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 他人の過去七日間の視界など見えたってどうしようもない。自分の明日一日が見えた方がずっとずっと良い。いやもう半日でも良い。

 神が僕に占いで稼ぎまくれと与えた能力? 知るか。僕のこの『けったいな』力なんて、明日一日を生きるのに何の意味もない能力だ。

 どうして僕がそう思うに至ったかを語るには、高卒無職の語彙力では到底足りそうもない。

 けれどもあえて言うならば、僕はボロ雑巾より酷い扱いをこの五日間受けた。

 僕にもし、自分の翌日、あるいはこれからの半日に起こることが見えていれば、僕はあのあいりん労働福祉センターで声をかけられるままにおいそれとついていかなかったのに。


 五日前。仕事は掲示板に貼り付けられたビラから探すものだと思っていたけど、実際は少し違った。僕のような若い労働力は、まさに入れ食い状態。次から次に、働き手を探す業者に声をかけられ、名刺をもらった。五人くらいに立て続けに声を掛けられ、結局、最初に声を掛けてきてくれた、一番関西訛りの少ないスーツの人に自分から声を掛けて「仕事をしたい」とお願いした。

 僕は五日間契約の仕事をもらった。契約と言っても「ココとココにサインしてくれたら五日間仕事をあげますね」レベルのもの。しかし働いている間は、飯場(はんば)といって寮のようなものを使わせてもらえるので、食事と寝床には困らない。

 一見すると手軽に働き始められて寝食付きの好条件。しかしここは西成。生きることの大変さを、僕は嫌というほど再確認させられた。

 来たる怒濤の五日間。読んで字の如く肉体労働。力を使う仕事、単調で一分すら異様に長く感じる仕事、ちょっとした不注意すら命取りな仕事。

 毎晩、ズタボロという言葉では表しきれないくらい疲れ果てて、飯場に帰った。部屋にはよくわからない虫が湧くし、トイレには使途不明の注射器が落ちているし、お風呂ではおじさんが喚き散らしているし、とにかくここでは、働くことは生きることで、生きることはめちゃくちゃ大変なことなのだ。


 それでも、悪いことばかりではなかった。

 地獄の五日間の初日。お昼ごはんの時間に、新顔の僕は、魚だったら川の主みたいな、とにかく体のでかい男性に声をかけられた。

 声をかけられたと言っても、いきなり僕に背中を向けて「揉めや」と、着ていた上着を上腕までズラして肩を出した。

 マッサージはボス仕込みで少々自信はあったのだが、女性の華奢な肩とはわけが違った。サイズも硬さも岩のようで、全く歯が立たない。

 仕方なく僕は男性の首あたりの皮膚にさりげなく触れて、その人が今日、どんな仕事をしたのかを確認した。

 男性は一日中、現場に出入りする車のタイヤにホースで水をかけていた。車に付着した砂が現場の外に出て近隣住民の迷惑にならないようにタイヤを洗う仕事なのだが、これがまた退屈だし、水圧の強いホースをコントロールするのは手が疲れるのだ。

 僕は男性の肩から腕にかけてを何とかほぐして、それから手を念入りに揉んだ。男性は「ニイちゃんなかなかええやんけ」と、眉毛のない顔でニカッと笑った。

「俺は姫路(ひめじ)や。よろしく」

「姫路さん、よろしくお願いします」

「なんやお前東京モンか。『ヒメジ』やないで」

 姫路さんは人差し指を下に向けて僕の発音を真似た。

 それから今度は指を横に向けて「ひ、め、じ、やで」と正しいイントネーションを教えてくれた。

「僕は佐藤幸太郎と申します。よろしくお願いします」

「さすがにお前、それはわかりやすすぎやろ。その偽名は」

 僕は面食らった。後でわかったのだが、ここでは割と『本名ではない名前』を名乗ることが多いらしい。その理由は、「まあ人それぞれや」と姫路さんは濁した。

 姫路さんも本当の名前ではなく、普段は兵庫県の姫路市に住んでいるが、お金がなくなったら西成まで働きに出てくることから周りの人にそう呼ばれるようになったそうだ。

「幸太郎は何でこんなとこで働いとるんや? お前みたいな若いヤツ、わざわざこんなとこ選ばんでも、働き口なんかようけあるやろ」

 今までアルバイトをしていた会社があまり良くない事業をはじめたので逃げてきたのだと話すと、姫路さんはカラッと笑って「ほな、そのワルモンの女社長が追っかけてきたら、俺を呼べや。用心棒くらいにはなるやろ」と電話番号を教えてくれた。

「俺はまだしばらく西成におる。困ったことがあったら連絡して来い。マッサージの礼くらいしたるわ」


 五日間契約の期間が終わり、受け取った三万五千円を手に飯場を出た僕は、一泊千七百円の安宿に転がり込んだ。飯場より少し部屋は狭いようだが、タバコの匂いがしない清潔な布団と部屋で、僕は久々にぐっすりと眠った。

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