13
次のお客さんは、真面目そうなサラリーマン風の男性だ。
うつ伏せで施術する際メガネを預かるのだが、その際に受け取る僕の手と男性の指先が、触れ――僕の脳内に視界が流れ込む。
下着。下着、下着、下着。女性物の下着。
住宅街。一軒のアパートに焦点が合い――白昼堂々の、鮮やかなまでの犯行。
慣れてる。こいつはめちゃくちゃ慣れている。もはや感心するほどの盗みぶり。
ふと、権田さんの声が頭によぎった。
『下着泥棒がこの辺出てくるらしいで?』
うら若き女性を恐怖に陥れる憎き下着泥棒が、目の前にいる。
――かと言って僕に何かができるわけではなく。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
「いやあ、気持ちよかったです。日頃の疲れが吹き飛びますね。また来ます」
僕は心のなかで辞めてくれ、と叫ぶ。
その男はむしろ、異様な癖以外は至って平凡な暮らしぶりだ。平日は普通に仕事をしている。通勤中に女性をジロジロ見ているわけでもなさそうだ。あるのは下着への異様な執着のみ。逆に狂気じみている。
占いの仕事をしているときだって、視界を覗くと犯罪行為に手を染めている人とは、稀に出くわすこともあった。けれども、そのときとは比べ物にならないような気持ちが湧いてくる。
権田さんを守ってあげられるのは今、僕しかいない。
ぼんやり今日のことを考えながら、げんきの湯からドヤ街へ帰る道中。
背後からクラクションが鳴らされた。道路脇に避けると、車が僕の横に停まり、後部座席の窓が開く。
「幸太郎くん、お久しぶり。なかなか興味深い街に住んでいるね」
ムカつくほど穏やかな声と笑みが僕に放たれる。最悪だ。完全にぬかった。まさか。まさか、大阪まで追いかけて来るとは思わなかった。
「幸太郎もたこやき食べるー?」
前の席では、勝ち誇った表情を浮かべるボスの横で、秋月さんがたこ焼きをつついている。
「悪く思わないでね、幸太郎くん」
ドアが開いて十文字に腕を掴まれそうになって間一髪、僕は踵を返し、車の進行方向と反対に向かって走った。
「幸太郎くーん! 『逃げても無駄だ』って、ボスが言ってるよー!」
間抜けな十文字の声を背中に受けつつ、車のナンバープレートを盗み見た。『わ』ナンバーだ。黄色い車には気を付けていたけれど、レンタカーではさすがにわからない。
――逃げたは良いものの、げんきの湯とドヤ街の行き来しかしていない僕が、この辺りの道を知るはずもなく。しかし職場と寝床がバレるのはまずいと思い、僕はひたすら明後日の方向に走った。
周囲に響く僕の足音。
背後にエンジン音は聞こえない。ひとまず逃げ切れたらしい。
車通りが多い道だと僕の姿が見つかる可能性が高いと考えて路地裏に駆け込み、アパートの自転車置き場の暗がりに身を潜めた。
僕はスマホをポケットから取り出し、電話帳に登録してある『姫路さん』の名前を探した。さすがにあんなコワモテが出てきたら、ボスも諦めるだろう。……諦めるかな、諦めてほしい。
しかし姫路さんの電話番号は「おかけになった電話番号は、お客様の都合により通話ができません」としか応えない。料金未納といったところか。
お客様の都合だなんて、嫌味ったらしい言い方だ。
自転車置き場から出てしばらく歩くと、雑多なネオン街に出た。ボスたちが乗ったセレナは見当たらない。下手に動いて見つかっても困るので、僕は目についたカラオケ店に駆け込んだ。
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