18_まさなりさんがやっちゃった

 宗田本家のパーティーということで、見知った顔が集まった。と言ってもいつものメンバーとあまり変わらない。

 華一家はもちろん、池沢一家、広岡一家、ぶちょーさん、ジェイ。さらに加わっているのが野瀬たんとさわじゅん。珍しくなかパパがちょっと寄って行った。

 野瀬たんもさわじゅんも子どもたちに遊んでもらっている。いいシャンパンを飲んだものだから心が軽くなって、次に来る時のお土産を安請け合いしまくっていた。

 別に特別なことがあってのパーティーじゃない……いや。あるのだが、それは宗田家の問題なので華は何も言っていない。今日はまさなりさんの55歳の誕生日だ。


 9時半ごろ、野瀬たんとさわじゅんは一緒に帰った。帰りの電車の中で二人は『子どもっていいもんだ』を繰り返し喋った。

「お前、まだ独身続けるのか?」

「野瀬さんこそ! 俺はまだ遊んでいたいですね。でもなぁ、同期の華が3人の子持ちだしなぁ……」

 そんな話を別れるまでしていた。二人だってそういうお年頃だ。

 次に帰ったのは池沢一家。金曜だからこれから三途川家に行って2泊する。三途川家には池沢の父がいて介護が必要だからなるべく週末には行くようにしているのだ。

 そして、広岡一家。椿紗が眠くなっているし、妊娠5ヶ月の莉々は疲れが見え始めていた。

「気をつけて帰れよ。広岡、頼むな」

「大丈夫だよ、酒飲んでないし。哲平、莉々ってさ」

 そこで小声になる。

「お腹が大きくなっても可愛いよな」

「さっさと帰れ!」

 妹のことでのろけられるなんて聞きたくもない。


 残ったのは、華一家、哲平一家、ぶちょー、ジェイ。

「ん? 皆さん帰ってしまったのかな?」

「まさなりさんがワインでうとうとするから」

 ゆめさんがちょっとまさなりさんをたしなめる。

「嘘よ。あのね、みんなそれぞれ用があって帰ったの。まさなりさんが寝たせいじゃないから」

 真理恵はしょぼんとしたまさなりさんを慰めた。

「ありがとう。真理恵ちゃんはいつも優しいね。ボーイ&ガールズは?」

「寝せましたよ。もう10時半ですもの」

 ゆめさんは子どもたちを2階のゲストルームに寝かせてきた。ベッドはクィーンサイズでふかふか。天蓋てんがいがある。子どもたちはそこで寝るのが嬉しくてならない。まだ1年生だからいまだに華月、華音、和愛と3人並んで眠っている。


「河野さん、ジェローム。お二人も泊まっていくでしょう?」

 ゆめさんの言葉にジェイの目がきらきらと輝いた。

 2階には他の部屋から離れた丸い部屋がある。その屋根は塔のように先端が尖っていて、3方に窓。ベランダは広くてテーブルも椅子もあり、月明かりの下でお酒を飲むにはもってこいだ。

 ジェイは一度そこに泊ったことがあり、今回は蓮をそこに寝せてあげたいと思っていた。さすがに二人で寝るのはどうかと、そのくらいのことを考えられる程度に酔っている。

「泊まっていいんですか!?」

「もちろんだよ、ジェイ。君のことを私は『マイボーイ』だと思ってるんだ。君のような心の中に広い庭園を持っている人は、日本にはなかなかいないよ」

(庭園ねぇ…… 父さんは相変わらず上手い例えをする)

「河野さん、いいでしょう?」

 ゆめさんがさらにぶちょーを誘った。ジェイが泊まるなら当然泊まるだろうと夫妻は知っている。それを知られていることをぶちょーも知っている。


 トイレから出てきた哲平が部屋に入りつつあった。


「あの部屋は広いですしね、ベッドはキングサイズです。お二人で寝ても充分動き回れますよ」

 ゆめさんが嬉しそうに勧めた。

「母さん、ちょっと待って、何言い出す」

「そうだ、お二人の馴れ初めも聞きたい。ちゃんとした新婚旅行はしなかったのですか? ご結婚は教会でしたね」


「ぶちょー? ジェイ?」

 固まらなかったのはまさなりさんとゆめさんだけ。ぶちょーは呆けたように呟いた。

「哲平がいたんだった……」


 華でさえ言葉が出ない沈黙を、沈黙にしなかったのはまさなりさんだった。

「そうだったね、哲平くんが帰っていないとは聞いていなかった。華、言えば気をつけたのに」

「父さん!」

「まさなりさんは知っている人ばっかり残っていると思ってたんだから仕方がないことよ。許してあげて、華」

「母さん!」

 そういうことじゃないんだ! と言いたいのが、まともな文章になって口から出て来ない。自分がこれを……河野部長とジェイとの関係を知ってどれほどショックを受けたか、悩んだか。

