第10話 卒業式
早いもので、長く厳しい冬も終わりに差し掛かっていた。三年生は卒業の季節だった。
「・・・」
三年生たちが卒業していく。その姿を純は、在校生たちの席の中から黙って見つめていた。その中には、サッカー部の先輩たちもいた。
壇上にあの副キャプテンの中川が上った。壇上を左から右へと歩いて行き、校長先生から卒業証書を受け取る。そして、そのまま右へと歩いて行き壇上から降りていく。
「・・・」
その姿に、純は不思議となんの感情も湧かなかった。まるでその機能自体失ったみたいに何も感じることがなかった。目の前の出来事が、どこか夢か幻であるみたいに現実感がなかった。
卒業式の日。日明の一年生としての一年も終わろうとしていた。日明も在校生の席から、卒業式を見つめる。
「・・・」
一年が終わったからといって、日明の何かが終わったわけでも、何かが始まるわけでもなかった。日明の時間は、隆史が死んだあの時のままとまっていた。
だが、しかし、そんな日明個人の事情とは関係なく、儀式としての卒業は淡々と行われ、それに生徒たちは流れてゆく。日明もその流れの中で、自分の意思とは関係なくその中の個として共に流れていった。
今日は部の練習もなく、日明は卒業式が終わった後、一人学校からの帰り道を歩いていた。ちょっとした春の気配を感じさせるのどかな午後の雰囲気が漂う時間だった。
卒業式という特別な日ということもあり、いじめもなく、いつも絡んでくる不良の先輩たちが絡んでくることもなく、そして、過酷な部の練習もない、久しぶりにほっとできる午後だった。
「おいっ」
人気のない田んぼ道。突然、背後で声がして日明は振り返る。そこには、今日卒業したばかりのサッカー部の中心にいた三年生たちがずらりと並んでいた。その中にはキャプテンの黒田までがいた。
「・・・」
全員がものすごい形相で日明を睨みつけている。なぜ、先輩たちがそこに並んでいるのか、もちろん、日明はすぐに分かった。ここでわざわざ日明を、待ち伏せしていたのだろう。しかし、それが分かっても、この時、日明は逃げることは考えなかった。
「てめぇ、なめた態度取ってくれたよな」
中心にいた中川が静かな、それでいてドスの利いた声音で、日明に近づいて来た。それに連動して他の三年も日明に迫る。
「お前のせいで高校選手権の決勝もパーだよ」
隣りの山田が言った。
「・・・」
日明は何も言わず、視線を合わせないように無抵抗にただうつむいていた。
「なんとか言えこのやろう」
赤羽が、持っていた鞄で日明を殴った。日明は少し横によろける。
「・・・」
しかし、日明はやはり抵抗せず黙っていた。
「なんか言えよ」
その後ろから、小尾が出て来て日明を小突く。それでも日明は黙っている。
「ふざけてんじゃねぇぞ」
そして、そんな日明に業を煮やした清水が、その後ろから、日明を足裏で正面から蹴った。日明は苦痛に顔を歪め、前屈みに腹を抑える。
そして、それが、きっかけとなり、次から次へと先輩たちが、日明を囲み、殴り、蹴り、罵声を浴びせた。
「調子こいてんじゃねぇぞ。てめぇ」
「ふざけやがって」
「何様なんだよ」
日明は、そんな先輩たちの暴行を真正面から受け、倒れ込む。その倒れ込んだ日明に、さらに寄ってたかって先輩たちは蹴りを入れる。
「うううっ」
日明は、先輩たちの集団暴行をまともに受け、苦しそうにうめく。
しかし、一度火のついた興奮は、暴力と共にさらに高まっていく。暴行はさらに激しさを増す。日明は無抵抗にされるがまま、それに耐えていた。そして、日明は動かなくなっていく。
「おいっ、もういいだろ」
そんな日明の様子を見て、一人暴行に加わらず少し離れたところから見ていた三年の中では小心でやさしいキャラの小平が止めに入った。やさしいキャラでもやはり一緒に来ているところが彼ではあった。
「死んじまうぞ」
小平はさらに言った。
「・・・」
さすがに、死という言葉にビビった他の三年生たちはそこで暴行をやめた。
「けっ」
しかし、怒りの治まらない形相の、先輩連中は倒れる日明を上から睨みつける。
「おいっ、もう行こうぜ」
普段態度がデカい癖に、意外と小心な小尾が中川に言った。
