26.色々忙しい優斗さん

 金曜日の朝、教室にやって来た計子は優斗がいないことに気付いた。


(あ、今日は野球部の試合だっけ)


 いよいよ始まる甲子園の地方予選。野球も上手な優斗は臨時部員として試合に出場している。文武両道、野球もそして水泳も得意である。


(でも『スクール水着フェチ』なんですよね)


 計子はそんな優斗を思い出し苦笑する。




「おーい、席につけ。始めるぞ」


 そこへ担任である中年の男性教師がやって来た。銀縁のメガネにきっちり分けられた七三の髪。教壇に立ち、朝の話を始めるその男を見て計子が思う。



(やっぱりきちんと聞かなきゃ。サッカー部のこと……)


 計子や優斗の担任であるこの男。実は彼女が何度計算しても収支が合わないサッカー部の顧問であった。計子は昨日纏めてきたサッカー部の今年度の収支報告を手に、黙って授業を聞き始めた。





「紺野先生」


 一限目の授業が終わり、廊下を歩いて職員室へ向かう担任に計子が声を掛けた。


「山下……、どうかしたのか?」


 名前を呼ばれ振り返り立ち止まる紺野。学年主任でもある彼の眼光は鋭く、計子が一瞬たじろぐ。



「あの、ちょっと確認したいことがありまして……」


 そう言って計子は手にしていた今年度のサッカー部の収支を記した紙を見せる。



「サッカー部の収支が合わないんです。何度計算してもどうしても支出の方が多くなっちゃって。昨年度も気になってはいたのですが、今年度は更に数字が大きくなっているんです。先生、何かご存じでしょうか」


 紺野は手渡されたサッカー部の収支を無表情で見つめた後、笑顔になって言った。



「なるほど。これはちょっと預かってもいいかな。部のキャプテンに一度確認してみるよ。計算を間違えたのか、変な物を購入してしまったのか。少し時間をくれ」


「あ、はい! 分かりました。お願いします!」


 計子はそう言って頭を下げると小走りで教室へ戻って行く。



(山下計子、生徒会会計か……)


 紺野は去り行くおさげの後姿を見て、彼女がそう言う立場の人間であることを思い出した。






 同じ頃、地方の寂れた球場で甲子園の予選が始まっていた。

 野球強豪校とは無縁の両校。応援席の人もまばらで注目されない中、粛々と試合が進めらている。ただそのひとりの女生徒を除いては。



「優斗様ぁ~!! ファイトぉ~ですわっ!!!」


 十文字鈴香。宮前北高校の生徒会長が、なぜか宮西の応援に来ている。しかも宮西の制服を着て。隣で紅茶の準備をしていた副会長の世良が流れる汗を拭きながら言う。



「鈴香様、応援は理解できますが、なぜわざわざ敵校の制服を着て……」



 パアアアン!!!


「ぎゃっ!!」


 鈴香は隣にいた世良の頬を思い切り平手打ちする。頬を押さえた倒れ込む世良。少し離れた場所で座って見ていた人達が、突然のビンタ劇に驚いてふたりを見つめる。鈴香が冷たい表情で世良に言う。



「あなた、本当にお馬鹿ね~。姉妹校である宮西を応援するのに何か問題があるわけ~?」


「い、いえ、そのようなことは……」


 頬を押さえながら世良が興奮した表情でベンチに座り直す。鈴香はバッターボックスに入る優斗を見つめて言う。



「それにあの優斗様がお出になられる試合ですわよ~。この十文字鈴香、一試合たりとも逃すことは致しませんわ~!! 優斗様あああぁ!!!!」


 鈴香は立ち上がって両手を振って優斗を応援する。ガラガラの応援席。そんな中で短いスカートを履いた鈴香の黄色い声は否が応でも目立つ。

 バッターボックスに入る優斗にキャプテンの畑山が言う。



「優斗、スゲー応援じゃねえか! 誰だよあれ? めっちゃ美人だし!!」


 優斗は応援席で手を振る鈴香を見て苦笑しながらも手を振り返す。



「宮北のだよ」


「はあ!?」


 驚く畑山をよそにバッターボックスに入る優斗。そしてピッチャーの投球モーションと共に高く上げられた左足。『一本足の疾風』と呼ばれた優斗が鋭くしなやかにスイングすると、弾かれた白球は一直線に青い空に吸い込まれていった。


