69.心なきバレンタインデー

(やった、やったよおお!! 私、これからも生きられる!!!)


 その日の夜、病院のベッドに入った優愛は興奮で眠ることができなかった。病魔との戦いの日々。辛かった副作用。そのすべてから解放される。優愛はひとり『生きる』ことへの感謝を感じつつ眠りにつく。




『お父さん、あのね……』


 翌朝、起きてすぐに優愛は父親へ電話した。

 昨晩メールでの連絡は受けていた父親だが、改めて娘の口から報告を聞き喜びを露にする。一緒に居た妹の夜愛も涙を流して喜ぶ。



『近いうちにそっちへ行くから』


 明日はバレンタインデー。再検査をした結果が出る日。優愛の父親と夜愛がやって来る時にはしっかりとした結果が伝えられるだろう。優愛は家族への連絡を終えると、すぐにルリ達へとメッセージを送る。



『本当? おめでとー!!』

『良かったね、優愛ちゃん!!!』


 ルリや琴音から祝福のメッセージが届く。喜ぶ優愛だが、それでも計子と優斗には送れない。優愛がスマホをテーブルの上に置き深く息を吐く。



「神崎さん、おはようございます。今日も検査頑張りましょうね!」


 そんな優愛に病室にやって来た看護婦が笑顔で声を掛けた。声が明るい。優愛に起きた奇跡とも言える回復を前に看護婦も喜びを隠せない。



(私、生きていていいんだ)


 優愛は看護婦と一緒に検査室へと歩き出す。






 引っ越し前日。優斗は最後の登校のため家を出る。


(早かったな……)


 ここに来て一年。決して長いとは言えない時間だが、実に内容の濃い時間であった。




「おはよー、優斗っ!!」


 教室に入るとルリや計子、琴音が声を掛けてくれた。



「はい、これ。バレンタイン!」


 琴音が鞄ほど大きなチョコの箱を取り出し優斗に渡す。



「で、でかいな!? でも嬉しいよ。ありがと!!」


 優斗がそれを笑顔で受け取る。その後もルリや他のクラスの女子からもチョコを渡された優斗。皆と一緒に懐かしい話をしていると、クラスに大きな声が響いた。



「優斗ーーーーっ!!」


 それは野球部元キャプテンの畑山、そして水泳部の平田。宮西全勝に協力してくれた大切な戦友だ。優斗が笑顔で言う。



「おお、久しぶり! ふたりとも」


 優斗とがっちりと握手をした平田が言う。



「今日で最後か! 寂しくなるよな!!」


 その握った手に力が入る。


「今までありがとう。本当に感謝してるよ!」


「なに、いいってことよ! 向こうでもジャパニーズベースボールの凄さを見せてやれよ!!」


「あはははっ、まあ、野球はやらないけどな」


 そう言って笑う優斗に平田が言う。



「元気でな、上杉君」


「ああ、ありがとう!」


 平田とも握手をする優斗。それを見ていた琴音が優斗に尋ねる。



「ねえ、優斗さん。明日のフライトの時間は何時なんですか?」


 皆の視線が優斗に集まる。ルリが言う。


「みんなで見送りとか行っちゃうから~」


 優斗が答える。



「いや、いいよ。そう言うの苦手だから」


 そう言って頭を掻く優斗。計子が尋ねる。


「そんな寂しいこと言わないでください。同じ仲間じゃないですか。教えてくださいよ」


「い、いいって! その気持ちだけで嬉しいから!」


 これまで何度も出会いと別れを経験して来た優斗。空港や駅での別れ程辛いものはない。琴音がぷっと頬を膨らませて言う。



「え~、優斗さんのけち~」


 それを見て皆が笑い出す。



(神崎さん……)


 計子は今週ずっと欠席している優愛のことを考える。なぜか自分には連絡は来なかったけど、彼女の病気が奇跡的に回復したことは琴音達から聞いている。計子はじっと主のいない机を見つめた。





「優斗様ぁ~!!」


 授業を終えて下校しようとした優斗の耳に、何度も聞いた甲高い声が響く。はぁと小さく息を吐いてから優斗が振り返ると、真っ赤なツインテールに赤いリボンを付けた鈴香がやって来た。



