げないのですが、彼女は筋肉がつきにくい体というディスアドバンテージをもって尚筋トレに励む姿はまさに伝説のアイドルだったと古参の友人から――幸太郎さん、ちょっとごめん」

 会話に熱が入ってきたところで、遠野さんが突然立ち上がった。僕の前に立ち塞がる。

「幸太郎さん、あの男が『ヤツ』ですか」

「あ……はい、ええ、そうです、あいつです」

 足立がコンビニ入り口に向かって来る。僕は遠野さんに指示されて、駐車場に停まっているトラックの物陰に身を隠した。

 しばらくして、ビニール袋を手にした足立がコンビニから出て自宅へ帰っていった。

「この前見に来たときは、一旦家に帰ってしばらくしてから着替えて出てきたんですよ」

 それから僕は暖をとるためにちびちび飲んでいたホットコーヒーを一気に飲み干し、カップをゴミ箱に捨て、スニーカーの紐を結び直して走り出せるように準備をした。

「ちょっと待って幸太郎さん、何してるんですか」

「え? 何って、ヤツをとっ捕まえる準備ですよ」

 遠野さんは怖い顔で「ダメだ」と言った。

「一般市民を巻き込むわけにはいかない。幸太郎さんはそこで待っててください」

「あ、もうヤツが出てきましたよ」

 マンションから、以前と同じようにジャージ姿の足立が軽い足取りで出てきた。

 僕らがいるコンビニとは逆方向に向かったのを追って遠野さんが走り出したので、僕もついていく。

「だから、幸太郎さん、だめだって!」

 遠野さんは小声で僕を叱って止めようとした。僕は小声で応戦する。

「勤務時間外のおまわりさんにチクって『はい終了』なんて、嫌なんです」

 遠野さんは濃い眉をしかめたが、それから「幸太郎さんは俺の後ろ五メートルを走って。必ず俺の真後ろだ。君がヤツに顔を見られることはあってはならない」と指示した。

 足立はやはりサラリーマンとは思えない軽い身のこなしで颯爽と走っている。

 遠野さんの後ろを走ることで、例え足立が振り向いたとしても、僕の姿はヤツに見られる心配がない。その安心感からか、僕は以前のように途中でへばったりせずに走り続けられている。

 遠野さんが若干スピードを落として僕に並走した。身振りと小声で、僕に次の指示を出す。

「幸太郎さん、あそこで左の道に行って。この先は、区画を囲む道しかなく、人通りが少ない。ヤツは多分あそこの茶色い屋根のアパートで犯行に及ぶ。幸太郎さんは突き当りで止まって、電柱に隠れてスマホのビデオをアパートに向けたまま待機していて。俺が合図するまで、そこから動いちゃだめだ。いいね」

「わっ、わかりました」

 再度スピードを上げた遠野さん。僕は言われた通り二手に分かれる道を左に曲がった。突き当たりには丁度電信柱があり、僕はその陰に身を隠して、スマホのビデオを立ち上げて構える。

 足音は一つしか聞こえない。

 やがてその足音も聞こえなくなった。静寂。

 アパートのベランダを映しているスマホの画面に、何か動くものが映った。よく見ると一階に人がいる。部屋の電気は着いていない。

 まさか。

 その人物が画面の中央に来るように向け直し、慎重にズームする。

――ヤツだ、足立だ。

 足立はベランダの手すりやパイプを使って、いともたやすくアパートの三階まで登った。そして、女性物の下着と思しき白い布に手を伸ばし、ぷちりと洗濯ばさみからもぎとる。その瞬間。

「何しとんねん! そこのお前! 降りてこい、大阪府警や!」

 怒号が住宅街に響く。さっきまで人気のなかった路地に、窓や玄関からまばらに出てきた住人の姿。

「うわほんまや、あんなとこに人がおるわ」

 やがて足立の存在に気づいた人がアパートを指した。

 足立は二階まで降りると、そこからアパートに面した道路に飛び降り、走って逃げようとした。

 足立がこちらに向かって走ってくる。その後ろには鬼のような形相の遠野さん。このまま僕が出れば挟み撃ちにできる。けれども合図をするまで動くなと言われた。

 僕の逡巡を察したように、遠野さんが「君はそのまま隠れてて」と声をあげた。 

 と同時に、足立が僕の隣で倒れ込む。遠野さんのタックルを背中に受け、なすすべなく地面にへばりついている。

「午後八時四十分、住居侵入で現行犯逮捕」

 足立の腕を背中で固めて馬乗りになっている遠野さんは、僕に目配せして、いつの間にか集まっていた野次馬たちの群衆の中に身を隠すよう合図した。

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