68.素直になれない優愛ちゃん

「うわーん、うわーん!!!!」


 優愛はその日の夜、布団の中に潜って声を上げて泣き続けた。

 優斗のことを大好きだと認めた自分。きっと向こうもそう思ってくれているに違いないと思っていた自分。



「うわーん!! ううっ、うっ、うわーん!!!!」


 何度思い出しても全身の力が抜けていく計子の告白シーン。

 まさかこのバレンタインまで時間がある中での先制攻撃。計算好きの計子にぴったりの作戦。



(優斗君も計子のことが……)


 優愛の頭には計子と優斗のふたりが仲良く腕を組んで歩く姿がずっと浮かんでいる。やはり自分は騙されていた。またしても男に騙されたのか。



「ううっ、うわーん!!!!」


 優愛は再び布団に顔を埋めて大声で泣いた。






 翌朝、教室にやって来た優斗が優愛に挨拶をする。


「優愛、おはよ!」


(ふん!!)


 優愛は何も答えずにプイと顔を背ける。



「え? ゆ、優愛……??」


 驚く優斗だが優愛はそっぽを向いたまま。せっかく朝の挨拶をして貰えるようになったと思った矢先のこの塩対応。優斗自身何が起こったのか全く理解できない。



(まさか昨日の出来事、計子が優愛に話したとか……??)


 優斗自身辛い事ではあったが、計子からの申し込みは断った。まさかその話を優愛にして、よく分からないが自分の配慮のなさとかに怒っているのだろうか。



「優斗さん、おはようございます」


 そんな優斗にその計子が声を掛ける。



(計子!?)


 驚き優斗が計子を見つめる。

 いつもと変わらぬ赤い眼鏡に黒いおさげの髪。気のせいか目が少し赤く腫れている。



「あ、ああ、おはよ。計子」


 優斗も無理やり笑顔を作ってそれに答える。計子が隣の優愛にも言う。



「おはようございます。神崎さん」


(ふん!!!)


 優愛は首の骨が曲がってしまうのではないかというほど更に顔を背けて無言を貫く。優斗が思う。



(ああ、計子が話をしたのではないようだな……)


 少し安堵する優斗。だが計子と優愛、ふたりの間の空気は見ているだけで重い。そこへルリがやって来て声を掛ける。



「やっほ~、おはよ~、優愛~!!」


「ふん!!」


 関係のないルリにまで怒りを表す優愛。結局、この朝優愛が発した言葉はこの『ふん!』のひと言だけで終わった。




(やっぱりどんな計算をしても私じゃ優斗さんの隣には立てない……)


 計子は数学の授業中、課題の計算式を解きながら思った。教室の端には銀髪の男。こんなに近くにいるのに想いは成就されない。



(でも……)


 計子は計算式をじっと見つめて思う。



(きっとこの難解な数式を解く方法があるに違いないわ。計算の可能性は無限。私は諦めない!!)


 アメリカに行く優斗。例え離れていてもきっと何か方法はあるはずと計子は自分に言い聞かせた。






「な、なあ、優愛……??」


 その日から優愛の態度が激変した。

 あれだけいつも一緒に居たふたりがまともに会話をしていない。それどころか挨拶すらして貰えない。戸惑う優斗。もちろん夜の業務連絡もずっとなくなっている。



「優愛ちゃん、どうしたの、最近?」


 お昼休み。あまりに露骨な『優斗無視』をする優愛に琴音が尋ねる。


「何でもないわよ」


「何でもあるよ。絶対変だよ、優愛ちゃん」


「そんなことないわ」


 そう言ってモリモリご飯を食べる優愛。怒りとストレスで最近食の量が増えてきている。琴音が小声で尋ねる。



「もうすぐ優斗さんが居なくなっちゃうんで……、それが原因?」


 優愛が琴音の顔を見て答える。


「違うわ! そんな訳ないでしょ!!」


 そう言って更にヒートアップしてお昼ご飯を食べる。



(それが原因なのね……)


 琴音は素直になれない優愛を見て小さくため息をついた。






 迎えた二月中旬、優愛は病院へ行き久し振りとなる検査入院の説明を聞いた。一泊程度の短かなもの。その間にCTや血液検査などきちんとした検査を行う。



「最近体調はどうですか?」


 そう尋ねる主治医に優愛が答える。


「ええ、何だかとても体が軽い感じがします」


 実際優愛の体調は不思議と良くなっていた。眩暈も無くなり、重かった体も嘘のように軽く感じる。優愛の顔色の良さ、以前よりふっくらした姿を見て主治医が言う。



「見た目も良さそうですね。明日からの検査が楽しみです」


「はい」


 そう答えると優愛は診療室を出て病院を後にした。




(もうすぐバレンタインデーか……)


 病院を出た優愛が目に入ったコンビニの垂れ幕を見て思う。それは間もなく訪れるバレンタインデー。自分には関係のないイベントだと思っていた優愛にとって、初めてチョコを買おうかと少し考えた今年。

 だが思い出されるのは計子がチョコを渡す光景。優斗の顔。



「いらっしゃいませ」


 優愛は気が付くとコンビニに入り可愛らしいチョコが陳列された一角へと足を運ぶ。



(こんなの見てどうするのよ……)


 あいつは計子を選んだ。

 学校ではそんな素振りは全く見せないが、自分はその証拠現場を見ている。あいつは浮気性だからそれでも他の女の子からチョコを贈られるとすべて貰うだろう。



「ありがとうございます」



(え?)


