第4話 校長室

「・・・」

 純は茫漠とした虚無の霧の中で、いつもの通学路を歩いていた。世界の光が消えてしまったみたいに、今の自分が何なのかが分からなかった。どうしてこうなってしまったのか――、出口はどっちだ?どうすればいい?純は、ただ訳の分からない掴みどころのない苦しみの中でもがき溺れていた。

 サッカーも友人もやる気も情熱も目標も一度にすべてを失って、そんな自分をどう受け止めていいのか分からず、純はただ呆然とその目の前の現実に立ち尽くしていた。

 

 一か月の無期停学が明け、日明が、再び学校へと登校して来た。朝の登校時間、校舎の入口は生徒で溢れかえっていた。

 その場にいた生徒たち全員が突然現れた日明を見る。日明のその頭には、あの女生徒たちを魅了したさらさらの長髪は消えていた。代わりに青々とした坊主頭が乗っかっている。まずその姿に、みな驚く。

 日明は学校では有名人だった。学校で日明のことを知らない生徒はいなかった。もちろん、日明の起こした事故のことは全校中に知れ渡っていた。そのことを生徒の中で知らない者もいなかった。

 日明に視線が集まる。そして、その変貌した容姿に、さらなる視線が集まる。何とも言えない空気がその場に広がる。そして、耐えがたい冷たい好奇の視線が日明を突き刺す。校舎の入り口前は、多くの生徒で溢れているにもかかわらず、し~んと静まり返った。

 日明はそんな、針のむしろのような中を一人歩いて行く。その場にいる全員の視線が、そんな日明をさらに突き刺すように鋭く見つめていった。ある程度予想していたとはいえ、実際にその場に立つとやhり、それは、辛かった。

「・・・」

 それでも日明は、前に進み続け、校舎へと入って行った。

 

「失礼します」

 教室に行く前、日明は担任と二人、校長室へと入っていった。

 日明が中に入ると、校長は教頭と並んで奥の大きな机の前に立っていた。その脇には、なぜか体育教師の斎藤と、サッカー部の顧問の楢井もいた。

「・・・」

 日明は緊張気味にその前に立った。日明は退学になる可能性があった。いや、むしろそれが当たり前の状況だった。それ以前に日明の方から退学を申し出なければならないような事故だった。学校に多大な迷惑をかけ、生徒を一人死なせてしまっているのだ。

「申し訳ありませんでした」

 日明は、校長の前に立つのと同時に直角に、深々と頭を下げた。

「・・・」

 日明は、何とか退学と退部だけは避けられるように頼み込むつもりでいた。どんな罰も、どんなそしりも受けるつもりでいた。自分がそんなことを言える立場ではないと分かっていたが、だが、それでも、なんとかサッカーを続けたいと、続けなければならないと決意していた。

「君はサッカーを続ける気はあるか」

 すると、突然、校長が頭を下げる日明に向かって訊いてきた。

「えっ」

 日明は顔を上げ校長を見る。想像していなかった言葉に、日明は一瞬ポカンとする。

「部活を続ける気があるかと訊いているんだ」

 そんな日明に、隣りにいた教頭が、苛立たし気に言う。

「は、はい」

 日明は訳も分からず慌てて答える。

「まあ、本来なら君は退部はもとより、退学なのだがね」

 そこで、校長は何かを含めたように、ゴホンと咳をした。

「君の場合、まあ、その・・、サッカーをがんばっているようだし、まあ、頭もそうやって丸坊主にして、反省の態度を示してもいるし、まあ、なんだその・・、まだ若いし、将来性もあるわけだから・・」

 そこで校長は、隣りのやせこけ、頭の禿げあがった禿げ鷹のような教頭を含みを込めた目で見た。

「ゴホンッ、まあ、つまり、今回は職員会議の結果でも、まあ、大目にみようということになった」

 教頭も一度咳をすると、相分かりましたといった調子ですぐに校長の意をくみ取り話を引き取ると、校長に代わって説明し始めた。

「えっ」

 日明は驚いて二人の顔を交互に見つめる。

「それに、今回亡くなった柳沢くんのお母さまからも寛大な対応をしてくれとのやさしいお言葉をいただいた」

「・・・」

 日明は、自分を許すと言ってくれた隆史の母の顔を思い出した。

「あの子にやり直すチャンスをあげて欲しいと、そう言われたのだよ。君のためにわざわざ学校まで来て我々教師全員に頭まで下げて」

「・・・」

 そうだったのか。そこまで・・。そこまでしてくれていたのか。日明は震えた。

「つまり君は、君さえやる気があるならばだが、今まで通りこの学校の生徒だということだ。聞いているのかね」

「え、あ、はい・・」

 最悪を覚悟していた日明は、意外な展開に、逆に困惑してしまっていた。

「感謝せんか」

 そんなまごつく日明に、怒鳴るようにして楢井が言った。

「あ、は、はい、ありがとうございます」

 日明は慌てて再び深々と頭を下げた。日明は、当然端から退部退学を告げられるものと思っていた。その時は、土下座でもなんでもするつもりでいた。恥も外聞もなく、遮二無二かじりつくようにしてでも懇願するつもりでいた。それが、いきなり、学校側からそれが許されるという話に、日明は戸惑うしかなかった。

「校長の寛大な処置に感謝するんだぞ」

 教頭が尊大な言い方で重ねるように言った。

「は、はい」

 日明は、混乱した頭の中、頭を下げた。

 通常であれば例え、被害者の親が頭を下げたとしても確実に退学であるはずの状況で、なぜかは分からないが、学校側のありえない寛大過ぎる措置によって、日明の復学は決まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る