67.計子の告白

 三月の卒業までの時間は、皆が思っているよりもずっと早く進んで行った。



(去年の『卒業生を送る会』の時はあんなに会計で苦労したのに……)


 いよいよ卒業が近付いて来た二月。琴音は朝から雪がちらつく曇天を見ながら思った。一月のテストも無事に終え、これから大学入試試験が本格化する。琴音は優愛とお昼を食べながら尋ねる。



「優愛ちゃん、受験勉強は順調?」


「ん? 順調よ」


 学校でもトップクラスの成績の優愛。生徒会長を務めており、健康の面を除けば彼女に大学入試に不安な点などない。


「そうだよね。優愛ちゃんなら大丈夫だよね」


「どうしたの? 勉強、上手く行ってないの?」


 優愛が不安そうな顔で尋ねる。



「ううん、頑張ってるよ。でも、なんだか寂しいなあって」


「まあね」


 優愛が弁当のご飯をパクパク食べる。



「優愛ちゃん、最近よく食べるよね」


「そうなのよ! なんだかご飯が美味しくて」


 そう話す優愛の顔色は良い。健康的な肌の艶。琴音が小声で尋ねる。



「病気は大丈夫なの?」


「うん。体調もいいし、再来週、検査入院があるんだ」


 再来週、それは二月のがある週。女子にとってはある意味戦いの時。琴音が尋ねる。



「再来週、バレンタインでしょ? 優愛ちゃんはどうするの?」


 バレンタインと聞いて持っていた箸が止まる優愛。



「ど、どうするって、別に何も考えていないわよ……」


 あからさまに動揺する優愛。これまで男嫌い、実際に男が嫌いだった彼女にとっては最もくだらないイベント。なぜ男などにへつらわなきゃならないのか。全く理解できなかったイベントだが、今年は違う。



「琴音はどうするの?」


 尋ねられた琴音が顔を赤くし、教室の離れた場所に座る銀髪の男を横目で見ながら答える。


「貰って欲しい人はいるよ」


 本当に素直な子だ、優愛は琴音を見てそう思った。



(バレンタインか……)


 優愛は琴音に気付かれないように横目で同じく銀髪の男を見つめた。






「ちょっとここで残念なお知らせがあります」


 お昼が終わり、教室にやって来た担任が皆に向かって言う。残念なお知らせ、いつもと違う言葉に教室中の視線が担任に集まる。



「上杉君ですが、再来週での退学が決まりました」



「ええ!?」


 クラス中から上がる驚きの声。突然の発表に驚く皆。同時に担任から視線が優斗に移る。優斗は視線を下に落とし黙ったままだ。担任が説明する。



「上杉君は卒業後アメリカに行く予定で、そのスケジュールが早まったと家の方から連絡がありました。大変残念ではありますが残りの期間、みんなで思い出をたくさん作って下さい」


 担任の声もやや感情を抑えきれない声。優斗の活躍は学校中の誰もが知っているところ。その彼が卒業式を待たずに居なくなる。



「ちょ、ちょっと、優斗……」


 隣に座っていた優愛が優斗に声を掛ける。優斗はそれに少し顔を上げて苦笑いして応えるのみ。担任の話が続く中、優斗はずっとそれを無言で聞いていた。






「ちょっと!! 一体どういうことなのよ!!!」


 授業が終わると同時に優愛が隣に座る優斗に大声で言う。皆の視線がふたりに集まる。すぐに琴音と計子、そしてルリもやって来てそれに加わる。



「優斗さん、そんなに早く居なくなっちゃうんですか!!??」

「それは計算外……」

「え~、寂しいなあ~、さよならパーティーやっちゃう〜??」


 皆が優斗に一斉に問いかける。頭をぼりぼりと掻きながら優斗が答える。



「ごめん。みんなにはちゃんと話そうと思っていたんだけど、親父が先に学校に連絡しちゃったみたい。ほんと悪い」


 そう言って軽く頭を下げる優斗に優愛が言う。



「悪いじゃないでしょ!! 毎晩話しているのに、どうして言ってくれなかったの!!」


「え? 毎晩話してる??」


 思わぬ発言に計子や琴音が驚く。優愛が慌てて言い直す。



「あ、毎晩じゃないわ。時々話しているだけよ。それより本当に再来週アメリカに行くの??」


 優斗が視線を下に落とし小さく答える。


「ああ、うん……」


 いつもの優斗とは明らかに違う様子。元気で前向きな彼の面影はない。琴音が寂しそうな顔になって言う。



「優斗さん、急過ぎです……」


 皆が無言になる。優斗が小さく言う。



「ごめん、みんな。俺自身もまだ心の整理が付けられなくて……」


 優斗自身も戸惑っていた。

 これまで繰り返してきた転校。最初のうちは辛かったがそれもすぐに慣れ、今では転校先でどんな生活が待っているか楽しみにするようになっていた。この宮西に来た時も同じ。優愛に生徒会に誘って貰い頑張ろうと楽しんで過ごして来られた。



(どうしたんだよ俺、アメリカの生活を楽しもうと思っていたのに……)


 優愛達と過ごした生徒会の日々。その当たり前だった日常が終わり、その場所からも居なくなる。優斗の心はかつて経験のないほど沈んでしまっていた。






(優斗さんが再来週いなくなる……)


 計子は家に帰ってからずっと優斗が居なくなる生活のことを考えていた。分かっていたその事実。すべては計算済みであったはずなのに、いざその現実が実感として現れると悲しくて体が震える。



