15
電車の中吊りやドア横には、大学の広告が目立つ。関東出身、かつ高卒の僕には、どの学校の名前も見慣れない。これらの中に、権田さんが通っている学校の広告もあるのだろうか。
その次に目に付くのは百貨店のバレンタインイベント催事場の広告。悔しいが、今年も僕には関係なさそうだ。
僕は今、下着泥棒――名前は足立(あだち)というらしい――の家を突き止めるべく、ヤツの視界を辿って電車に乗っている。
足立はげんきの湯から地下鉄で三駅のところに住んでいる。奇しくも僕が敬愛する激安スーパーと同名の駅、玉出(たまで)。
職場は地下鉄なんば駅直結のビルに入っている、よく聞く名前の大企業だ。どうして僕はフリーターなのに、あんなにも穢らわしい下着泥棒が上場企業の社員なんだ。
というのはさておき、ヤツの家までの経路は、視界を辿れば簡単にわかる。駅から歩いて五分もしない好立地で、なかなか大きいマンションだ。
夜の八時。飲み会がなければ、大体これくらいの時間に帰って来るというのは、ヤツとの三回の接触、計三週間分の視界で把握している。
ヤツと連呼しているが、立派な常連客様なのだ。あいにく、僕指名の。
マンションの向かいにあるコンビニ店内で青年誌を吟味するフリをしながら帰宅を待つこと二十分。大企業勤めの割にはヨレヨレのスーツ姿の、猫背の男性がコンビニ店内に入ってきた。足立だ。
僕は顔を見られないよう、フードを目深に被る。
アンパンだけ買って、足立より先にコンビニを出た。張り込みときたらアンパンだろう。袋を開けて、一口齧る。
餡の甘みを味わいながら三口目を頬張ったところで、足立が出てきた。
足立の手にはカップ麺と申し訳程度の小さなプラカップに入ったサラダと、缶ビール。いかにも独身貴族の食事だ。
マンションに入って行く後ろ姿を見送り、アンパンの最後の一口を飲み込む。
それから更に数十分。足立が軽い足取りでマンションから再び出てきた。今度はスーツ姿ではなくジャージを着ていて、まるでランニングをするような格好だ。
走り出した足立を追いかけ、僕も足音を忍ばせてついていく。
尾(つ)けていることがバレないようにしつつ見失わないように走るのはかなり至難の業だ。僕は探偵でもなければ警察でもない。体力に自信はこれっぽっちもない。おまけに土地勘もない。
結果、僕は足立をみすみす見失った。胃の中のアンパンが情けない僕をせせら笑うように、脇腹をキリキリと痛めつける。
翌朝僕は普段通り、ドヤ街の道端で片方だけの手袋や自転車のサドルが道端に並ぶ、恐らく日本一自由なフリーマーケットを横目に出勤した。
ボスたちは梅田の高級ホテルで寝泊まりしながら、ネット予約受付限定で『出張占いキングダム』を営業しているらしいが、それがまた大繁盛しているとのことだ。正直羨ましい。
タイムカードを押すと、僕よりも早い時間からのシフトに入っていた権田さんに声をかけられた。
「佐藤くんおはよ! 今日も寒いなあ」
髪を茶色く染めた権田さんが、寒さも吹っ飛ぶような笑顔を僕に向けてくれる。
「おはようございます権田さん。そうですね。手先凍るかと思いました」
「確かに佐藤くん、冷え性っぽいよなあ」
言うや否や権田さんが手を触ろうとしてきたので、僕は反射的に逃げてしまった。
「すっ、すみません、まだ手を洗っていないので……」
権田さんは「そんなん気にせんでええのに」と言うが、皮膚が触れるということは権田さんの七日間の視界を見るということなのだ。その七日間には、起きている間に見たもの全てが例外なく僕の脳内に流れ込むことになるので、それはもう絶対に避けなくてはいけないのだ。とにかく権田さんに触れるなんてことは、僕にはできない。
「髪、染めてみてん。でも慎さん、『髪と肌が同じ色だね』って言うねんで? ひどない?」
そう不服そうに言う権田さんの髪と目はキラキラしていた。
本日初めてのお客様は、二十代くらいの若い男性。ガリガリの僕と違い、ガタイが良い。背も僕より十センチほど高い。
慎さんと同じく短く刈り込んだ髪型に餃子耳。しかし優しい雰囲気の慎さんと違い、格闘技経験者だということがひと目でわかる厳つさ。
彫りの深い顔立ち、鋭い目つき。どこぞの運動部の主将って感じで、ちょっと取っつきづらい。
「ではどうぞ、こちらにうつ伏せになってください」
ガッシリした首筋に手を触れる。
僕の脳に流れ込む映像。直近七日間の視界。
週の大半出入りする場所、毎日見る物、よく会う人物。
――警察官だ、この人。
どうにか、何とかして、仲良くなって助けてもらおう。
「あの、あのあの、お仕事毎日お疲れ様です」
「どうも、ありがとうございます」
