第1話 醜き自分
ある日、お気に入りの山野で私は見とれていた。普段は求めて駆け回っているにもかかわらず、その日は違った。
その山野では幼い少女がはしゃぎ遊んでいた。邪魔をされると普段はいらだってしまうが、この少女にはそんな気持ちにならず、いつまでも見つめていたい。
だが、日が傾き始めると車に乗りお供の者達と帰ってしまった。
その夜、私は昼間に見た光景を思い浮かべながら床に就いた。満開の花のようなあふれんばかりの笑顔、風になびく柳の葉のような風情を感じさせる黒髪、その身を包む衣は天女の纏う羽衣かと思わされた。
それに比べて自分は……とても醜い。あの少女が弥勒菩薩とでもいうなら、自分は地獄に落ちた餓鬼であろう。日々泥にまみれ腹を満たすために駆けずり回っている。
なんともまぁ、みっともないことだろう。だが、お近づきになりたいこの気持ちは収まりそうにない。どうすればよいのだろうか……
次の日からはあの山野にあの少女が訪れることを期待して小高い丘の上から待ちわびている。いつ来るのかも分からない。家族にも心配される。だが、つのる想いには耐えることができない。
雨の日も、風の日も、暑き日も、寒き日も、いつ来るかもわからない少女を見るために待ち続ける。昼間には食事を摂らなくなり夜中のみ。おかげで姿もさらにみっともないものになってしまった。
幾日か、幾月か待ち続け、あの少女がまた訪れた。その姿を確認するや否や足は自然とその方向へ進んでいった。自身のみすぼらしさを考える余裕など疲労しきった体には残されていなかった。ただ、より近くであの少女を少しでも長く見つめていたい衝動に突き動かされていた。
「何だ、この汚いのは?」「しっしっ、あっちいけ!」
いくつもの声が浴びせられるがこの時は耳に入ってこなかった。ただ、少女へと歩を進めていた。
「こいつ目!こうしてやる!!」
あと5間ほどの距離なのにお付きの者につかまってしまった。首を抑えられ弱った体でなくても抜け出せそうにない力で押さえつけられる。別の者が棒で打ち付け始めただでさえ薄かった意識がもうろうとしてきた。これ以上は進めそうにない。
「待ちなさい。そのこを開放しなさい。」
あどけなさの残る声が響いた。すると加えられていた力がなくなり呼吸ができるようになった。閉じたまぶたを何とか押し開いてみれば、見ることを希ったあの少女が自分を見つめている。
制止しようとするお付きの者を押しとめ、その小さな体に抱かれた。
「姫様、それは汚くございます。」
「どのようなものであろうと命を持つもの。仏様は見ておられますよ。しかもそのように弱っているものをいじめるなど許されないことです。」
周囲を囲う者達の行為をたしなめ、卑しき自分にも救いの手を差し伸べてくださる。
憧れの人に抱かれた状況、その気高く美しく慈愛に満ち溢れた精神に触れ、身体中の痛みが消えていく感じがした。
幾時が経ったのだろうか。至福の時間は終わり、別れの時間が来てしまった。なんとも名残惜しいが少女には帰るべき場所がある。
姿勢を正し、車が消えるまで見続ける。
車に乗る直前に撫でられた手の感覚が忘れられることはないだろう。
胸の内に秘めたるこの思いはますます燃え上がっていった。
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