第8話 葛藤

 泣く様子をじっと見守っていた義母は一段落付いたとみると発した。


「もう、心残りはありません。すぐに宰相殿のお屋敷へ戻り、姫君にお仕えしなさい。」


 そう言われたが、義母を残して出て行くのはもう会えないと思うと名残惜しく、姫様から一段落するまでと許可を頂いていることもあり、一日、二日ずるずると滞在し介抱し続けた。

 養母は一度だけ戻るように言ったきり何も言わなかった。


 それからしばらくして、姫様から手紙が届いた。


『お母上のご病状はまだ良くならないのですか。あの様なことを言った手前申しにくいのですが、早く帰ってきてもらえませんか。玉水がいないと勉学に身が入らず、気づけば物思いに更けています。一日で良いから帰ってきて下さい。悲しみで枕が浮いてしまいそうになります。』

『年を経る ははその風に 誘はれば 残る梢は いかになりなむ』

(年月を経たははそ(コナラのこと)の木が風に誘われたら、残される梢はどうなってしまうのか。そのように年を取った母(柞と掛けている)が残されるとどうなってしまうのでしょうか。)


 一通り読み終えた後、義母も読んだ。読み終えた時には顔が喜色に満ちあふれていた。


「本当に恐れ多く、感謝の仕様もないことです。あなたが宮仕えして可愛がられるだけではなく、立派な褒美も頂き、面識のない私にもこのようにお優しい気持ちを向けて下さるとは、とてもありがたいことです。姫君だけでなく私もあなたに会ったことで様々な喜びを体験し、死に際も華やかになりました。本当にあなたは私にはもったいないほどの娘です。」


 そう言って、母上が一つの紙片を渡してきた。


「読んでみなさい。先ほどの手紙に重なっていましたよ。」


 その紙片には一つの歌が詠まれていた。詠んだのは月さえであった。


『初花の つぼめる色の くるしきに いかに木の葉の 色を見聞くに』

(今年初めて、花のつぼみが木の葉の色を知って苦しそうにしています。)


「あなたの主人である姫様がこんなにもあなたのことを思っていますよ。私がこれ以上あなたを引き留めると嫉妬されてしまいますから、さあ、早くお帰りなさい。」


 義母の言葉を聞き、静かに頭を下げた。頭を上げると満足げな義母の顔が見えた。

 少ない荷物を持ち、義母から譲り受けた鏡を最後に持ち上げると懐に納めた。


「それでは、お母様………………御達者で。」

「あなたも達者で。」


 表戸より頭を下げてからは、引かれる後ろ髪を断ち切り振り返らなかった。




 高柳殿、姫様のお屋敷へ戻ると、以前よりも華やかさに磨きがかかっていた。人々の動きは慌ただしいが、晴れやかな表情で苦労を感じていない。

 その内の一人が立ち止まっていた玉水に近づいてきた。


「玉水さん、戻ってきたのですね。姫様がお待ちですよ。」

「ええ、分かりました。……この騒ぎは…………」

「それは玉水さんのおかげですよ。姫様の入内が決まったからです。」


 では、と別れると忙しそうに駆けていった。姫様が待っていると聞いたため、止まっていた足は再び進み出した。


「姫様。ただいま戻りました。」

「お帰りなさい。玉水。」


 姫様は声を掛けるとすぐに駆け寄り飛びついてきた。様子を見るに月さえと共に礼儀作法の復習をしていたようだ。


「硬い。」


 抱きついた姫様が頬を膨らませながら、上目で文句をこぼした。

 礼儀作法の勉強をしても姫様の奔放さは変わっていなかった。


「それは鏡が入っているからです。」


 姫様をゆっくりと引き離し布に包まれた鏡を見せる。布をめくると銀色の輝きが強まるに比例して、姫様の目が輝いた。


「この鏡はどうしたの。」

「これは義母の形見です。義母は義祖母様から受け継がれた物です。この鏡を自分だと思って生活しなさいと。」


 形見という言葉が出たためか、重苦しい空気になってしまった。その解消のため譲り受けた経緯を話すと姫様の顔が曇った。

 姫様は、自分が帰ってきて欲しいと急かしたため、玉水は義母を見届けることなく帰ってきたとして、泣いて詫び続けた。

 慰めようにも自分のことで慰めようがない。月さえを見るとやはりという表情をしているだけで慰めようとはしない。

 結局、その日はそれっきりであった。


 日が沈んでから月さえがやってきた。


「珍しいですね。月さえが姫様のお側から離れるなんて。」

「申し訳ありませんでした。」


 月さえは開口一番そう言い放った。何故、何にと混乱している間に話し始めていた。

 玉水が屋敷からいなくなると、姫様が寂しがるようになったらしい。勉学の最中でも集中しきれていない状態が続き、玉水が帰ってくることを心待ちにしていたという。だが、三日四日では帰ってこないことを予想できていたが、その倍の日数が経つ頃には耐えきれなくなっていた。そこで、手紙を出すことにしたのだが、姫君が玉水と交わした約束を破ることになるため、母の死を目の当たりにできなくなることを恐れたため、月さえは手紙に反対したのだという。しかし、姫君の様子を見てられなくなり、押し切られる形で手紙に一歌添え、手紙を届けさせたらしい。

 結果は姫様の目論見となったが、姫様の思ったとおりではなかった。

 月さえは今生の別れになるかもしれないのに邪魔をしたことに何度も何度も詫び続けた。



 夜が明けると日常となったお勤めが始まる。

 姫様は昨夜泣いたことで、心中の整理が付いたらしい。新たに交わした約束は、できるだけ早く帰ってくること、三日に一度は戻ってくることであった。

 決まりが悪いのか姫様は門まで見送りに来なかったが、月さえは来てくれた。


「では、姫様との約束をお忘れなきよう。」


 門の下で手短に話し終えると、寝込んでいる母の元へ再び舞い戻った。

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