でも僕は、友達が少ない。この妙な能力を隠すためにひっそり生きてきた。コミュ障、と言って差し支えない。
「えっ……と、遠野さん。遠野(とおの)護(まもる)さん。あー、最寄り駅、読み方知ってますよ、ノエウチンダイ、ですよね?」
「え? はい、ありがとうございます。大阪は難読地名が多くて困りますね」
「で、で、ですよね、おまわりさんなら、大阪の地理に強くなきゃいけないですもんね? 大変そうですね」
「え? 事前アンケートに私、職業書いてましたっけ……」
まずい。明らかに不審がられている。
「わ、わかるんですよ、マッサージしてると、体がおまわりさん、っていうか、あの、甘いものが好きなんですね」
「えっ……好き、ですけど……」
「ですよね、でも、やっぱり食事制限されるんですね。コンビニスイーツのコーナーは必ず見ますが、我慢してサラダチキンばかり選んでますね。でも、お休みの日にシュークリームを食べましたね? 息抜きも大事ですもんね」
「そんなこともわかる……んですか……?」
「わかります。わかりますよ。お家は、アパートの三階に一人暮らし、お家に飾っているきれいな女性のお写真はどなたですか? 彼女さんですか? う、羨ましいなあ」
「ちょっと待って、待ってください。あなたさっきから何ですか、いくらなんでもおかしくないですか」
お客さん――遠野さんが体を起こそうとしたので、僕は思わず両手で肩を施術台に押さえつけた。
「あ、あぁ、すみません、押さえつけてごめんなさい、痛くなかったですか?」
「痛くはないですけど……」
「はは……さすがおまわりさんだ……あ、いや、すみません、本当すみません、僕、あなたと仲良くなりたくて」
コミュニケーション能力が大事だというのなら、義務教育に友達の作り方をカリキュラムに組み込んでおいてくれよ。
「僕、触れたらその人の直近一週間見たものが全部わかるんです。その人の記憶にあろうがなかろうが、見たものであれば全て。あ、で、でもこれを使って何か悪いことをしているというわけじゃないんです。犯罪ではない、ですよね?」
「はあ……多分……」
「で、で、でですね、僕、見てしまったんですよ。犯罪者の視界を。下着泥棒です。下着の、泥棒」
遠野さんは黙って施術台にうつ伏せになっている。僕の話を信じてくれているのか、僕を危険人物だと思って刺激しないよう警戒しているのか。恐らく後者だろう。
「で、その下着泥棒、捕まえたいんですけど……協力していただけませんか?」
「お断りします」
今度は押さえつける隙もなく、見事な俊敏さで起き上がった。二十九歳、巡査長。起きている間はほとんど仕事をしているか体を鍛えているこの人なら、簡単にヤツを引っ捕らえることができるだろう。
「どどど、どうして、ですか」
「逆に聞きますけど協力すると思いますか? 簡単には信じられませんよ」
「信じられないと思いますけど、本当なんです。望みもしないこんな能力……。でも、本当なんです。いっそ、嘘なら良かった」
「……あなたはどうして僕に下着泥棒を捕まえてほしいんですか?」
遠野さんの目つきは鋭いが、威圧的なわけではない。
確かに僕は、ボスから与えられた猶予の二週間で下着泥棒を捕まえるように命じられたわけだが、捕まえられませんでしたと言って猶予を二週間からズルズルと引き伸ばしてしまう手だってある。そうしてまた機を伺って逃げれば良いのだ。
でも僕は、使命感にかられて下着泥棒を捕まえようと躍起になっている。
脳裏によぎる、権田さんの不安げな顔。
「普通に暮らしているだけの女性が、理不尽に恐怖にさらされているのを、見て見ぬふりはできないじゃないですか」
主語を権田さんから女性に挿げ替え、遠野さんの目を見つめ返しながら答える。
遠野さんは黙っていたが、それからしばらくして「紙とペンはありますか」
僕はポケットに入れているボールペンとメモ帳を差し出すと、ラインのIDと電話番号を、見た目にそぐわぬ小さな丸字で書き付けた。
「こんなところじゃなんですし、あなたもお仕事中でしょう。僕、今日は非番なので、あなたのお仕事が終わったら連絡してきてください」
「あああ、ありがとうございます! 僕、佐藤幸太郎と申します。十九歳です。あの、では引き続き施術を続けさせていただきますね。あ、このあと、割引のクーポン、も、お渡ししますので、是非今後ともよろしくお願いします」
呆れ顔の遠野さんは、僕に広い背中を預けるように、施術台に再びうつ伏せになった。
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