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僕らの職場、新宿パイナップルビルヂング。ガレージを改装した一階部分は僕らが占いをするスペース。二階は倉庫。窓がほとんどない、いかにも怪しい三階は、事務所兼『ボス』の居住スペースとなっている。
ケープとウィッグとフェイスベールの『占い師セット』と、指紋をきれいに拭き取った水晶を、二階の所定の位置にしまう。
――新しい棚が増えている。またボスの〝新事業〟がはじまるのだろう。
占いキングダ厶もボスが手掛ける事業の一つで、『ネット占い部門』と『新宿の父部門』の二つの部門で莫大な利益を生み出している。
僕が携わるのは、新宿の父部門。馬鹿馬鹿しい名称だけど、千里眼某はまさに百発百中の〝新宿の父〟であると呼び声が高い。
その新宿の父と電話やチャットで相談ができるネット占い部門は、遠方に住む人たちから人気で、予約は三か月待ちなのだとか。
もちろん遠方のクライアントのところまで行って僕が〝触れる〟わけにはいかない。ネット占い部門も当たるというよりは「大先生の言うことなら間違いない」という先入観だけで成り立っているようなものだろう。
人間はいつだって合理的じゃない。小さくすることはできても完全になくすことはできないバイアスが必ずある。
僕らの仕事は、そのバイアスを活用して、クライアントの悩みを解決に導き人生をより良いものにするお手伝いだ。だから、多少は嘘や誤魔化しが混ざってはいても、〝騙し〟ではない。
「おつかれさまです。どうぞボス、本日の売上です」
僕が軒先の片付けをしている間に衝立の後ろで今日の帳簿をつけていた十文字が、キャッシュボックスとノートをボスに手渡す。
「喜嗣、幸太郎。ご苦労。今日の『オヤジ行き』は?」
詳しくは知らないが、ベトナムとアメリカと中国のミックスルーツの彼女の言葉には、配慮も無駄もない。『事業はスピード感が命』という彼女の信条通り、その判断力を遺憾なく発揮して、多くの事業を成功させている。
「そうですねえ。――既婚者の彼氏といずれは結婚がしたいと相談に来られた、不倫中の『キミシマさん』なんかは、丁度いいかもしれません。幸太郎くんは、どう思う?」
『オヤジ行き』とは、例の凄腕占い師でビジネスパートナーの大原(おおはら)茂(しげる)さんと、僕らのクライアントの関係を取り持つことだ。クライアントから事前に聞いておいた連絡先に、『あなたから強い波動を感じるので連絡を取りたいと言っている人物がいます。もしよろしければこちらにご連絡お願いできないでしょうか』と怪しい一報を入れて大原さんの連絡先を渡す。これでクライアントが大原さんに連絡を取れば、大原さんからボスに紹介料が支払われるというシステムだ。
「僕も、あの女性がいいと思いますよ」
効率を考えれば、クライアント全員をオヤジ行きにしてしまえばよいものなのだが、そこは人気商売の難しいところ。『あそこの占い師は誰彼ともなく怪しい連絡をよこす』なんて噂が流れてしまうのはいただけない。
窓がない異様さを無視すれば、モデルハウスのように洒落た空間。フカフカのソファに座って、大学生で事務バイトの秋月(あきづき)さんが淹れてくれたお茶でまったりする僕たち。
貴重な癒やしのひとときを満喫する僕の前に、仁王立ちするボス。
「はじめる。『幸運(こううん)の石(いし)』ビジネス」
ボスは、スタイルが良くて派手な顔立ちの美人だ。余裕で玉の輿のひとつやふたつ乗れそうなのに、何もこんな怪しい事業までしなくったって。でもこの〝金への執着〟が、ボスと僕の共通項であり絆みたいなものだ。
「近所の河川敷で私達が心を込めて拾った石を売るんだって。一つ一万円」
ポカンとしていたであろう僕と十文字に、秋月さんが、明るい茶髪を指先でいじりながら補足してくれる。
「初月売上目標十万。しかし翌月百万。自信ある」
「なるほど、いよいよイカサマ占い師って感じがしますね。これをネタに何か書けないかなあ」
穏やかな口調に隠しきれないわくわく感をビシバシ感じる。
ロッキングチェアに腰掛けてテレビを見ていた大原さんが、こちらに怪訝な視線を送ってきた。僕らが三階に上がってきたときにはいなかったはずなのに、いつからここにいたのだろう。
「モノをココロの拠り所にさせるのはよくある手だが、私は全く興味がないね。それに、その商売は色々とギリギリのラインだ。やるなら君らだけでね。私は無関係ということで。くれぐれも気を付けるんだよ」
「オヤジ、うるさい」
六十代くらいの大原さんは、三十一歳のボスとはライバルでもビジネスパートナーでもあるけれど、傍から見れば親子のようだ。
「ボス、心を込めてって、具体的に何をするんですか? 神社で祈祷でもしてもらうんですか?」
僕は新ビジネスについてボスに疑問を投げかける。拾った石を一万円で売るなんて、一体どれだけの手間暇をかけるつもりなんだろう。
「ない。みんなで心込めてこれに詰める」
そう言って見せつけられる、ダンボールの中身。箱いっぱいの、手のひらサイズの巾着袋。
「詰めるだけ、ですか?」
「そう、詰めるだけ、の簡単なオシゴト」
ボスは無表情で、憮然とする僕を見つめ返す。そして、ゴツゴツしたただの石を僕の手に載せた。
「それって詐欺じゃないですか」
「どうして?」
どうしてって、ただの石を一万円で売るなんて、考えるまでもなく詐欺だ。金への執着が共通項だとは言ったけど、僕は詐欺を働いてまで稼ぎたいとは思わない。
「時給アップ、プラス五百円」
なんだって? 時給二千五百円……今と同じくらい働けば、月に――「いや、だめでしょ、ダメだって絶対、やめときましょうよ」
危うくなびくところだった。正気を保たねば。せめて僕だけは。大原さんは止める気なし、十文字は乗り気、秋月さんは何を考えているかよくわからない。
でも、僕一人が何を言ったって意味がない。いや、全員で束になってかかったってこの人は止まらない。
「なぜ? 石売る、買う人幸せ、私達金得る、皆幸せ」
優れた経営者が必ずしも人格者というわけではない。常識が通用しないことは良いことではないけれど、他人と違うことができるということはすなわち稼ぐ力なのだということは、ボスの下で嫌というほど見せられてきた。
奇妙な力を持っただけの貧乏人の僕を拾って、びっくりするくらいの給料をくれたボス。感謝して尊敬してここまでついてきた。
でももう、ここまでだ。
僕は石ころを白い大理石のテーブルに置いた。
「ボス、今までお世話になりました。僕は詐欺に加担できません。今日限りで辞めさせていただきます」
リュックを担いでボスに背を向けた。石は売らないから辞めないでくれ、と引き留められることを期待する僕がいる。
しかし思いも虚しく、僕は新宿パイナップルビルヂングを、いともたやすく後にした。
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