 この日を境にネット上に再び彼のちょっと恥ずかしい『二つ名』が現れることになる。






 週末の土曜日。琴音は少し遠方に住む計子の街へ電車に乗って向っていた。

 すっかり梅雨も明け、連日猛暑が続く。夏休み前最後のイベントである水泳大会に向けて生徒会のみならず、皆が盛り上がって来ている。


「計子ちゃん!」


 琴音は駅前で待っていてくれた計子の姿を見て笑顔で声を掛ける。


「こんにちは、琴音さん」


 琴音は真っ白なワンピースに赤い小さな鞄を持ち、茶色のボブカットにはちょっと砕けた感じの麦わら帽子を被っている。

 男子がデートで着て来て欲しいような可愛らしい格好をした彼女に対して、計子は白いワイシャツにデニムのサロペット。学校の制服ではあまり目立たなかった自分のオタク感が、私服を着ることで顕著になってしまった計子が心の中で小さくため息をつく。



「計子ちゃん、今日はよろしくね! ああ、楽しみだな、一緒の買い物!!」


 琴音はそう言って計子の腕にしがみつき笑顔になる。


「スクール水着ですけどね」


 そう答えつつも計子はこの素直で真っすぐな琴音のことを決して憎めないと思った。




「スクール水着って、やっぱり地味だね……」


 駅前から少し歩いた場所にある中規模のショッピングセンター。水着売り場に来た琴音が各学校別に札の付いた水着を見て小さく言った。


「まあ、やっぱりスクール水着だからね」


 それには計子も同意して答える。

 色はほぼ紺色一色。ワンピース型は仕方がないとして、太ももまでしっかり隠れる全く色気のないものばかり。優斗がスクール水着フェチと言うのは分かるが、これほど肌の露出が少ないとそもそも彼の視界にすら入れて貰えない気もする。琴音が尋ねる。



「計子ちゃんはスクール水着を着て行ったんでしょ? こんな色気がないので本当に興味持ってくれたの?」


 その言葉ひと言ひと言に琴音の熱意が感じられる。



「う、うん。私のはスクール水着でもちょっと古いタイプので、太ももとか全部出ているやつだったの。しかもサイズがちょっと合わなくて、変な意味でエッチっぽくなっちゃって……」


 そう言いながら自分が着ていた水着を思い出してしまい赤面する計子。対照的に手を叩いて頷きながら琴音が言う。



「なーるほど! やっぱりそうだよね! こんな布の面積が多いじゃ優斗さんも面白くないよね!」


 琴音の優斗への想いがどんどん溢れ出て行く。それに気付いた計子が琴音に尋ねる。



「琴音さんは、その、優斗さんのことが気になっているの……?」


 一瞬驚いた顔をした琴音だが、すぐに笑顔になって答える。



「えー、やだー、そんなことないよ~、ただちょっと可愛いかなって思ってるぐらいだよ!」


 琴音の脳裏に『託された』と言う言葉が何度も木霊する。残念ながらあれから大きな進展はないが、彼がスクール水着が好きならそれを着たいし、そうやって彼の色で自分を染めたいし、逆に彼を自分色で染めちゃいたい。


(分かりやすい子。でもそれが彼女の魅力……)


