約束の再開
@wecan
第1話
とある孤児院にて。部屋の隅っこで黒髪の女の子が泣いている。
「うっく、ひっく」
少女は嵜本京華。年は五歳程、華奢な体に線の細い顔といかにも気弱そうな女児だ。
だが、それ以上に目を引くのは赤く腫れた右頬。
「さっさと渡せば殴られずに済んだんだ!」
体の大きなずんぐりむっくりとした男の子だ。少年は京華から奪った御菓子を食べている。
この孤児院は経営難に陥っており、ご飯もおやつも育ち盛りの子供達にはとても足りない。その為、少年の様に力の強い子は大人の目を盗んでは他の子の食べ物を横取りしている。
「おい」
少年の肩を叩く。
「なん……うぶ!」
振り向いた少年の腹部に容赦の無い蹴りが入れられた。
「私の妹に手を出すな!」
少女は京華の双子の姉、嵜本麗華。容姿は京華と瓜二つ。黒髪に華奢な体に線の細い顔、唯一違う所は文字道理男勝りな性格だろう。
「う、うわあん!」
体が大きいと言ってもまだ子供。少年は自分より強い相手に泣きながら逃げ出した。
「男の癖に弱い者イジメすんじゃないよ」
京華は麗華に飛び付いた。
「うあぁ! お姉ちゃん怖かったぁ!」
泣きじゃくる京華の頭を麗華は優しく撫でる。表情も一変し慈愛に溢れている。
「よしよし、お姉ちゃんが来たからもう大丈夫だよ」
宥めながら麗華は自分の御菓子を差し出した。
「ほら、お姉ちゃんのおやつあげるから元気だしな」
御菓子を前に目を輝かせる京華だったが、直ぐにその目を曇らせてしまう。
「いいよ! だってお姉ちゃん昨日も他の子にあげてたもん」
「見られたか……」
麗華は京華の他にもイジメられている子を見つければ、直ぐに助け、自分のおやつを差し出している。
「じゃあ、半分子しよう」
御菓子を二つに割った。
「いいの!」
「うん!」
「お姉ちゃん大好き!」
麗華は自分と年も容姿も同じなのに強くて優しい、京華にとって麗華は正義そのものだ。
「私もお姉ちゃんみたいになりたい!」
麗華は思わず目を丸くした。
「京華はそのままでいいんだよ」
京華は大きく首を振る。
「ううん! 私もお姉ちゃんみたいになって、私がお姉ちゃんを守るの!」
「じゃあ、それまでは私が京華を守るね」
「うん!」
「京華ちゃんおめでとう! 新しいお父さんとお母さんが決まったよ!」
「え?」
職員の後ろにはいかにも優しそうな夫婦がいた。これから先、京華には新しい世界が待っている。たが、京華の足は根が生えた様に動かなかった。
「お姉ちゃんは?」
職員の沈黙に京華は全てを察した。
「嫌だ! 嫌だよ! お姉ちゃんと離れたく無い!」
それから京華は離れはしまいと麗華に抱きつき大泣きを始める。
職員も新しい両親も困り果てていた時、麗華が京華の腕を剥がした。
「京華、行って」
「でも……」
「いいから行け!」
麗華は初めて京華に怒鳴り声をあげた。
「!?」
そして麗華は走り去った。
「お姉ちゃん……」
京華は生まれて初めて姉の泣く姿を見た。
それから十五年の時が流れる。
「はあぁ!」
京華の上段蹴りが悪漢の顎をとらえる。悪漢はその巨体を地面に沈めた。
「ふぅ」
あれから京華は背も百七十を超え、黒髪も腰まで伸びている。何より変わったのは容姿と性格だ。キリリとした目元は色気にも似た凛とした美を放ち、幼少期の気弱さはどこにも無い。
「お疲れさん」
拍手をしながら栗毛の女性が歩いてくる。女性は京華と同じ女性警官の制服を着ていた。
「先輩、制圧出来ました」
「相変わらず凄い手際やな」
京華はK市の警察官になっていた。K市は治安が悪く一般人に紛れ半グレや極道者も多く居る。
「いえ、姉ならもっと早く終わらせた筈です」
以降も麗華に憧れ続けた京華は、生まれ育ったK市の平和を護る最後の砦として職務に励んでいた。
