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 黄色のジャガーMk2(マークツー)は人々の視線を集めながら平日昼間の埼玉の国道を走る。

 いま僕は後部座席で、手首と足首を結束バンドで縛られて、十文字に膝枕されている。屈辱的だ。

 せめて助手席の秋月さんと十文字を取り替えてほしい。

「どこ逃げても同じ。私達必ず捕まえる」 

 家まで押しかけてきた上に、両親の顔と名前、そして心を掴んだ美人親子もといボスから逃げるべく、僕は家を飛び出した。両親は、「火事になった友人の家の片づけの手伝いに行く」と言えば簡単にごまかせた。 

「幸太郎くんがいない間、新宿の父部門はしばらくお休みだったんだよ。けれどおかげさまでネット占い部門の溜まりに溜まった予約を随分消化できた」

 十文字は印象の薄い目を窓の外に向けて穏やかにつぶやいた。揺れる車内でドアにぶつからないよう、僕の頭に手を添えられているのが、丁度頭を撫でられるみたいになっている。何が悲しくて男同士でこんな体勢を取らないといけないのだ。

「リアルのクライアントと対面できなくて暇だったんすね」

 鼻をひくつかせて「そんなことないよ」と嘘をつく十文字の表情はあまりにもわかりやすすぎて、視界を覗き見るまでもない。

「ボス、僕は仕事が嫌になったんじゃなくて石を売るのが嫌なんですよ。石を売らないのなら新宿に戻ります」

「なぜ? 既に予約二十件ある」

「なぜって、これは詐欺だからですよ。何の効果もない石を売り付ける仕事なんて間違っています」

「何の効果もない、っていうのは僕たちが決めることじゃなくてクライアントが決めることじゃないのかな? 占いだって、幸太郎くんの能力で直近の過去を見て、僕がこじつけてそれっぽく話しているに過ぎない。それでも僕らは、新宿の父としてやってこれたんだ。それは、僕たちの言葉に救われてきたクライアントがいるからじゃないのかな? 僕たちの占いが本物かどうかは関係ない。占いキングダムであることに意味があるんだよ」

 十文字に言葉で勝てるわけがない。僕は言い返すこともできず、ただただ無様な格好で十文字を睨み付ける。

「わかるー。わたし彼氏の使い終わったコンタクトレンズとか集めるけど、他の人のはゴミだもん。でも、彼氏のものならゴミでも嬉しいよ」

 秋月さん、それはいくらなんでもめちゃくちゃだ。それでまかり通るなら何だってアリだろ。

「僕はそうは思いません。だから下ろしてください。石なんかを売る占いキングダムでは働きたくないんです」

「下ろす、今?」

 ボスは後部座席のパワーウインドウを開けた。冷たい風が車内に吹き込む。十文字の膝に頭を置いて眺める窓の外には、東京と違って広く青い空が広がっていた。


 新宿パイナップルビルヂングの近くまで来たことは、十文字がずっと僕の頭に当てている手を通して分かっていた。

 田舎に転がる結束バンドで手足を縛られた無職男にはなりたくなくて、結局僕は新宿に帰ってきた。

 車を降りる直前、十文字が手足を解放してくれたが、車の外では秋月さんが見張っていて逃げられそうにもない。

「幸太郎、タクシー代稼げ」

 午後二時。新宿の父が忙しくなりはじめる時間。僕の逃避行は五時間程度で終わったのだ。

 今日は石を触らなくていいと言われたが、どうせ遅かれ早かれ石を巾着に詰めるだとか、発送のための梱包だとかの作業をさせられるはずだ。家でネジの袋詰をしていたほうがずっとずっと良い。


 僕は次の日、朝早くから家を出て電車に乗った。行くあてがあるわけではない。

 あの切れ者のボスのことだ。もしかすると僕の行動は読まれているのかもしれない。ならばそれを逆手に取って、あてどなくふらふらと、行き着くところまで行けばいいのでは、と思い至った。

 しばらくの間休みを取って旅行しているとでも考えれば、この無職期間の逃避行だって楽しめるはずだ。

 僕はインスタのストーリーに、先ほどの乗換駅で見つけた、変わった看板の写真を投稿した。いよいよ旅行らしいぞ。

 ボスが飽きるまで逃げ切ればいいだけ。

 長らく共に働いてきた人たちとの別れは寂しくないわけではないけれど、反面、大学に進学しなかった僕にとって、次の人生のステージに進む直前のような清々しさがある。

 僕は明るい未来に思いを馳せながら、車窓からの景色を眺めた。

 遠くに青い海が見える。換気のために開けられた窓から入る空気は冷たいけれども、気分がスッと、落ち着いていくようで気持ちが良い。

 僕がいつも乗る京浜(けいひん)東北(とうほく)線(せん)や埼(さい)京(きょう)線(せん)は、どこを見ても人や線路や建物に埋め尽くされていて面白くない。

 けれどこうして知らない町並みが車窓を通して目に飛び込んでくるのは、なんと新鮮で心の洗われることか。

 車両にはほとんど人がいない。僕は大きく伸びをした。視点が高くなり、線路と並走する車道が見えた。

 車通りは案外多い。でも都会と違って車間距離が広く、なんとなくゆったりしている気がする。穏やかだ。


 しかし事態は急転直下で変化する。

 僕は見つけてしまったのだ。

 その中に燦然と輝く、黄色の、ジャガーMk2を。

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