14
最早どんな環境でも安眠できるように進化した僕の体は、うるさくてタバコ臭いカラオケ店の部屋で、爽やかに目覚めた。
ボスが大阪まで追いかけてきた。そして僕を見つけた。――あの道は人通りが多いとはいえない。ピンポイントに、あの道を僕が通るのをわかっていたかのように、現れたボスたち。
やはり何らかのカラクリがあるとしか思えない。
僕はふと思いついて、インスタを開いた。
大阪に来たのは先月、十二月五日。それから五日後、三万五千円を握りしめて飯場から開放された日。改めて僕はこれからしばらく滞在する街を記録しようと、ドヤ街の様子を写真に収めて投稿した。以降細々(こまごま)と、道端に咲く季節外れの花だとか、やたらと人に慣れきった猫だとかを写真に収め、ストーリーに上げた。
しばらくインスタのアカウントを眺めていると、僕の最近の投稿全てに、同級生の『白井(しらい)くん』からのイイネがついていることに気が付いた。
中学のときの同級生の白井くんは、フォロワーの中で唯一の、リアルでの知り合いだ。友達の少ない僕の、貴重な友人。
中学時代の新聞配達のアルバイトで仲良くなった彼は、僕と同じく貧乏な家庭の子どもだった。
けれど根暗で卑屈な性格の僕とは違って、白井くんは明るく社交的で、とにかくイイヤツだ。
そんな彼が、僕の居所を、ボスに伝えているとしたら――いや、接点のない二人の間でそんなことあるはずがない。けれど、もしそうだとするとすべて説明がつく。
僕の数少ない友人がスパイかもしれない。軽く絶望的な気持ちをふっとばすために、湘南乃風(しょうなんのかぜ)の睡蓮(すいれん)花(か)をデンモクに打ち込んだ。
文化祭の打ち上げで行ったカラオケでは隅っこでソフトドリンクをちまちま飲んでいたのに、一人だとノリノリになれる自分が滑稽だ。けれども、滑稽な自分を俯瞰したときに、白井くんスパイ説は綺麗に払拭できた。疑心暗鬼になって現実的でないことを考えてしまっているに過ぎない。
季節外れの睡蓮花に励まされて、僕は少し落ち着きを取り戻した。
歌うでもなくデンモクの履歴から何曲か選んで、歌のない曲を流すなどして過ごしていると、深夜フリータイムの制限時間がきた。
精算を済ませて外に出る。冬の乾いた空気に差す陽が鋭く眩しい。
しかし青い空の向こうの方に、この時期には珍しい黒っぽい雲が浮いていて、早くドヤに帰らないと雨に降られそうな予感がする。
早く帰ろうと思って急ぎかけた足元を、比喩表現ではなく文字通り、掬われた。と同時に脇を抱えられ、僕の体は宙に浮く。
事態を理解できたときには、僕は白いセレナに押し込められていた。下半身を秋月さん、上半身を十文字に抱えられた間抜けな状態。
「幸太郎、どうして逃げる」
ルームミラー越しのボスの目は、サングラスのせいで表情が読み取れない。
「石を売る仕事が嫌なんですよ。ずっと言ってるじゃないですか」
「どうして石を売るのが嫌か」
「それは詐欺だからです」
「どうして石を売るのが詐欺になる」
サングラスを外したボスの目に浮かぶのは、怒りでも嘲りでもなく、疑問の色。
「ただの石を幸運の石だなんて言って売るのは紛れもなく詐欺です。だってただの石に効果なんてあるわけがない。幸せになりたいと願う人の心の弱みにつけこむ、立派な詐欺ですよ」
今までに僕はこんなにボスに反抗したことがあっただろうか。ボスは恩人だ。ボスがいなければ僕は今頃、あの五日契約みたいな過酷な仕事を毎日していたかもしれない。
でもこれは僕の出自にかけて、受け入れて良いものではない。
「心を込めること、効果ないのか? 神社のお守りと何が違う? もっと石が安ければ良い? 五千円なら? 三千円なら? 百円なら良いのか?」
「そんなの屁理屈じゃないですか。ただの石を、あたかもありがたいもののように売ること自体が、間違っているんです」
「ヘリクツ? 今までやってきた仕事と、何が違う? 直近七日の視界から導き出す『アドバイス』に、どれだけの確実性がある? 未来は誰にも見えない。だからみんな不安を抱えて生きる。心の拠り所になる石。売って何が悪い」
だめだろ。でももっとだめだなのは、話が平行線で埒が明かないってことだ。
「わかりました……。みなさんは石を売ればいいですよ。でも僕はそんな仕事をする会社で働けません。辞めます。もう一緒に仕事はできません」
「だめだ。幸太郎が必要。東京に帰るぞ」
まるで聞かん坊のようなボスは、車を発進させようとした。
「待って! 待ってください、ぼ……僕……」
ふと脳裏に権田さんの顔がよぎった。
「今、スーパー銭湯のマッサージ処でアルバイトをしているんです。それで……――それで、お客さんとして来た人が、下着泥棒だったんです」
「人の物盗るのは良くない」
「そうなんです。でもほら、僕の能力で視界覗き見てわかっただけなんで、証拠なんてないじゃないですか」
「そうだな」
口が乾く。これで良いのか。あまりにもこれは、ハッタリみたいなものだ。
「だから、すぐには捕まえられないと思うんです。なんとか捕まえたいんですけど……」
窓に頭をもたれさせたボスの顔はルームミラーには映っておらず、どんな顔をしているかわからない。これ以上喋り続けるべきか迷ったところで、助太刀が入った。
「それは大変だね、幸太郎くん。ボス、ここは少し時間をあげませんか?」
「そうだな。幸太郎、ドロボウを捕まえろ。二週間やる。……そうだ、その間、大阪で出張占いビジネスをしよう。祐奈(ゆうな)、準備頼む」
秋月(あきづき)さんが楽しそうに「了解ボス」と言う。十文字の助け舟によって、僕はボスから二週間の猶予を与えられた。
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