73.たった一度の我儘

 優愛が病院で叱られている頃、優斗も同じく優愛のアパートでお叱りを受けていた。



『ごめん、我儘言って……』


 通話の相手は優斗の父親。息子のフライトキャンセルに怒り口調で言う。


『本当にこっちには来ないのか?』


 少しの間をおいて優斗が答える。


『うん、行かない』


『アメリカの大学はキャンセルするってことか?』


 このまま行けば順風満帆であろう優斗の将来。それが一時の気の迷いで棒に振るのは実に惜しい。父親は何とか息子に翻意させようと説得を試みる。



『ごめん、父さん』


『まだ間に合う。来週の便でこっちに来れば……』



『好きな人がいるんだ』



『好きな……、女か?』


『うん』


 父親が黙り込む。恐らく理由はそんなことだろうと思っていたのだが、改めて聞くと怒りが隠せなくなる。



『たかが女の為にお前は自分の人生を無駄にするのか!!』


『父さん……』


『なんだ?』


 優斗が大きく息を吐いてから言う。



『俺、子供の時からずっと引っ越しばかりで友達も全然できず、人を好きになることも怖くて止めていたんだ』


『優斗……?』


『だけどその彼女は強がりで向こう見ずで全然手に負えない子なんだけど、とても脆くて寂しがり屋でそのくせ甘えん坊ですごく一緒に居たいと思える子なんだ』



『……』


 優斗の言葉を黙って聞く父親。


『これまで父さんの指示にはすべて従って来たけど、ごめん。一度だけ、たった一度だけ我儘を言わせて欲しい』


 沈黙。受話器の向こうで何か考える父親の吐息が聞こえる。



『大学はどうするんだ?』


『日本で行く』


『日本って、そっちの受験はもう終わっているだろ?』


 アメリカ行きが決まっていた優斗は大学などどこも受けてはいない。この時期に大学受験は不可能だ。



『浪人する』


 はあ、と受話器越しに落胆する父親の声が聞こえる。



『まあいい。今の時点でいいとは言えないが、無理やり連れてくることもできないのでしばらくはそっちに居なさい』


 簡単には行かないだろうなと思っていた優斗。親としては当然の回答だろう。



『ねえ、父さん』


『なんだ?』


 優斗が真剣な目になって言う。



『卒業までさ、今の宮西に通いたんだけど』


『高校か?』


『うん』


 まだ二月中旬。来年受験するとしても、最後の高校生活を優愛達と過ごしたい。唸っていた父親が言う。



『分かった。学校には私から連絡しておくよ』


『ほんと? マジ嬉しい!!』


 受話器越しから伝わる息子の喜ぶ声に一瞬父親の頬も緩む。だがすぐに気を引き締めて言う。



『近いうちに一度そっちに行くから、その時ちゃんと話そう』


『分かった』


 優斗は取りあえず無理やり連れて行かれることはないと安心する。



『あ、そう言えばお前今どこに住んでるんだ?』


 父親が昨日引き払った部屋のことを思い出して尋ねる。優斗が言い辛そうに答える。



『あー、それは、友達。うん、友達の部屋に泊めて貰っている』


 正確に言えば嘘。優愛は友達を越えて恋人になっている。父親が尋ねる。



『まさかその彼女の家とか?』


(え!? なんて鋭い……)


 驚く優斗。返事がない息子に父親が言う。



『部屋もまたちゃんと用意する。それまではまあその友達の家でもいいので世話になれ』


 当面はビジネスホテルと考えた父親だが、高校生が何泊もするのは怪しまれる。


『あと、お前らはまだ子供。間違いは起こすなよ』


『あ、ああ、分かってるよ……』


 それはしっかり理解しているつもり。ただ若い男女が同じ部屋でふたりっきりになれば何が起こるか分からない。特にデレている時の優愛はこの世のものとは思えないほど可愛い。



『それじゃあまた』


『うん、ありがとう。父さん』


 通話を終えた優斗は全身汗だくになっていることに気付いた。優秀な優斗とは言えやはりまだ高校生。人生がかかるような選択を自分の我儘で通してしまったことに負い目は感じている。そんな優斗のスマホにメッセージが届く。



『病院終わったよー、これから帰るね』


 優愛からのメッセージ。

 疲れた優斗の心が癒されて行くのを感じた。






 翌日、優斗の父親が学校に連絡を取る。

 幸運なことに彼の退学手続きはまだ正式にはされておらず、校内での処理で済む段階だった。担任への説明やその処理が終わったのが夕方。明日から登校するかと優斗に尋ねると『今から行きます!』と即答し、すぐに学校にやって来た。