「ああ、誰か来る」
赤羽が言った。推薦での大学進学が決まっている彼は、問題が起きることを恐れていた。人気のない場所とはいえ、一応そこは通学路になっていたので、他の生徒も通るし、地元の人間も通る。
「チッ、しょうがねぇな」
中川が舌打ちする。
「ペッ」
そして、倒れ動けなくなっている日明に、最後に唾を吐きかけると、先輩たちは去って行った。
「・・・」
三年生が去った後も、日明はしばらく、その場に横向きで丸まるようにして倒れたまま動かなかった。
そこに、まだ冷たくはあったが春を感じさせるような穏やかな風と、その頭上のはるか上の晴れ渡った空に漂う大きな綿雲がほわほわと流れていった。
「・・・」
日明は倒れたままただ息をしていた。意識はあった。しかし、日明は固まったみたいにじっとしたまま、その場から動こうとしなかった。
そんな日明の上に、人影が下りた。また、先輩連中が戻って来たのかと日明が顔をねじるようにして、それを見上げる。
「何やってんの?」
美希だった。美希は仁王立ちで日明を見下ろしている。
「別に」
日明は、答えたが、やはり、倒れたまま動かない。
「パンツ見えるぞ」
美希の制服のスカートはかなり短かった。日明の角度からはまさに丸見えだった。
「いいわよ別に」
だが、美希は動じない。
日明は、そこでやっとゆっくりと痛む体を引き起こし、その場に胡坐で座り込んだ。
「派手にやられたわね」
「見てたのかよ」
「見てたわ全部」
「・・・」
日明は黙っている。
「泣かないんだ」
「泣く訳ねぇだろ」
日明は口元の血を拭った。
「そこは変わらないんだね」
「・・・」
日明はタバコを取り出し、口に咥えた。日明は、事故以降、酒も悪行もやめたが、タバコだけはなかなかやめられずにいた。
「やめなさいよ」
美希が日明の咥えているタバコを素早く手で払った。払われたたばこは地面をコロコロと転がっていく。
「何すんだよ」
「やめなさいよ」
「うるせぇよ」
日明はもう一本取り出しくわえると火をつけた。
「退学になるわよ」
「・・・」
日明は、くわえたタバコを口から抜き取り、思いっきり地面にたたきつけた。
「なんだよ。クソッ」
日明は苛立たし気に叫んだ。
「因果応報よ」
「うるせぇよ。なんなんだよ」
「あたしの、恨みも忘れないでよね」
「あっ?」
「あんたにゴミのように捨てられた女の恨みをね」
「・・・」
「あんた女子にもめっちゃ嫌われてるからね。今」
「知ってるよ」
日明は事故以来、学校中の女子からも総スカンをされていた。もともと女をセックスの道具くらいにしか扱っていなかったツケが、ここに来て爆発していた。
女子は共感性が高く、一人に嫌われると連動してその仲間全員が総攻撃してくる。日明は、学校中の女子生徒から睨まれ、敵視されていた。勢いのある時はキャーキャーと持ち上げていた女子たちでさえも、落ち目になると一気に手のひらを返して日明の敵になっていた。
日明は美希を無視して、立ち上がるとそのまま歩き出した。
「なんだよ」
日明が後ろを見る。なぜか、その後ろに美希がついて来る。
「ついてくんなよ」
「いいでしょ別に」
「よくねぇよ」
それでも美希は、日明の後ろを一定の距離を保ちながらついてくる。
「・・・」
「・・・」
二人はそのまま、黙ったまま歩き続けた。
「なんなんだよ」
しばらくして、日明が堪らず振り返る。
「ねえ、知ってた」
「何をだよ」
「私たちまだ別れてないんだよ」
「はあ?」
「別れる時はあれするって約束したじゃない」
「は?」
日明は、美希が何を言っているのかまったく分からなかった。
「あれってなんだよ」
「ああ、覚えてないんだ」
「だから、何をだよ」
「ほんと最低ね」
「セックスか?だったらいつでもぶち込んでやるぜ」
「ほんと最っ低っ、やっぱあんたなんにも変わってないわ。少しは変わっているかと思ったのに」
美希は怒る。
「日明はやっぱり日明ね」
美希は怒って、そのまま行ってしまった。
「けっ・・、人間がそんなにすぐ変わるかよ・・」
日明は、その背中に小さく呟いた。
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