第7話 義母の病
ある日、手紙が玉水の元へと届いた。普段は月に数回であり、今回の手紙は想定外の時期に運ばれてきた。
何かあったのだろうか、そう考えながら手紙を読んだ玉水は、その手紙を携えたまま姫様の元へ伺った。
「唐突のことで申し訳ありませんが、しばしお暇させていただけませんか。」
急に訪れ、今までの行動と異なる行動を見せた玉水に姫様と月さえはいぶかしんだ。
「一体、急にどうしたのですか。」
そう尋ねると一枚の手紙が差し出された。
「その手紙に書いてありますが、我が義母が病に倒れました。容態は月日を経るごとに悪くなる一方です。義母を一目見る機会が僅かになっているかもしれないのです。どうか、お暇を下さい。」
手紙と訴えを聞いた姫様と月さえは玉水の暇を請う理由を理解した。
義と付くものの父母は父母に違いなし。邪険に扱って良いものではない。それに玉水の義父母は玉水のことを、目に入れても痛くないという言葉かそれ以上に目に掛けて可愛がっていることを承知している。
親子の別れの時に
「分かりました。では暇を与えます。ですが、必ず帰ってきて下さい。一段落するまでは母と共に居りなさい。」
そうして姫様は玉水の訴えを聞き入れた。
玉水は許可が出たと急いで退出し、すでにまとめてあった最低限の荷物を持って帰路についた。異例のことではあるが姫様が屋敷の門まで玉水を見送った。
「参内の準備を手伝って貰いたかったのに…………」
その背中が見えなくなってからつぶやかれた。
紅葉の葉は全て散り、すでに山は裸になっている。寒風の中、庭の松のみが青々と変わらぬ姿を見せている。
家にたどり着くと、普段と異なる雰囲気が漂っていた。恐る恐るだが、早く義母の元へと心の内でせめぎ合いが起こるまま扉を開けた。
家の中は暖まった空気で満たされていたが、それとは正反対の重苦しい空気も家屋内を満たしていた。寝ている義母の枕元には義父が付き添い、水を入れたたらいと布が置かれていた。そしてそれ以外の場は兄弟達で囲まれていた。
「―――――おか――え―り…………」
寝たきりで兄弟によってこちらの様子が見えないはずなのに、何を感じ取ったのか入り口で立ったままの自分に向けて、細った腕を伸ばしながらつぶやいた。
「……ただいま帰りました。」
義母の発した声は非常に聞き取りにくかったのか、義父達は口元に耳を近づけていたが、伸ばされた腕の先、指の先と返答を聞くと一斉にこちらを向いた。
何事もなければ家族と語らいながらの楽しい夕食を始めるのだろう。しかし今は語らいは最小限に行われた。
「ただいま帰りました、お母様。遅くなって申し訳ありません。」
義母の枕元に正座し、改めて言葉を伝える。すると、寝たきりであったはずの義母が上体を起こした。慌てて義父と共に支え寝かせようとするが、こちらを向く瞳の強さにおされ、これから紡ぐ言葉を待った。
「――あなたと共に暮らした日々は僅かなものでした。しかし、私の人生の中で最も花が美しく艶やかに咲いていました。そのおかげか、奇妙な前世の契りでもあるのでしょうか、宮仕えにいったあなたのことを思い出して心配して不安にならない日はありませんでした。姫君にあなたを奪われたかのように思ってあのような手紙を書いてしまったこともありましたが許して下さいね。」
そこまで言ったところで咳をしたため、水を飲ませて横たえようとするがその腕をつかんだ枯れかけた枝が存在感を出すかのように強く握ってきた。
「あなたが我が家に帰ったとき私には何故かあなたのことが見えたのです。こんなに早く戻ってくるとは思いませんでしたし、楽しそうなあなたを一時とはいえ引き戻すのに気が引けたのです。でも、私の頭の中に油揚げを供えられたお地蔵様が見えたのです。そのお地蔵様の視線の先が玄関であなただったのです。こうしてあなたの顔を見ていると落ち込んで塞ぎ込んだ心が晴れ渡っていきます。千に一つも助かりそうにもない病を急に患い身の置き所に苦しむ私にはあなたが元気な姿が何よりも喜ばしいのです。」
そう言い終えると涙を流しながら折れそうなほど細い腕を玉水の頭に持ってきて撫でた。決して不規則で滑らかではないがそこにこもった気持ちに、知らず知らずのうちに涙を流していた。
一通り終えると支えていた腕に体重を掛けてきた。慎重に寝かすとすっかり暖まった布を別の布と取り替え、今後は自分が付きっきりで看病をすると言った。家族は皆疲れていたのだろうか、申し出を受け部屋の片隅で折り重なるように眠った。
最後まで寝なかった義父から病態を詳しく聞かされた。
病態を見た薬師は匙を投げてしまい、祈祷師には厄介な物の怪が取り付いていると言ったらしい。日に日に痩せ衰えていき、うわごとでは玉水の名を繰り返し繰り返し呼び続けていたらしい。
次の日からは玉水が義母のそばを離れることなく、付ききりで介抱したため兄弟達は疲れを癒やした後、薬を買うため働きに行った。
介抱していると義母は不安なのか小言をつぶやき続け、たまに唐突に物の怪が取りついたかのような発作が出て気を失っていた。暴れるように発作が出るため、まれに振り回された手足がぶつかることがあるが、玉水は辛抱強く世話をし続けた。
義母の体調が落ち着いたとき、玉水に向かって話した。
「このような病にかかり、夫やあなたのおかげで迷惑をかけ続けていますが生きています。しかし、いつかは死んでしまうでしょう。」
家に帰ったときと同じような真剣な雰囲気に注意の言葉が引っ込ませられる。
「文机の中の鏡を持ってきて下さい。」
そう言われて文机の中を探ると、布で大切に包まれた鏡箱が出てきた。その中から見事な鏡を取りだし義母の手に重ねた。
その鏡は八角の形をしており裏面には螺鈿がはめ込まれ、穴には藤色の房が取り付けられている見事な物であった。
「この鏡は私の母、あなたの義祖母から譲り受けたものです。これを私は自分の命にも代えがたい物として大切に肌身離さず持っていました。ぜひ、大切にして下さいね。」
そう言い、鏡を持ち上げるだけの力のない腕で鏡を膝によせてきた。言葉数少なかったが伝えようとしている意味は明瞭であった。どうしてそのようなことを言ったのか、混乱していると義母の口から新たな言葉が紡がれた。
「あなたには出会った当時のように孤独になって欲しくないのです。私がいなくなってしまうとあなたから母がまた奪ってしまうことになります。それが不憫でならないのです。ですから、この鏡を私だと思って下さいね。」
それに返す良い言葉は思い浮かばず、鏡を胸に抱え、痩せ細った義母の胸で泣き続けた。
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