「上杉優斗です、みんなよろしく!!」


 沸き起こる歓声。拍手。

 琴音や計子も抱き合って優斗の帰りを喜んだ。




「優斗さん!! アメリカは? アメリカ行かないんですか??」


 授業後、早速優斗の元に集まって来た琴音達が優斗に尋ねる。


「ああ、行かないよ」


「なんで? どうしてですか??」


 立て続けに質問する琴音に優斗が困った顔で答える。



「うーん、やっぱりまだここに居たいって思ったからかな」


 それは嘘ではない。ここに居たいと思っている。



「優斗ぉ~、やったね~!! 卒業式も一緒じゃん~!!」


 ピンク色の髪を最近ポニーテールにしたルリが嬉しそうに言う。


「ああ、卒業式も一緒にできるぞ!」


「良かったです、優斗さん。色々計算外のことが起こって私自身処理できなかったのですが……」


 独特の言い回しではあるが優斗の帰りを計子も喜ぶ。クラスメート達から喜びと質問攻めにされる優斗。そんな彼を少し離れた場所から優愛が見つめる。



(優斗君、本当に良かったよぉ……)


 居なくなるものだと覚悟して過ごしてきたこの一年。無理やり自分に言い聞かせて来た彼との別れ。思い出すだけでも辛く触れたくない現実に目を背けてきたが、それが最後に最高の形で覆されることになるとは。

 その後優斗は教室にやって来た畑山や平田等の友人にも心底驚かれ、復帰初日を終える。




(帰りは別。帰りは別々……)


 思わぬ形で同棲することになった優斗と優愛。それは絶対知られたくないので同じ部屋であっても帰宅は別々とした。



「じゃあね~、優愛~!!」


 ルリ達と別れてひとり電車に乗る優愛。



(早く帰りたい、早く帰りたい。ぎゅっとされたい!!)


 頭の中は優斗とふたりきりになる『愛の部屋』ことで一杯。とにかく楽しくて甘くて、幸せな空間。



(優斗君、早く会いたいよぉ……)


 先程まで一緒に居たにもかかわらず、居なくなればすぐにまた会いたくなる。優愛の頭は優斗一色に染められていた。




「ただいま!!」


「おかえり!!」



「きゃっ!!」


 先に帰って来ていた優斗が、部屋に入って来た優愛を抱き上げる。



「優愛~、会いたかったよ~」


「私も~!!」


 ぐるぐると回転しながら抱き合うふたり。そしてキス。一体一日何度するのか分からないほどふたりは唇を重ねる。頬を赤く染めた優愛が優斗を見上げて言う。



「ねえ、学校でもして」


「え? それはちょっと無理だよ……」


 さすがに人の多い学校でこんな熱いキスはまずい。優愛が頬を膨らませて言う。



「や~だ~、優愛、我慢できない~!!」


 もはや一年前の『ツンデレ生徒会長』の面影はない。デレだけが強化されたギャップ萌え無双状態である。優斗が困りながら答える。



「うーん、じゃあ、みんなの居ないところでな」


「てへ、やった~!!」


 そう言って喜ぶ優愛。ついこの間まで学校風紀の監視役として活動していた面影はもうない。優愛が優斗と見つめて言う。



「ねえ、優斗君」


「ん、なに?」


「優斗君は、今年浪人するんでしょ?」


「うん」



「優愛一緒に浪人する!」


「は?」


 思わぬ発言。優斗が尋ね返す。



「いや、だって優愛はM大受けたろ? 優愛なら絶対合格で……」


 優愛が首を振って答える。


「優愛は優斗君と一緒に居たいの。優斗君が浪人するなら優愛も浪人。一緒に大学受かって一緒に通うの」


「優愛……」


 優愛、優斗共に現役で志望大学に合格できる実力はある。事情があって浪人生になる優斗だが優愛もそれに付き合うという。



「だけど、それじゃあ親が許さないだろ……?」


 心配する優斗に優愛が答える。


「大丈夫。私、家じゃそれ程必要とされていないから」


 優愛の父親は再婚して彼女新しい母親がいる。連れ子の夜愛を可愛がり、当然ながらその三人でもう既にある意味完結した家族となっている。優愛が家を出たことで更にそれが進んだ。



「優斗君をしばらく泊めると言った時もお父さんは反対したけど、お義母さんは全然興味なかったし」


 そう言って少し悲しげな顔になる優愛。優斗が彼女の頬に手を当て言う。


「じゃあ、優愛の居場所はここだ。俺の傍」


「んん……」


 そう言って再び唇を重ねる。口づけを終えた優愛がとろんとした目をして言う。



「うん、本当に嬉しい。でもここは私の部屋だよ」


「だよね~、もともと居場所はここか」


「ぷっ、そうだよ~、クスクス……」


 笑い合い、見つめ合って再び重ねられる唇。

『幸せ』と名のついた時間がふたりの間を止まることなく流れて行く。

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