第10話 入内準備
あれほど山々を彩り、人々の心や目を楽しませていた紅葉もとうに散り、緑を絶やさぬ松以外の木々は寒々しい姿となり、遠くの山々は白く化粧するようになった師走の頃、玉水の姿は高柳殿の屋敷にあった。
義母を脅かしていた病も完治し、後顧の憂い無く舞い戻っていた。変化したことと言えば、枕元に置かれた見事な鏡と鳥羽の方へ向け弔うようになったことである。周囲はその姿を見ても義母の病が治ったことを神仏に感謝しているとし、不思議に思わなかった。
内裏に入るための準備は玉水がいない間にあらかた終わっていた。残っているのは、準備した物の確認と連れて行く女房の選定である。
姫様はまず、幼い頃から
まだ、姫様にお仕えし始めて一年も経っていない新参であるにも関わらずの任命であるが、もはや文句や嫉妬を覚える者は皆無であった。短い期間であったが、
そして、内裏に付いていく者三十人の選定が終わった。この屋敷に残ると申した者も少なからず、名さえ呼ばれなかった者もいたが、皆一様に朗らかに話し合っていた。その中でただ一人、玉水は浮かれていなかった。
女房達それぞれが自らの仕事へと戻り、姫様の部屋には月さえと玉水のみ残り、三人となった。
浮かない顔をしているのを不思議に思ったか、どうしたのか聞いてきたが、風邪気味とごまかした。けれども、姫様はそれでは納得せずに
姫様から逃げるように徐々に後ろに下がっていくが、月さえが回り込み、姫様が肩をつかみ覗いてきた。
「一体どうしたのですか。母上の御病気も治ったのですから、気に病むことは無いはずですよ。胸の内に秘めている悩みがあるのならば、ここには私達しかいないのだから教えなさいよ。そうしたら、その沈んだ気持ちも晴れるはず―――」
姫様はこちらの悩みを聞こうと態度で言葉で示して下さった。けれども、話すことがためらわれる。
話したいが話せない。そう思うと自然と涙が出てきた。
「申し訳ありません。後日、きっと申し上げますので、どうかそれまで——」
最後まで言い切ることができずに姫様の部屋を飛び出た。
自室へと戻ると臥所に横たわり悩む。退出の許可を得ずに勝手に帰ってしまったと、真の問題を遠ざけようとするが、脳裏から離れることが決してない。
その日の振る舞いについてのお咎めは何もなかった。
それからしばらく、風邪を引いたと称して部屋に引きこもった。
入内が翌日へと迫った日、玉水は箱を一つ胸に抱き、姫様の元へと持参した。
箱自体は桐で作られている白木の簡素なものであるが、中には人には明かせない玉水の想いが入っていた。
「戻ったばかりにもかかわらず、風邪を引いてお仕えできずに申し訳ありませんでした。喜ばしいことがあるというのに、悲しき出来事に襲われるなんて、この世は味気なく、恨めしいものなのでしょうか。もし、私の姿が消えてしまったら、この世を儚く思ったのだと思って下さい。」
久しぶりの顔見せにも関わらず、頭を低くしたまま話していた。最後に抱いていた箱を姫様へと渡し、姫様のみ聞こえるように言伝をした。
「どうしてそんなことを言うの。私に何があっても仕えてくれると言ってくれたじゃない。」
「もちろん、その言葉を違えるつもりはございません。ですが、万が一ということもあり、それは人目の多い場所ではお渡しすることが難しいので、このような運びとなりました。どうか、余人には触れさせないでください。そして、先ほどの言葉を忘れないでください。」
姫君の言葉に対して、ただ用意してきた言葉をそのまま述べるだけであった。
そして、静かに下がり退出した。
頭を下げたままだったため姫様の様子を見ることはできなかったが聞こえてくる音によって、どれだけ自分が大切に思われているかを感じると同時にどれだけの悲しみをもたらしたのかを実感せずにはいられなかった。
そして入内のために屋敷を出立するその日。この屋敷建築以来、最大の喧騒に包まれた。
八台の車にそれぞれ乗り込む三十余人と、それを見送る少納言を始めとした者達。また、屋敷の外にはその騒ぎに招かれてきた市中の者達とそれに混じった貴族達が一目見ようと集まっていた。
玉水も女房達を統括する立場を担うものとしての責務を果たしていた。その姿は屋敷に戻ってからの奇妙な点はなく、それは見事な采配であった。
そして、いざ出立する時。
玉水の姿は消えていた。。
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