「鈴香、どうした?」


 鈴香が優斗に近付いて言う。


「今日はバレンタインデー。鈴香の日ですよ!!」


 なぜ鈴香の日なのか理解できない。優斗が苦笑していると鈴香がカバンの中から真っ赤な包みに入ったチョコを差し出す。



「はい! これバレンタインのチョコで~す!! 食べてくださいね~!!」


 優斗が軽く頭を下げて受け取ろうとする。鈴香が言う。


「鈴香のがた~くさん入った特製手作りチョコです! 食べれば幸せになること間違いなし!! さ、どうぞぉ~!!」


「要らん。断る」


 すっとチョコの包みを突き返す優斗。鈴香が泣きそうな顔で言う。



「ど、どうして鈴香の愛の結晶を拒否なさって……」


「お前、チョコに一体何を混ぜたんだ??」


 鈴香が赤い顔をして答える。



「え? そ、そんなこと恥ずかしくてここじゃ言えないですわ~!!」


「じゃあな。俺は帰る」


「ああ、優斗様ぁ~!!」


 立ち去ろうとする優斗の鞄に鈴香が無理やりチョコの包みを押し込む。そして直ぐに尋ねる。



「優斗様~、明日、アメリカに行かれるんですよね?」


「ああ、そうだけど」


 歩きながら優斗が答える。



「何時のフライトでしょうか~??」


「それは秘密。言うと来るだろ?」


「言っても言わなくても行きますわ~!!」


「はぁ……」


 優斗は適当に鈴香をあしらいながら帰宅の途に就いた。




 その日の夕方、主治医から優愛へ完全に腫瘍が無くなったと告げられた。

 奇跡としか言いようのない出来事。前例のない回復に主治医は終始興奮していた。今後定期的に検査を行う予定だが、そこで再発が確認されなければ完治と言っていい。明後日の優愛の退院が決まった。



(明日か……)


 病気が治ったことを心から喜ぶ一方、明日に迫った優斗の渡米を思うと優愛の顔は暗くなった。こんなに嬉しい事なのに優斗と一緒に喜べない。父親でもない妹でもない、ルリや琴音でもない、優斗と一緒に喜びたい。



「でもあいつは……」


 計子の告白。

 時々夢にも出てくる辛い光景。



「私のことなんて……」


 辛い現実。それでも優斗と過ごした時間は紛れもない事実だし、経験のないほど楽しい時間であった。スマホを手にするも優斗からの連絡は全てブロックしている。優愛は小さくため息をついてからひとり夕食に向かった。






 その日は朝から快晴だった。

 優斗は大きなスーツケースを持ち、呼び寄せたタクシーに乗り込む。冷たい風が吹く外とは違いタクシー内はとても暖かい。

 一年住んだこの街ともいよいよお別れである。優斗がスマホを取り出し最後にまたへ連絡する。



(まだダメか……)


 どうして避けられているのか分からない。だがもう一度だけ会いたいとずっと思っている。



「優愛……」


 思わずその名前を口にする。優斗はタクシーの車窓から流れる景色をぼんやりと眺めた。






 同じ空をぼんやりと眺める少女。

 病室は空調がしっかり効いており暖かく、窓の外の葉の落ちた寒そうな木々とは対照的である。



「優斗君……」


 優愛はぎゅっとスマホを握りしめる。最後に会わなくてもいいのか。いや自分を裏切った男の元に行くなどあり得ないこと。病気が治り嬉しい筈の優愛の顔はずっと冴えない。



 コンコン……


 そんな優愛の病室のドアが小さくノックされた。



「はい……?」


 朝もまだ早い時間。すぐに入って来ないところを見ると看護婦ではない。面会時間ではないノックに優愛が少し緊張する。



「おはようございます。神崎さん」



(え? 計子??)


 その病室に入って来た長へのクラスメートを見て優愛が驚く。



「え? どうしたのよ、計子?」


 動揺する優愛が尋ねる。計子が答える。


「どうしたのってお見舞いよ。まあ治ったようだけど」


 優愛はまだ彼女にだけ連絡をしていないことにバツの悪さを感じる。ただそれよりももっと重要なことが優愛の頭の中にグルグルと回っていた。



 ――優斗と付き合ってる計子がどうしてここに居るの??


 今日は優斗の渡米の日。いわば別れの時。優斗の彼女が空港ではなく、こんな病院に来ること自体あり得ない。計子が病室にあった椅子を見ながら言う。



「座ってもいいかしら」


「え、ええ、どうぞ……」


 一体何が始まるのか。何を言われるのか。優愛の緊張は極限にまで高まる。計子が言う。



「まずは病気の回復、おめでとうございます。みんなとても喜んでいましたよ」


「え、ええ……」


 優愛は焦っていた。聞きたいこと、話したいことはそんな事じゃない。随分と落ち着き余裕のある計子を見ながら我慢できなくなった優愛が言う。



「け、計子。あなたこんな所に居ていいの?」


 質問の意味がしっかりと分からない計子が尋ね返す。


「どういう意味かしら? どう計算しても分からないわ」


 優愛がむっとして言う。



「あなた、優斗と付き合ってるんでしょ!! 今日は彼の渡米の日。こんな所に居てもいいのかって聞いてるのよ!!!」


 ここ最近の優愛にしては珍しい大きな声。その言葉を聞いた計子が驚いた顔をしてから言う。



「神崎さん。あなた何か凄い勘違いをしていない?」



「え? 勘違い??」


 優愛が計子の顔見つめる。計子が表情を変えずに言う。



「私は優斗さんとお付き合いなんてしていないわ。凄い勘違い。そしてね……」


 驚いた表情で計子の話を聞く優愛。そして計子が言った。



「優斗さんが好きなのは、よ」



 優愛の周りの時間が一瞬、静かに動きを止めた。

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