 気が付くと一番可愛いチョコを買っていた。



(な、何でチョコなんて買ってるのよ!! 誰に渡すの!? お父さん?? いや、それはないけど……)


 コンビニを出た優愛は手にした可愛らしいチョコの箱を見てため息をつく。



「帰って自分で食べるか……」


 優愛がひとりうなだれて部屋へと帰って行く。






「よし、こんなもんだろう」


 優斗は部屋の荷物を縛り上げひと息ついた。

 間もなく引っ越し業者がやって来る。アメリカまでの国際引っ越し。手配は父親がしてくれたが、慣れない書類など初めての経験に手こずった。


「学校ももう終わりか……」


 高校最後の学校生活。意外な形で終わることになってしまったが、ここで過ごした一年は本当に充実したものだった。



「雨の日、優愛が轢かれそうになって助けたんだよな……」


 一年前、転入日当日の朝に出会った黒髪の美少女。まさか同じ学校の生徒会長で、同じ教室で隣同士になるなんて夢にも思っていなかった。恥ずかしくて当初は言えなかったが、あれはある意味運命だったのかも知れない。



(あれ、涙……)


 優斗は自分の目から涙が零れ落ちたことに気付いた。

 業務連絡が無くなって夜の楽しみがなくなった。何も考えずに楽しく勉強できていた以前とは違う暗い夜。電話もSNSもブロックされていて通じない。



「優愛、俺が何したって言うんだよ……」


 ベッドに倒れ込んだ優斗。自然と出た涙は大きな粒となって流れ落ちた。






 翌日、優愛は学校を欠席した。

 一部の者だけが知っている優愛の病気。あえて担任も優愛が休みだということのみ伝え、その理由には触れない。その代わりに優斗の退学の日が近付いていることを悲しみ、皆と最後の別れをするよう話をした。



「上杉君、引っ越しの準備はもう終わりましたか?」


 担任が笑顔で尋ねる。皆の視線が集まる。


「はい。終わりました」


 優斗の引っ越しは2月15日。あと数日。いよいよその別れの日が近付いて来ていた。優斗は今日休みになっていて誰も座らない隣の席をじっと見つめた。






「はい、お疲れさまでした。結果は今日の夕方には出ますので」


「ありがとうございます」


 検査入院でやって来た病院。最初のCTを撮り終えた優愛が感謝を伝え、一度自分のベッドへと戻る。

 学校に行っている間は楽しくて忘れてしまう病気だが、ここに来るといつも心が折れそうになる。辛い病名、副作用、将来の不安。態度は大きくても小さな体の優愛には辛すぎる現実。



(優斗君……)


 ベッドに横たわり、窓の外から見える景色を見つめる。



(ちょうどこの時期だったよな、助けてもらったの……)


 一年前、土砂降りの雨の朝に車から助けてもらった一年前。大嫌いな男に触れられただけでも湿疹ができるほど嫌だったのに、あれ以降目が自然と彼を追うようになった。



「アメリカ……」


 遠すぎる場所。想像もつかない。優愛の目から涙が流れる。



「遠すぎるよ……」


 隠れるように布団の中へと潜り込む。




「神崎さん、神崎さん!!」


 そんな優愛の耳に看護婦が慌ててやってきて呼ぶ声が聞こえる。


「神崎さん、すぐに来てください!!」


 布団から顔を出した優愛に看護婦が興奮した声で言う。



(な、なに? どうしたの……??)


 普段落ち着いている看護婦の慌てよう。優愛の表情が険しくなる。




「神崎さん、ここに座ってください」


 連れてこられた診療室。主治医の机の前には先程撮った優愛のCTの写真が貼られている。主治医がマウスを何度かクリックし、優愛に言う。



「ここを見てください。これは以前の写真。この白い部分、これが腫瘍です」


 何度も見せられて来た自分の腫瘍。もう見たくない写真だ。主治医がマウスをクリックさせ、新しい写真を表示させる。



「これが今日の写真です。気付きましたか? 腫瘍がんですよ!!」



「え?」


 優愛がその写真をじっと見つめる。確かに以前のものと比べて白い腫瘍が綺麗になくなっている。主治医が興奮気味に話す。



「こんな事って初めてなのですが、本当に腫瘍が無くなればもう何も心配ありません」


「本当、何ですか……?」


 信じられない表情で尋ねる優愛。



「ええ。まだこれから再度精密検査をしますのではっきりは言えませんが、腫瘍が無くなり浸潤も転移もないとなれば、まあ経過観察は必要ですが、完治と言えるでしょう」



「完治……」


 優愛の顔に初めて笑みが浮かぶ。

 将来が真っ暗だった優愛の心に、希望の光が強く輝き始めた。

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