 白いワンピースに朱に染めた赤い頬。真面目で純粋で、それでいてロリのくせに巨乳ときている。『好敵手ライバル、強すぎ!』と思いつつ琴音を見つめる。



「計子ちゃんも、優斗さんのこと好きなんでしょ?」


「え?」


 余りにもストレート過ぎる質問。


「わ、私は……」


 初めの頃は不思議と積極的になれた計子。ただ優斗を知れば知るほど嫌われてしまうのが怖くなり、いつもの臆病な自分に戻ってしまう。琴音が言う。



「でも優斗さん、彼女作る気ないもんね……」


 そう悲しそうに言う琴音。計子があることに気付いて言う。



「卒業したらアメリカに行くんですよね、確か……」


「うん。そうだよ。残された時間は半年」


 その先は何も言わないが、つまりその間に彼を落とさなければもう二度と会えなくなるかもしれない。琴音が一般水着の売り場を指差して言う。



「ねえ、計子ちゃん。あっちの水着も見に行こうか」


「ええ、そうしましょう!」


 結局計子は琴音の強い勧めもあり生まれて初めてのビキニを購入。琴音はビキニはもう持っていたので、計子と同じく少しサイズが小さく妙な色気を出すスクール水着っぽいものを購入した。






 迎えた水泳大会前最後の日曜日。

 スポーツジムの前にいる優斗の姿を見た計子は、その入り口で一緒に座って待っている鈴香に気付いてため息をついた。


「よお、計子。お疲れ!」


「お疲れ様です、優斗さん」


 そう挨拶しながらも鈴香と計子がじっと睨み合う。計子が言う。



「あら、十文字さんも来ていたのですね。練習でしょうか」


 鈴香が余裕の表情で答える。


「もちろんそうですわよ。優斗様も私と練習したいって常に仰っていますし」


「いや、言ってねえ。さ、計子練習行くぞ」


「あ、はい!」


 優斗は泣きそうな顔をする鈴香をよそにひとりスポーツジムへと入って行く。

 そしてこの日はなぜだがサイズ違いのスクール水着のようなものを着て来た鈴香と、やはり目のやり場に困る計子の水着姿を見ながらふたりに水泳の指導をした。






 水泳の練習を終え、マンションに帰って夜の自習をしていた優斗のスマホが鳴る。


『よお、優愛』


『……』


 何も悪いことをしていないのに機嫌が悪そうである。優斗が尋ねる。



『業務連絡か?』


『そうよ、文句あるの?』


 今日は日曜で何も活動はしていないのになぜ業務連絡があるのか知らないが、いつも生徒会の愚痴やら自分の悪口を報告という名のもとに聞かされる。優愛が尋ねる。



『そう言えば、今日もあの女と水泳の練習したの?』


 あの女とは計子のことである。やはり仲が悪い。


『したよ』


『あなた人に教えるより自分もちゃんと練習しなさいよ!』


『してるって』


『ふん! そんなにあんな女がいいわけ?』


 いつも通り顔を背けて優愛がむっとする。優斗がスマホの画面に映し出された優愛に向かって言う。



『計子がいいとか悪いとかそんなことは関係ない。宮北に勝つために彼女を鍛える。それだけだよ』


『ふん、どうだか? あなたロリコンだからああいう女が好きなんでしょ?』


『おいおい、いきなり何言い出すんだよ……』


 さすがの優斗もこれには呆れる。



『もういいわ。じゃあね!』


 そう言うと優愛はこれまたいつも通り映像だけを切る。そして流れてくるデレ。



『もぉ!! 優斗君ったら、あんな女にデレデレして!! こうなったら優愛も明日、同じ髪型に……』


 そこで慌てて通話を切る。

 そして翌日の朝、学校に登校し教室で会った優愛を見て優斗が驚いて言った。



「優愛、髪型変えたのか??」


 それは計子と同じおさげ。眼鏡をしていないだけでまるで計子のようだ。優愛が顔を背けて答える。



「あ、あなたには関係ない事でしょ!! まあ、可愛いと思ったら可愛いって言ってもいいわよ!!」


「あ、か、可愛いと思うぞ」


 それを聞いた優愛の顔が真っ赤に染まる。



「あ、当たり前でしょ。私なんだから!!」


 そう言って照れる優愛を優斗はいつしか本当に可愛いと思い始めていた。

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