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自分の家が貧乏な理由を、親から詳しく教えてもらったことはない。知り合いに頼まれて連帯保証人になったところ、当の債務者本人がとんずらしたらしい、というのは噂好きのご近所さんが話しているのを聞いた。
ウン千万の借金を突然負った、当時銀行員の父。その話が体裁ばかり気にする上司の耳に入り、退職せざるを得ないような状況に追い込まれたのだということは、幼少期に父の視界を見るともなく見て知っていた。
それでも今、両親は楽しそうに生活している。料理で使った豆苗の根本をくりかえし栽培しては収穫し、床のきしむ猫の額ほどの家に住み、ズボンに空いたでっかい穴をアップリケで隠して履き続ける。爪に火を灯すような暮らし。一家団欒の時間すら内職に勤しむ両親。
そんな両親を反面教師に、僕はお金持ちになるべく中学生のときの新聞配達のアルバイトを皮切りにコツコツと貯金してきた。
親にも毎月少しずつお金を渡していて、受け取る母はいつも「大事に使わせてもらうね」と言うけれど、手を付けずに僕名義の通帳にせっせと貯め込んでいることくらい知っている。こうなれば互いの意地の張り合いだ。僕は毎月絶対に欠かすことなく、たまに多めに生活費を渡す。親は毎回そのお金を持って買い物に出掛けるふりをして、僕の銀行口座に預ける。
その額はそろそろ二百万に届こうとしている。
僕自身の貯金は現在五百五十万。十九歳にしては上出来な貯金額ではないだろうか。ボスの下でなければこうはならなかっただろう。ボスには心の底から感謝している。
だからって、何の変哲もない石を売りつけるような詐欺には、加担できない。
確かに僕はお金に並々ならぬ執着を持ってはいるが、他人を騙すようなことをしてまでお金持ちになりたいとは思っていない。
貧乏人にだって、これくらいの矜持は持たせてほしい。
「おはよう幸太郎。朝ごはんできてるよ」
母が用意してくれた朝ごはんと父が淹れてくれた珈琲を目の前に、僕はほうっと溜息をついた。
占いキングダムを辞めて初めての日曜日。「ロウドウキジュンホウ? ムズカシ日本語わかりません」とすっとぼけるようなボスだ。そんな彼女の下で、ほとんど毎日働いていた僕にとって、久々に家族と過ごす休日。
父と母は毎週日曜日、必ず休みを合わせ、二人で仲良く家で内職に勤しむ。金にがめつい僕とは違って、二人は清貧を楽しんでいる。夫婦揃ってネジの袋詰をする様子に、悲壮感は一切ない。
暖房も付けずに三人寄り添ってちまちま作業をしていると、玄関のチャイムが鳴った。父と母が同時に手を止めて腰を上げる。家にいる二人は片時も離れない。トイレや風呂については、さすがにそんなことはないと思うが。
一階の玄関から何やらきゃっきゃする声が聞こえてきて、ややもすればきしむ床に乗り上げる二つの新しい足音がした。
「どうぞ、今お茶をお淹れしますね」
二階に上がってきた母、その後ろには二人の女性。――秋月さんと、ボス。
六畳の居間は美女二人の輝きに隈なく照らされる。
やられた。
僕は言葉を失った。両親には自分がどんなアヤシイ仕事をしているかは、話していない。
「うちの息子は無口で何も言ってくれないから、お二人の話にびっくりですよ。さあどうぞ、こちらにお座りください」
父が、比較的きれいな座布団を二人に差し出した。
それと行き違うようなタイミングで、ボスが菓子折りの入った百貨店の紙袋を母に手渡す。
「あらまあ。ご丁寧に、ありがとうございます」
「いえいえ、ウチの娘が、お世話になりまして。感謝してもしきれないですよ」
何の話かはわからないが、二人がうちの両親をだまくらかして家に上がり込んできたことだけはわかる。
「幸太郎さん、あのときは本当にありがとうございました。私、怖くて声を上げられなかったので、とても助かったんです……」
昔のボスに似て清楚な見た目とは裏腹に腹黒なところがある秋月さんは、なかなかの名演技を見せつけてくれた。下手なことを言われないよう、僕は慎重に話を合わせる。
「……少しでも、お力になれたなら……良かったです……」
「幸太郎は昔からおとなしい子だったんですけど、まさか女の子を守って、痴漢を警察に突き出すなんてねえ」
なるほど。痴漢から助けてもらったからお礼がしたいと一芝居打ったのか。
「そうだなあ。仕事のおかげで逞しくなったんじゃないか? だとすると、辞めたのは少しもったいなかったかもなあ」
父がどえらい爆弾をぶちこむ。嬉しそうに顔を歪めるボスと視線がぶつかった。
「幸太郎は大人しいけれど、昔から鉄砲玉みたいにまっすぐなところがあるんですよ、お父さん」
「そういえばそうだったなあ。お母さんそっくりだね」
「やだもう。フフフ」
うちの両親は他人の前でだって構わずいちゃつく。そもそも他人との距離感がバグっている。だから容易く他人を信じ、騙されるのだ。
「お二人は仲がよろしいのですね。羨ましい限りです」
ボスは人の良さそうな笑顔を浮かべている。恐ろしい。美形にありがちな刺々しい真顔と、金が絡んだときのねばついた笑顔しか知らない僕には、穏やかなボスの笑顔は恐怖の対象でしかない。
ああ、このあと僕は、何だかんだと言って脅されて、慣れ親しんだ新宿パイナップルビルヂングに帰るのだろう。
今まで通り、人の視界を覗いて十文字に耳打ちする毎日。それに加えて、河原から石を拾って巾着に詰める仕事――だめだ、やっぱりそれはだめだ。
なんとか早く帰ってもらわねば。
「そうなんです。両親は仕事で忙しいのですが仲が良く、こうして貴重な休みを二人で過ごすんですよ」
「あら、でしたらあまり長居してはお邪魔ですよね」
秋月さんが目を丸くしている。白々しい。女の子という生き物のことが、信じられなくなりそうだ。
「とんでもない、どうぞお気遣いなく。せっかくいらしてくださったのですし、ごゆっくりなさってね」
「そうですよ。いやあ、我が息子ながら鼻が高いです。ご丁寧にいらしてくださったお二人に感謝ですなあ」
三十一歳のボスと二十歳の秋月さんが親子という設定はあまりにも無茶なんじゃないか。痴漢をどうこうしたくらいで家にまで感謝を伝えに来るなんて不自然じゃないか。
しかし人を疑うことを知らない僕の両親を騙すには、笑顔一つで充分らしい。
「ありがとうございます。澄子(すみこ)さん、篤志(あつし)さん」
勝ち誇ったようなボスの歪んだ笑顔に、僕の優しい両親は気づかない。
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