 それだけじゃない、それを感じた二人もショックを受け不安に包まれたはずなのだ。

 それを思ったからこそ理解だとか受け入れるだとか、そういうことではなく二人との関係を続けたい、その一心でやっとコミュニケーションが復活したのだ。


 華は哲平から目を背けたいのに、くるっと正面から自分を見た哲平をまともに凝視してしまった。

「ああの、あのね、落ち着いて、てっぺ、って、てっぺ」

「お前が落ち着け」

「はい、てっぺいさん」

 人生でここまで泡食ったことは無い。それを言えば、ここにいる全員……約2名を除く……が泡を食った状態から脱していない。

「てっぺいさん、聞いちゃってた?」

 真理恵の声も上ずっているし、妙な言い方になっている。

「聞いちゃってたけど」

 なぜか哲平が一番冷静だ。淡々と話している哲平に、ぶちょーは……蓮はどうしていいか分からずにいる。知られた時はそれでもいいと普段からそう思っているが、今回はあまりの不意打ちで現実を受け止めるのに追いついていない。華に知られた時は向き合えたのに、何せ寛いでいる最中だった。


「華、君のそんな姿、初めて見たよ! そんな顔もするんだねぇ。座って話したらどうだい? ゆめさん、新しいワインを出そうか。まだ零時を過ぎていない、私の誕生日は終わっていないよ」

「そうでした! いいのを出してくるから待っててね。真理恵ちゃん、グラスを新しいのに変えてもらっていい?」

「は、はい」

 救われた思いで真理恵はそこを離れた。華から聞いた時、華のケアをする方が先だったしそんなに構えることなく自分は受け入れられた。それはきっとまさなりさん夫妻の考え方の影響もあったのだと思う。

(でも哲平さんは本当に普通の人だから。そういう在り方に触れたことも無い普通の人……じゃ、宗田の家に関わる人たちって普通じゃなかったってこと?)

そこまで考えて唖然とした。

(私、普通の女の人とどこか違うの?)


 ジェイはただパニックを起こしていた。長いこと誰にも知られないようにと人前で自分を抑えてきたのだ。

 華に知られた時、どうしても顔を上げられなかった自分を後からすごく悔いた。華にも下を向くなと言われた。

(恥ずかしいことをしてるんじゃないのに……俺が俯くとそれは蓮を否定してることになるのに)

だが、今また自分が俯いていくのを止めることが出来ない……


「なあ、座らないか? 今いいワインが来るって聞いたろ? とにかく座ろうよ、落ち着かないし」

 哲平の指示を実行するかのように、全員が優雅なソファに座った。華が家を出る時に持って行ったソファの代わりに、艶やかで柔らかい皮張りのソファが広々とピアノの近くに置かれている。


「哲平、俺からちゃんと話すよ」

 蓮が話そうとするのを手を上げて哲平が止めた。

「すみません、ちょっとだけ時間ください。ちょっとでいいんで」

「分かった」

(哲平さんが、動くより喋るより先に考えてる……)

失礼なことを考えたことにも気づかないほど、華は不安でしょうがない。そしてあることに気づいた。

(俺、あんなに認めるとか受け入れるとかって拘って考えたのに。けど今は哲平さんに否定されるんじゃないかって……ドン引きされるんじゃないかって怖がってる)


