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城築ゆう

1


 皮膚が、触れる。

 その瞬間僕の脳に流れ込む映像。七日間の、僕のじゃない記憶。正確には、視界。


 ――一日のほとんどを、パソコンを見て過ごしている。

 ノートパソコンに映し出される、英語のような何かをずっと読んでいる。

 パソコンの隣に置かれたモニターで、画面を確認するように見ては、顔を手で覆ったり、机に突っ伏したり、が繰り返される。何度目かに顔を上げたときに見た窓の外は暗い。

 次の日も、次の日も、次の日も次の日も次の日も、月曜日から金曜日までの毎日、そう過ごしている。

 一方で、食べ物を見ている時間が極端に少ない。

 朝は目が開いたらすぐスーツに着替えて、顔を洗い歯を磨き、ぼやけた視界を眼鏡で正して、出かける。

 朝ごはんは食べないようだ。昼は、パンやおにぎりの封を開けたきり。食べているのだろうけれど、視界には例の英語みたいな文章しか映らない。夜はカップ麺。視界の隅に箸が上下するのがちらつくが、視界の中央にはパソコン。たまにスマホ。

 この人は、ゆっくり食事を摂る時間を楽しむ余裕もないくらい、仕事に追われているらしい。


――中学三年生のときから十九歳の今までずっとこの仕事をしてきた僕は、『視界』を通してしか世の中を知らない。言い換えると、大学へ進学せず、新聞配達と〝これ〟以外の仕事をしたこともなく、ひたすら毎日他人の視界を覗いて、勝手に人生を知っている。


「では、先生に代わります。あなたの波長が先生の波長に合うまでしばしお時間を頂戴いたします。お手元の水晶に集中して、思念を先生にお向けください」

 僕は馴染み深い意味不明なセリフを吐いて退き、衝立の後ろに控える千里眼=オリバー=エドワードこと十文字喜嗣(じゅうもんじよしつぐ)に、さきほど覗いた視界の内容を耳打ちして共有する。

 十文字は、金髪のウィッグを被り、紫色の高そうな生地のケープを羽織り、金の刺繍が施されたベールで鼻から下の顔面を覆った。

 了解、とにこやかに親指を上げるのがたまらなく胡散臭い。

 クライアントの隣に座り、千里眼(せんりがん)=オリバー=エドワード先生を恭しく迎える。

 僕はこの『占いキングダム』で、占い師見習いとして、千里眼=オリバー=エドワード先生の〝お手伝い〟をしている。

「初めまして、ゴトウ様。あなたの全てはこの水晶が教えてくれました。――ゴトウ様、あなたからは、健康面についてご相談いただいていると、弟子の佐藤から伺っておりますが――」

 佐藤(さとう)幸太郎(こうたろう)。僕の本名。十文字はゴリゴリの偽名なのに、僕は本名でこの怪しい仕事をやっている。

「あなたは電子の気を帯びていますね。――お仕事ではパソコンを使われているはずです。それも、かなり。エンジニア……プログラマーといったところでしょうか」

「は、はい、まさに、システムを開発する会社で、プログラマーをしています」

「ふむ。お仕事はかなり大変なようですね。毎日毎日、遅くまで。酷使によって、あなたの目には濁りが満ちています。もちろん、見た目にはわかりませんがね」

 よくこんなにもスラスラといい加減なことが言えるものだと、僕は毎回感心する。

 作家志望だという十文字は、適当な言葉を瞬時に並べてそれっぽく話す能力を買われてこの仕事をしているらしいが、それってただの詐欺師の才能なんじゃないか。

「ところでゴトウ様、あなた最近、野菜を召し上がりましたか?」

「野菜、ですか? うーん……」

「思い出せないでしょう、ええ。――なぜならあなたからは、野菜の持つ、みなぎる生命のパワーが一切感じられません。そうですね……加工食品ばかりで、食事を済ませて……いませんよね?」

 出た。質問を否定形で繰り出すのは、コールドリーディングの手法だ。というのは最近、占いキングダムのライバル兼ビジネスパートナーである大原(おおはら)さんから教えてもらった。

 大原さんはれっきとした凄腕占い師だ――コールドリーディングなどの心理学を駆使した。

「はい、もっぱらパンとカップ麺です」

「それだけお仕事が大変なんですね――ですが、食事は生活の基本です。医食同源。食べることは命をつなぐことです。――ゴトウ様、お好きな食べ物は?」

「好きな食べ物ですか……そうですね、実家の母が作る、肉じゃがが余った次の日のリメイクコロッケが好きです。味が染みていて絶品なんです」

「なるほど。それはそれは、素敵ですね」

 十文字は、優しい声色でゴトウさんの心を優しく包み込む――という表現が正しいと十文字に言われた。この上なくきな臭い。

「ゴトウ様、よくお聞きください。あなたは今まで、本当によく踏ん張ってこられました。それはもう、仕事が気がかりで夜も眠れないほど」

 ゴトウさんの不眠症は結構深刻そうだった。視界を見る限りでは、夜中のほとんどを天井を眺めて過ごしている。占いなんかよりよっぽど病院に行ったほうが良い。

 見透かされたと勘違いしているゴトウさんは、目を丸くしている。

「まずは一日一食でもよろしいですから、お味噌汁とお米を食事に取り入れてください。味噌と米の組み合わせは、古来我々の体をパワーで満たしてきました。作る時間がなければ、最初はインスタントのお味噌汁でも構いません。そして――」