自分が正義を全うしていれば正義の権現に思えた麗華とも再会出来ると淡い期待も抱いていた。
『○○区にヤツが現れた。半グレ集団と交戦中、至急現場に向かってくれ』
無線機からその様な指示が流れる。
「うわ、嫌なのが出おったな」
「先輩、ヤツとは?」
「あぁ、京華ちゃんは見た事無いんか。K市にはたった一人で半グレ集団やヤクザ共を壊滅させちゃう化物が居て、私達も手を焼いてるんや」
京華は先輩を置いて走り出した。
「先輩! 先向かいます!」
現場に近づくにつれ悲鳴が聞こえ始める。
「ここね!」
現場に着いた途端、京華は言葉を失った。
周囲に転がる半グレの中に返り血に汚れた女性が一人立っていた。
「あぁ、まだ居たのか?」
女性はゆっくり振り返る。
「「!?」」
二人の間に電撃が走る。
女性は京華と同じ顔だった。腰まである黒髪にキリリとした目元。違う点は耳と口に開けられたピアスに荒々しい獣様な雰囲気。
「お姉ちゃん」
「京華」
姉妹の最悪の再会である。
「お姉ちゃん、何してるの?」
この場に居る。聞かなくても分かる。でも信じられない。
「……」
「答えて!」
目を逸らす麗華に京華は震える声を上げる。
「お前には関係無い」
麗華に幼少期の暖かさを感じない。
「何で……私、お姉ちゃんみたいに成りたくて、頑張って頑張って」
京華はすがる様な声で歩み寄る。
「!?」
麗華の放った空気を切り裂く蹴りが京華の鼻先で止まった。
「私に関わるな」
憧れの完全崩壊。京華は半身を抉られたと錯覚する喪失感に耐えられる両膝をついたついた。
「お姉……」
遠ざかる麗華の背に重なるのは幼い日の麗華。
(昔のお姉ちゃんが今のお姉ちゃんを見たらどう思うかな)
そんなの決まってる。あの時の麗華は正義そのものなのだから。
憧れた姿が京華を奮い立たせる。
「嵜本麗華!」
京華は大気の震える程の声量で姉の名を呼ぶ。
「約束したよね、私がお姉ちゃんを守れる様になるって」
京華は身を低く腰を落とす。
「貴女はもう昔のお姉ちゃんじゃ無い。貴女自身がお姉ちゃんを傷付けるなら私が麗華からお姉ちゃんを守る!」
あの日から麗華に何があったのか知らない。でも、今の麗華は自分で自分の在り方を傷付けている。
「貴女はもう私の知るお姉ちゃんじゃ無い」
京華は拳を構え、全体重を込めて踏み込む。
「……」
麗華も答える様に拳を握り、踏み込んだ。
「はあぁ!」
京華は気合と共に全力を込めた拳を繰り出す。
「もう、守らなくて良さそうね」
対して、麗華は笑みを浮かべ拳を引いた。その笑みは昔の慈愛に溢れる物だった。
「!?」
異変に気付いた京華だが、既に遅い。拳は麗華の頬をとらえ、顎を打ち抜き脳を揺らす。
「ぐぶ!」
麗華は数度地面を弾み、その躯体から全ての力が抜け落ちた。
「麗華……何で……守るってどうゆうことよ!」
再会した麗華と先程の笑み、この食い違いに納得のいかない京華が麗華に駆け寄ると。
「いやぁ、お見事」
聞き慣れた拍手と共に先輩が現れた。
「先輩……!?」
ただ、先輩はいつもと違い二十を超える半グレを伴っていた。
「そいつには、私のグループを次々壊滅させられて困ってたんよ」
K市では警察が半グレやヤクザと繋がる事など珍しく無い。京華は特に驚きもせず、只先輩が敵であると再認識した。
「にしても、妹の為に戦ってた奴が妹にやられるとは傑作やな!」
先輩は倒れる麗華を見て高笑う。
「は……私の為……どうゆう事ですか?」
「倒してくれたお礼に教えてやるよ、そいが言ってたんだよ」
「『私はもう側で妹を守る事が出来ない、だから責めてK市の治安を少しでも良くすれば妹を守る事に繋がる』なんてくだらない理由で戦い歩いてたのさ!」
先輩は麗華の思いを嘲笑いながら語る。
「嘘……」
後悔が涙として溢れてきた。麗華は別れた日からずっと約束を守っていた。
「今までよくもやってくれたよな」