「やれることはやる」


 計子は開いたままのお菓子作りの本を見て、計算機を叩く。


「時間は有限。計算は無限!!」


 高速で計算機を叩き終えた計子が、お菓子の材料を掴み調理し始める。趣味は計算。普段お菓子作りなどしない計子にとってある意味経験のない試練。それでも優斗のことを思い真剣になる。



「優斗さん……」


 計子は作りながら思わず涙がこぼれた。






 翌朝、学校に登校した優斗が優愛に挨拶をする。


「おはよ、優愛」


「お、おはよ」


 眠そうな顔の優愛。目をこすりながら優斗に答える。



「……」


「……」


 昨日は業務連絡がなかった。何があったのか知らないが、間違いなく優愛に何か異変が起きている。優斗が尋ねる。



「どうかしたのか? 優愛」


 そう尋ねる優斗に優愛が無言で応える。

 眠れなかった。優斗が居なくなるという事実に優愛の頭の処理が追い付かない。眠ろうとしても眠れず、結局一晩中起きていた。



「何でもないわ」


 そう答えるのが精一杯。眠そうな顔、真っ赤な目。優斗もそれ以上尋ねるのは止めることにした。そしては放課後に起きた。




『放課後に音楽室に来て貰えますか?』


 午後の授業を終えた優斗のスマホにメッセージが届く。じっとスマホを見つめ考える優斗。すぐに返信する。


『何かあった?』


『お話したいことがあるんです』


『分かった。行くよ』


 優斗は素早くそう打ち込むとスマホを鞄に入れる。




 授業が終わるチャイムが校内に響く。少しずつ日も長くなってきた二月初めの空。優斗は教科書を鞄を片付け、友人達と少し会話をした後教室を出る。


(ん? どこへ行くんだろう)


 トイレに行って帰って来た優愛が教室を出る優斗の姿に気付き目で追う。




 ガラガラガラ……


 誰もいない最上階にある音楽室。部活動などでも使われることのない部屋。優斗が開くドアの音だけが静かに空間に響く。赤い絨毯に音符付きの黒板、その前には黒く立派なピアノが置かれている。

 優斗がゆっくりとドアを閉め、そのピアノにもたれ掛かっているおさげの女の子に声を掛けた。



「計子」


 名前を呼ばれた赤い眼鏡の女の子、計子が振り返って答える。


「優斗さん、来てくれてありがとうございます」


 にっこり笑う計子。だがその顔はどこか緊張感に溢れている。優斗が尋ねる。



「話ってなに?」


 優斗が計子を見て言う。計子は優斗の前まで行くと、後ろに隠していた小さな紙の包みを差し出し真っ赤になって言う。



「これ、バレンタインのチョコです!! ちょっと早いけど、貰ってください!!」


 それは真っ赤で小さな紙袋。黄色のリボンが付けられた可愛らしい品。優斗が驚いて尋ねる。



「え? バレンタイン?? まだだいぶ先だけど……」


 計子が恥ずかしそうに答える。



「バレンタインの頃って優斗さんアメリカに行ってしまうし、それにその時期だと多分ライバルが多過ぎて……」


 下を向きながら真っ赤になる計子。そして顔を上げて優斗にを口にした。






(一体どこへ行くのかしら……??)


 優愛は優斗が教室を出た後、悪いとは思いつつも密かに後をつけた。黙って廊下を歩く優斗。表情は分からない。



(校舎の最上階? どうしてこんな人気の少ない場所へ……?)


 こっそりと後をつけながら優愛の表情が厳しくなる。

 そして優斗は黙って音楽室へと入る。閉められるドア。優愛は身をかがめて廊下を移動し、ドアのところまでやって来て少しだけそれを開け中を覗く。



(え!? け、計子!!?? どうして、何をして……!!??)


 全くの予想外の人物。赤い眼鏡に真っ黒なおさげ。あの大人しい計子が優斗とふたりきりでいる。



「バレンタインのチョコです。貰ってください!!」


 音楽室内に響く計子の声。防音処理がされているので廊下にはあまり響かない。



(う、うそ? この時期に優斗にバレンタインのチョコですって!!??)


 覗きながら心臓が激しく鼓動する優愛。計子を見つめる優愛。そんな彼女の耳に更に驚きの言葉が響いた。計子が言う。




「優斗さん。私、あなたのことがずっと好きでした!!」



 計子は真剣だった。

 生まれて初めての告白。計算ばかりに興味を持ち、異性など全く気にもしなかった計子のこれまでの人生。そこに現れた『優斗』という全く異質の男性。真面目なところ、ひたむきなところ、その全てが計子には魅力に映った。

 お菓子の袋を持ったままの優斗が答える。



「計子、実は俺も……」



 優愛は駆け出した。

 逃げるようにその場から走り出した。



(聞きたくない、聞きたくない、なに、どうしてなの!!??)


 一緒に積み重ねてきたこの一年。最初は遠かった距離も今ではぐっと縮まっている。優斗は特別な人。優斗にとっても私は特別な存在。そう心のどこかで思っていた優愛は計子と優斗が仲良くする姿を想像し涙が出てくる。



(どうして、どうしてなのよ……)


 女子トイレに入った優愛。ドアの鍵をかけハンカチを手に涙を流す。



 そして別の場所でもうひとり、涙を流す女性。




「計子、実は俺好きな人がいるんだ……」



 計子は申し訳なさそうな顔でそう答える優斗を見て苦笑して答える。


「はい、知っていました。何度計算しても私じゃないってことなど……」



 そう話した計子の頬に涙が流れる。それでも笑って彼女は言った。



「それは食べてくださいね。私もまだ頑張りますから!!」


 そうって一度微笑んでから計子が小走りで教室を出る。



「ごめん……」


 優斗がひとり小さく謝った。

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