 ゴトウさんはすっかり心酔した様子で、十文字の生活習慣アドバイスに耳を傾けている。まるで十文字のことをとんでもない大先生だと思っているようだ。

 誤解なきよう。十文字はそんなすごいやつではない。透視は僕の能力だし、この占いキングダムでは僕の後輩で、占いの仕事がない日などは近所のスーパーでアルバイトをしている、ただの二十七歳独身男だ。多分、彼女もいない。

「やっぱり……やっぱり僕は、田舎に帰って家業を継ごうと思います! ずっと、悩んでいたんです。意地張って田舎を出て、東京に働きに来て、でも昨年父が病に倒れたって聞いて……それでもなんだか、家出同然だった自分が、『仕事が大変だから父の病にかこつけて田舎に帰る』、みたいになってしまいそうなのが嫌で……」

 十文字の生活アドバイスはいつの間にか人生相談になっていたようだ。『人生は日々の生活の積み重ねだ』などといえばいくらでも話題を大きく展開できるんだ、っていうのは、十文字がクライアントからいたく感謝されたときに、裏で僕らに控えめに自慢するときの常套句。

 十文字はフェイスベールから覗く目を細めて、人の良さそうな笑みを浮かべながら、何やら〝ありがたいお言葉〟を繰り出している。

 僕は、衝立にべたべたと貼り付けた怪しげな装飾に紛れ込ませて目立たなくしたストップウォッチに目をやって、残り二分となっていることを確認した。

 占いキングダムは十五分一セットで二千円という料金体系をとっている。ただし――。

「ではゴトウ様、そろそろお時間のようです。規定の相談料は二千円ではございますが、お気持ち次第の頂戴とさせていただいております。つまり、結果にご納得いただけなければ料金は頂戴しませんし、もしもご満足いただけたのであれば、先生へのお気持ち次第でお納めいただければと思います」

 こう話すと、体感的には二割の人が二千円を出す。残り四割ずつくらいで、一万円か五千円を出す。

 それも当たり前。僕の『触れるとその人の過去七日間の視界が見える』能力で、その人の直近一週間の行動に限っては丸わかりなのだから、僕、いや千里眼某(なにがし)は、クライアントにとってはまさしく外れ知らずの大占い師なのだ。

 占いが当たっていると感じるか外れていると感じるかは、未来というよりむしろ過去についてのほうが重要である。

 例えば『あなたは将来幸せを掴みます』と言えば、それ以後どこかでハッピーになったタイミングが少しでもあれば当たったことになる。けれども『あなたは過去にとんでもない恐怖を味わいましたね』と言って当てはまらなかった場合。それは『ハズレ』となり、クライアントの信頼を失い、占い師は途端に詐欺師に落ちぶれる。

 つまり『過去の当たり判定』はシビアなのである。

 だから僕のこの能力は強い。まるで「占いでもして稼ぎまくれ」と神から与えられたみたいだ。


「幸太郎くん、今日も満員御礼、濡れ手に粟だね」

 ゴトウさんからなんと五万円も受け取った十文字はしかし、金にはさほど興味なさそうにぼうっと空を眺めている。新宿の空なんて今更見るものもないのに。

 今日のクライアントの話から、次に書く小説のネタでも練っているのだろう。

「幸太郎くん、チップ、もらってよ」

 どこぞの会社の御曹司だという十文字は金に頓着がない。某有名大学の文学部を出て、作家を夢見て実家の豪邸を飛び出し、あえてボロアパートに住まい、給料以外の目的でこの仕事を選んでいる。

 なにもかもが僕と正反対だ。

「どうも、遠慮なく」

 時給二千円。それに加えて、クライアントから受け取った料金から二千円を引いた金額の二割、今回の場合は九千六百円を、十文字と僕がボーナスとして山分けできることになっている。

 十文字は、貧乏人の僕への気遣いとかではなく、ただただ生まれ育ちの良さから来る無欲さで僕にこのボーナスを丸ごとくれる。

「でさ、さっきの『二人の男性から言い寄られる悩ましい美女』の話、もっと聞かせてくれないかなあ? まるで菟原(うない)処女(おとめ)の伝説だよね。次作はファムファタール物なんだ。もちろんクライアントが特定されるようなことは書かない。あくまでも参考程度に。教えてくれないかな? ね。お願い、この通りだよ」

 フードとウィッグを外し、あまりにも平凡な顔の前で手を合わせて僕を拝み倒す十文字。

 前言撤回。彼は金銭に対してのみ無欲。創作のネタ集めのためにこんな仕事をしているなんて、ある意味かなり欲深い。

 言われないとイイトコの坊っちゃんだなんてわからないような、特徴に欠け過ぎるその凡庸な顔をしばらく無言で見つめ続けると、「悪かったよ、しつこく言ってごめんなさい」と折れるから、僕はこの男が嫌いじゃない。


 午前零時過ぎ。寒空の下、商店街を行き交う人々はやがてアルコールで理性を失い、人間の数が少なくなるのと反比例するようにひとりひとりの声量が大きくなる。

 反響する酔っ払いたちの声を聞きながら、嘘みたいに悪趣味な看板やのぼりをしまい、シャッターを下ろし、僕たちはその日の営業を終えた。

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