 それほど長く待たずに哲平がみんなの顔を見回した。

「知らなかったのって、俺だけってこと?」

「そうだね、哲平くんを除いたここにいる人たちしか知らないんだよ」

 普通に話すまさなりさんは、今や尊敬に値する人になっている。そうだった、まさなりさんは、三途川方面のことを知らない。

「あの、三途さん、知ってます……」

「ジェイ! 俺、それ知らなかった!」

 華と真理恵が驚く。ありさはチラリともそんな素振りを見せなかったからだ。

「あれ、そうだった?」

「いつから知ってんだよ、三途さん!」

「えっと、入社した時のゴールデンウィーク明けから……」

「え? ぶちょー……河野さんって今は呼んでいいっすか?」

「いいよ、今は上も下も無い話だ」

 やっと蓮は普通に戻った。頭も冷静になっている。だから哲平とちゃんと向き合って話したいと思っている。

「要するに、二人は知り合って1ヶ月も経たない内にその……愛し合っちゃったってことですか?」

 まともに言われて蓮は返事をし損ねた。ジェイが素直に頷いた。

「……うん」

「へぇ! ごめん、俺の頭、またぶっ飛んだ! 落ち着け、俺!」

 哲平が自分の顔を叩いている。けれどそこに華やジェイが危惧したような反応は見えない。

「あ、ワイン飲んだらどうですか? せっかく冷えてるし。ゆめさん、いただきます!」

「どうぞ」

 ゆめさんはにこにこしている。みんなが『まさなりさん』『ゆめさん』と呼んでくれるのが嬉しい。

 哲平のお蔭でみんなワインを手に取った。味わうというより、喉の渇きを潤したくてみんながぶっと一飲みする。すぐにまさなりさんがみんなのグラスにワインを注いで回った。


「哲平、話してもいいか?」

「河野さんの『説明』ってのを聞くより、俺が質問してってもいいっすか?」

「……いいよ」

「えっと、……ねぇ、こういうお通夜みたいなのやめようよ! 悪いこと話すわけじゃないんだし」

「えっ?」

「えって、ジェイ、俺変なこと言ったか?」

「あのっ」

 哲平の問いに、逆に返事が詰まる。

「哲平さんさ、この話、ちゃんと理解して驚いてる?」

「なに言ってんの、華。驚かないわけないだろ! 『デカいベッドで二人で動き回る』から始まって『結婚式は教会』だろ!? そりゃ驚くさ! 酔いが醒めたよ」

「ごめんなさい……」

 ジェイの呟くような一言に、焦った顔だった哲平の顔色がいっぺんに変わった。

「なんだって?」

 ジェイはまた俯いてしまった。

「……」

「お前さ、今の、河野さんに謝れ」

 真剣なその言葉が頭に沁み込んで来て、ジェイは顔を上げた。

「謝る意味は分かるか?」

 今のジェイにはよく分かっていない、何せまだ落ち着いていない。

「結婚までしたんだろ! それって愛してるってことじゃないのか? なのにお前はその愛が恥ずかしいって言うのか! それじゃ河野さんの気持ちはどうなるんだ!」

 まさかそう怒られるとは思わなかったジェイ。そこを怒ってもらえるとは思わなかった蓮。

「哲平、俺が言うのも変だが……お前にはこのことに対する否定は無いのか?」

「なんでです? 他の人間がそうだからですか? 正直分かんないです。でも千枝と結婚する前の俺なら確かに自信無いかも」

 そう言いながら立ち上がってジェイの前に立った。

「立て、ジェイ」

 素直に立つと、頬が一瞬で熱くなった。ジェイの手がその頬を押さえる。その時には蓮が立ちあがってジェイの前に立っていた。

「ジェイ、目の前を見ろよ」

 蓮と睨み合いになったままだ。ジェイが見たのは蓮の背中だった。

「お前を引っ叩いた途端に河野さんはお前の前に立ったぞ。なのにお前のやることは『ごめんなさい』を言うことなのか? 河野さん、どいてください。これは夫婦でやることじゃない、兄弟だからやることです。出来の悪い弟の面倒を見るのは兄貴の役目だ」

 張り詰めていた蓮の体から力が抜けていき、目が和らいでいく。

「ジェイ、俺の言ってることが分かるか? 分かんないか?」

 哲平の言葉。

「……分かる」

「じゃ、どうすればいいかも分かるよな?」

「……蓮」

 蓮の顔がゆっくり振り返る。みんなのいる前で自分がそう呼ばれるのは初めてだ。

「ごめん。俺、いけないって分かってたんだ。下を向くのもどうしようって思うのもだめだって。でも…… 俺のやったこと、蓮に対する裏切りだよね。悪かったです。ごめんなさい。すごく……すごく、悪い、ことした……」

