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ボスって案外表情豊かなんだな。全然、知らなくたって良かったけど。
眉間と目の間を広げ、顎と唇を突き出した、勝利の喜びを隠しきれないという表情を眺めながら感心する。
どうして毎回僕の居場所がわかるのかと聞くと、パソコン作業をしていた秋月さんが手を止め、うっとりした顔で「これが『占い』の力だよ」と教えてくれた。意味がわからない。
――居場所が毎回突き止められる件と同じくらい、いやそれ以上に、僕には気になっていることがある。
逃避行を試みはじめて一週間。逃げ、見つかり、捕われ無給で働かされ、かつ交通費だのなんだのと入り用で、貯金が目減りしているのだ。
スマホや持ち物にGPSがつけられているのではないかと疑い、この前の電車旅の直前に、身につけるもの全てを一新したのが痛かった。
観光だの旅行だのと自分の気持ちをなだめてきたけれど、もう限界だ。稼がずにはいられない。
僕は仕事中、トイレに行くふりをして大阪行きの夜行バスを予約した。
追手の心配は無用。今晩はボスのお楽しみの日。ボスが大原さんと十文字と、加えて事務所によく出入りしている男性――秋月さん曰くボスの恋人らしいのだが、それにしては随分冴えない感じだ――と、一晩中麻雀に興じる日なのだ。麻雀を始めれば朝まで酒浸りで、普段通りならその後、ボスは半日以上、心配になるほどの深い眠りに落ちる。
僕がいくら逃げても絶対に捕まえられるという自信に満ち溢れた振る舞いだ。秋月さんも彼氏とデートらしい。もう誰も、僕が見つからなくなる可能性なんて、微塵も考えていない。
仕事終わり、僕はバスタ新宿へ直行する。
大阪を目的地にした理由は二つ。東京から遠く、なおかつ人の多い大阪ならさすがに見つからないはずだと踏んでいるのと、大阪にある西成区(にしなりく)なら、身分証明書の確認も場合によっては端折って速やかに日雇いの仕事にありつけるらしいと調べて知ったから。しかも、そういった日雇い労働者向けの激安宿が充実しているときた。今の僕にとって日本一アツい街と言って差し支えない。
ググれば何でも分かる情報社会に感謝である。
味わい深い『バスタ新宿』のフォントを写真に収め、インスタのストーリーにアップした。
鍵アカウントだからフォロワーにしか見えないし、二十四時間で他人から見えなくなる一方で自分の手元には残り続ける。他人にタイムリーに見てもらいつつ、自分自身の記録にも使える、素晴らしい機能だ。
バスは四列シートの通路側の席で、快適などといえるものではなかったものの、新宿を背に走りゆくバスに乗るのはなかなかに気分が良い。
隣のおじさんのいびきがうるさくて寝付けず、体感的にはかなり長い旅路を経て、僕は早朝の梅田の地を踏んだ。
下水のような臭いが鼻を突く。
それでも不思議と不快感はない。何しろ僕が飛び出してきた新宿だって似たようなものだ。今更都会の悪臭が何だ。むしろ朝の爽やかさすら覚える。
夜行バスの乗客たちの後ろについて歩くと、JR大阪駅の桜(さくら)橋口(ばしくち)に着いた。
大阪環状線に乗って、僕の楽園、釜ヶ崎(かまがさき)を目指す。
ドボルザークの『新世界(しんせかい)』が、重々しく新今宮(しんいまみや)駅(えき)に到着したことを知らせる。
大阪人的には「その新世界とちゃうねん!」かもしれないが、今の僕にはまさにおあつらえ向きな駅メロだ。
西成、あいりん地区、釜ヶ崎、飛田(とびた)新地(しんち)。同じような場所を指し示すそれらの地名はいずれも日本の裏社会のような、どことなくダークなイメージを持たれがちだが、実際に新今宮駅に降り立つと意外にも普通の駅――と思ったのもつかの間。朝っぱらから道端で伸びているおじいさんの横を普通に歩いていく人たちの、あまりの何ともなさそうな様子に、僕は息を呑んだ。季節は真冬。亡くなっていてもおかしくないのに、一瞥すらしない。朝からおじいさんが道端に落ちている日常を、この土地の人たちは過ごしている。
僕はこれからお世話になる地の空気を肺いっぱい吸い込んだ。
どことなく、据えた臭いがした。
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