第11話 嘆き

 玉水の姿がないことは誰も気づかぬまま屋敷を出立した。

 姿がないことに気付いたのは内裏についてからであった。差配するものがいなくなり混乱しない者はいなかったが、内裏の内では見苦し姿をみせるわけにもいかないため直ぐに統率が戻り、月さえが采配を振った。

 急遽代役を担うことになったが、玉水ほどではないが立派なものであり、滞りなく進めらることができた。


 姫様と月さえがお目通りしている間に、女房達は宛がわれた部屋で荷解きし生活空間へと変える作業を終え、一息をついていた。

 そうすると、自然と話が始まるものである。内裏の圧倒される見事な庭や建築物、内装と語り合いたい内容が多々あったが、それをすることができなかった時間が続いたのだから、より一層盛り上がった。

 あれが見事だ。

 これも見事だ。

 それこそ最たる物だ。

 と、褒めない者はいなかった。



 整えた部屋に姫君がお戻りすると、あれほど話に華を咲かせていた女房達は仕事へと戻った。姫君が座ると普段の定位置よりも下に月さえが座った。


「玉み………中将の君はどこにいるのですか。」


 屋敷を出立前に意味深なことを話し、実際に今姿を消している中将のたまみずを案じずにはいられなかった。屋敷から到着し、お目通りの間もそのことを気にかけていた。


「……その方はどなたですか。」


 おかしな返事が返ってきた。返事をした月さえだけではなく、周囲の女房達も首をかしげている。


「一の女房、中将の君、玉水ですよ。あなたも歌を送ったではありませんか。この引っ越しの都合は玉水が手配したではないですか。紅葉の件だって…………」


 嫌な予感がするが、それを振り払うかのように話した。玉水が何をしてくれたのか必死に訴えかけるように言った。だが、皆思い当たるところがない様子のままであった。その誰一人として反応しないことに徐々に言葉が萎んでいった。

 玉水のことを忘れて、紅葉の立役者が誰か分かっていない。女房達は立役者を姫様や月さえ、少納言様などあるいは通りすがりの貴公子と思い出そうとしているが、玉水のの文字さえ出てこなかった。

 夜になり皆を下がらせても心はひどく乱れていた。玉水がこの世から消えてしまったように感じられた。あれほど尽くされ、愛され、慕われ、こちらもかけがえのないと感じていただけに苦しみが大きい。

 だが確かに、手渡された桐の箱は存在している。それは決して夢、幻ではないと証言していた。

 箱を抱いて寝床へ入る。今宵からは月さえが隣にいないため、一層寂しさが込み上げてくる。それを紛らわすために、箱を抱く腕にさらに強く力を込めた。


 それから数日は大変なものであった。

 高柳宰相は中納言へと昇進し、姫君と臣下として会話も行った。だが、父親とも以前のように親しく話すこともできないことに悲しみを覚えさせられた。

 三日目の夜には帝と床を共にした。気付けば東の空が白み始めていた。


 行事が終わり、ようやく自身の荷を整理することができるようになった。個人的な物のみであるため、女房達の手伝いもあり瞬く間に完了した。そして行李の底に一つの箱が残った。

 姫君にとって全く見覚えのない箱は重みを感じさせるものであった。

 見覚えのないものであるが自分の荷に入っているということは、自分の荷に違いなかった。取り出して、そっと蓋を取るとこちらをのぞく顔があった。

 (これは……鏡………いったいなぜ……)

 鏡を見ると螺鈿によって装飾された大変きらびやかなものであった。自分の持っている物と比べても軍配がどちらに傾かは行司によるだろう。

 そこで袱紗の上に紙が置かれているのに気が付いた。主に包む物を傷つけない目的で使用されるはずであるが、紙を置くとその本来の目的が果たせなくなる。その奇妙さに魅かれたのか、音が出ないように鏡を置くと紙を手に取った。

 その紙は絹のような輝きと透き通るような薄さを持ち合わせ、黄色の繊維らしきものが散らかされていた。そして、その紙に見合うだけの流麗な文字がつづられていた。

 姫君はその紙に、その文字に釘付けとなった。人々から姿も記憶もなくなった玉水の文字であった。

 手紙には姿を消したお詫びが書き連ねられていた。終わりには渡した桐の箱は余人の目がなく自身を思い忘れることができない際まで開けないように、また鏡は自分の代わりと思うように書かれていた。

 手紙の最後には2首の歌が添えられていた。


『獣の あやかしなりて 茜さす 君の側にて 我が身を恨む』

『鳥羽の野の 卑しき獣 天女見つ 恋い焦がれし この思い あやかしなりて 宮仕え 紅葉拾いし 君がため 歌を吟じし 君がため 君が見初らめ 悲喜心 身を振り返し 術や無し 君の姿ぞ 金鵄なる 我の姿ぞ 飛鼠 暇を願うは 君がため 暇を願うは 我がため 来世思うは 君に仕えん』


 歌の内容は分からなかった。何を歌ったのか。誰を歌ったのか。

 分からぬまま、鏡を胸に抱き袖を濡らしていた。

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