 泣き出したジェイを蓮は胸に引き寄せた。

「いいよ、ジェイ。怒ってない。多分普通の反応なんだろう。そう思ってるよ。でも、出来れば堂々としていてほしい。俺もそうありたいから」

「うん、うん……」


 座り直して哲平は一口ワインを飲んだ。

「そうか、河野さん、ずっとジェイに一生懸命だった。時々ね、不思議に思ったことはあったんだよね。河野さん、相田のことがあった時必死だったし。ジェイは河野さんに縋りっ放しだったし。一目惚れ、とか言うのなんですか?」

「違う、気がついたら……惚れてた」

「惚れて……いい言葉だな…… ゴールデンウィーク前って、記憶の中じゃジェイの歓迎会がありましたよね? あの辺りってことですか?」

「いろいろこいつのことを知ってから何かしてやりたくなったんだ。それで……遊園地に連れて行った。行きたいって言われて」

「遊園地……ああ! あの時お前が言った『彼女』って、河野さんのことだったの!?」

「うん」

 哲平は笑い出した。

「そうか! だから写真見せろって言われて慌てたんだな! 覚えてるよ、髪が長くて」

 蓮を見て納得したように頷く。

「目が切れ長で、背が高い だったよな?」

「そっか……あれ、河野さんのことだったんだ!」

 後ろからの声に哲平は華を振り返った。

「なんだよ、俺より先に知ってたのに今頃分かったのか?」

「頭ん中で結びついてなかったんだよ!」

「ってことはジェイ、お前は俺たちに何も嘘はついてなかったんだな。俺たちが勝手に相手を女の子だって思っただけだったのか。お前は本当に正直なヤツだよ」

 哲平の声が嬉しそうに聞こえる。


「待って、俺哲平さんの今取っている態度とか行動とか、よく分かんない。どう思ってるの? あれこれ聞き出してさ、結局さよならって言うんだとしたら俺は許さないよ! だったら何も聞かないで和愛連れて帰れよ!」

「華さん!」

 哲平は立ち上がった華の手を引っ張って座らせた。

「なに、一人でエキサイトしてんだよ。知ってるやつと知ってる子の結婚の話でも、この程度のこと聞くだろ? お前、なに構えてるんだ?」

「じゃ哲平さんは何も構えてないの!? この場しのぎの言葉なら聞きたくないからね!」

「……めんどくさいやつだな」

 哲平は首筋を掻いた。

「分かった! その辺が気になって話が進まないってことだよな。河野さん、インドの事情って知ってますか?」

「インド?」

「実は俺、向こうに行って最初に招待された同僚のパーティーは結婚式でした。同僚と同僚の。アニクとシュニアってヤツ。気のいい二人でさ、すごくいい関係だな! ってのが第一印象でした。まさか男同士で恋人だとは思わなかったけど。向こうでは長いこと同性同士の恋愛は犯罪扱いだったそうです。見つかると10年の禁固刑」

「はんざい?」

「そうなんだよ。ジェイ、それっておかしいだろ? 愛する気持ちが犯罪として見られて、しかも10年刑務所に入るんだ。それは間違ってる。確かに同性の結婚って異質だけどさ、人を思う気持ちに刑罰って許せない! って思ったんだよ。しょうがないだろ、男と女しかいない中で男が男を選んじゃったんだから」

 みんな初めて聞く話だ。でもまさなりさんとゆめさんは穏やかな顔で哲平を見ていた。

「それが最高裁で合法になったんですよ。それも俺がインドに行く直前。アニクとシュニアはずっと隠れて付き合ってた。それぞれ家族がいるし向こうって親戚関係っていうか、一族っていう結びつきが強いからな。だから犯罪者を出すわけにはいかないって思いつめてた」

 哲平はもう一口ワインを飲んだ。

「けど、法的に認められたんだ、その愛が。どうやらみんな知ってたらしくってさ、そのパーティー、同僚がサプライズで用意したんだよ。正式なのはきっと別にやったんだろうけど、けじめをつけてあげなくちゃ可哀そうだってんで周りが企画したんだ」

 違う世界でもそんなことが起きている…… 自分たちのことしか見えていなかったジェイにはすごく新鮮な話で、瞬きも忘れて聞き入った。

「あっちの人間って正直言って俺はあんまり好きじゃない。たまたま俺のいた支社がそうだっただけかもしんないけど、みんな人の仕事に冷たくてさ。ドライで楽な時もあったけど、でも俺は互いに心を通じ合える方が好きだ。けど、その仮の結婚式、すごく良かったですよ」

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