京華が後悔に打ちのめされている中、半グレの一人が麗華に近づいた。
「私のお姉ちゃんに手を出すな!」
手を触れるより早く、京華が半グレを蹴り倒す。
泣くのも後悔も後。
「今は私が約束を守る!」
京華は半グレ達を相手に構えた。
「やれ」
「「「おおおお!」」」
先輩の合図で半グレ達は濁流の様に押し寄せる。
「どらあぁ!」
半グレと京華の間に疾風の如く割り込んだ麗華が先頭集団を一蹴し、勢を殺した。
「私の妹に手ぇ出すんじゃねぇ!」
数時間は立ち上がれない筈の攻撃を受けたにも関わらず、麗華は立ち上がった上にその力は微塵も弱っていない。
「お姉ちゃん! もう立って大丈夫なの? やっといて何だけどクリンヒットだったよね?」
「大丈夫なわけねぇだろ……足ガックガクだっての」
麗華は血反吐を吐き出して、京華の隣で構える。
「だからって妹のピンチにお姉ちゃんが寝てる訳いかないでしょ」
「お姉ちゃん……」
京華は確信した。この優しさ、強さ、麗華はお姉ちゃんは何も変わってなどいなかったのだ。
「京華は私が守る」
「お姉ちゃんは私が守る」
一瞬交差する視線。姉妹はそれのみで意思疎通を終わらせる。
「はああぁ!」
「おらあぁ!」
姉妹は弾丸の速度で踏み込みで半グレの中に飛び込んでいく。
京華は洗練され錬磨された武術の如く技を披露し、麗華は獣の如き荒々しい力で蹴散らす。
戦闘スタイルはまるで違うが息の合った嵐の如き立ち回りに半グレ達は一人、また一人と吹き飛ばされる。その様はまさしく蹂躙だ。
「お姉ちゃん! 聞きたい事あるんだけど!」
半グレを蹴り倒しながら麗華に訴える。
「あぁ?」
半グレを蹴り飛ばしながら答える。
「何で避けようとしたの? 直ぐ話してくれれば殴られる必要なかったよね!」
「ガキの頃の約束一つ守れないのにどの面下げて言い訳しろってんだ!」
「お姉ちゃんの頑固者!」
「んだとぉ!」
この間も半グレは面白い様に宙を舞う。
「なぁ! 新しい両親とはどうだ?」
今度は麗華が問い掛ける。
「いい人達だよ! ここまで立派に育ててもらったよ!」
「そうか、なら良かった!」
「お姉ちゃんはアレからどうだった?」
「ハッ! こんな私を引き取りたがる奴なんていねぇよ!」
「それもそっか!」
「んな! 少し会わない間に言う様になったな!」
「お陰様でね!」
血液の飛び散る戦地で姉妹は十五年間の想いをはぜる。
「化物や……どっちも!」
数の利に胡座をかいていた先輩はそれが覆る様に血の気が引いていた。
「後はテメェだな」
最後の一人が先輩の足元に転がった。
「そう簡単にはやられへんで」
先輩は酷く顔を歪めながら拳銃を取り出した。
「流石のお前らでもコレには敵わへん! どっちから殺ったろか!」
姉妹は一瞬視線を交わし、頷く。これで意思疎通は終わる。
「なんや!?」
姉妹は先輩の両サイドから挟み込む様に走り出す。
「くっ、クソッタレェ!」
先輩は麗華、京華、麗華、京華と銃口を向け直し迷った挙句に京華へ発砲した。
響く銃声。爆ぜる火薬。命を刈り取るにたる威力の銃弾が迫る。
「なっ!?」
だが、銃弾は京華の髪を数本飛ばすのみに止まった。
「そんなブレっブレのエイムで当たるかよ!」
麗華が拳銃を蹴り飛ばす。
「先輩、短い間ですがお世話になりました!」
京華は先輩の顔面を蹴り抜いた。
「お姉ちゃん! 早く早く! ○○区で抗争だよ!」
「ちょ、まって、スカートとか履いた事ないから……」
麗華は京華と同じ女性警官の制服を着ている。しかし下は京華と違いスカートだ。
「なんで私だけスカートなんだ!」
麗華はスカートの裾を抑え、真っ赤な顔で抗議する。
「えぇ、なんとなく?」
「京――華――!」
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