22.メガネ地味っ子 vs 宮北生徒会長
早朝のマンション、朝の日課で汗まみれになった優斗がシャワーを浴びる。朝とは言えもう夏と言っていいこの時期の運動はさすがに体に堪える。
「あれ、メッセージ?」
髪を拭きながらリビングにやって来た優斗は、テーブルの上に置いてあったスマホにメッセージが届いていることに気付いた。手に取り確認すると、それは昨年度まで在学していた高校の友人からである。
『夏休みにみんなで会うんだけど、優斗も来られる??』
軽音楽部で一緒だった気の知れた友人。優斗は少し考えてから返事を返す。
『いいよ! 夏休みはそっちに行くよ!!』
かなり遠い場所だが日帰りでもなんとか行ける距離。優斗は久しぶりに会う友人のことを思い胸を弾ませた。
「ではこれで授業を終わります」
銀縁の眼鏡。キッチリと七三に分けられた髪の担任が授業の終わりを告げると、皆が背伸びをして呪縛から解放されたかのようにのびのびし始めた。
優斗は少し前に座る黒髪のおさげの女の子を朝からずっと見ていた。ガヤガヤと騒がしくなる教室。優斗は立ち上がって彼女の隣に行き声を掛ける。
「計子、どうした? 何かあったのか??」
背が高く銀髪の優斗。立ち上がって歩くだけで目立つ。計子は突然やって来た優斗に戸惑いを感じながらも嬉しそうに答える。
「え、な、何にもないですよ。優斗さんこそどうしたんですか?」
その顔を見てその笑顔が偽りのものだと優斗ですら感じた。空いていた隣の椅子に座り小さな声で言う。
「もしかして、やっぱり水泳の練習が嫌だったとか??」
少し驚いた顔をした計子が首を振って答える。
「そ、そんなことないです! 優斗さんと泳ぐの楽しみですから。……水着も、ちゃんと用意しましたし」
計子は自分の熱気で眼鏡が曇るんじゃないかと言うほど汗をかいて答える。優斗が笑顔で答える。
「そうか、分かった。じゃあ、予定は次の日曜日。時間はまた連絡するよ!」
「は、はい!」
計子はようやく心からの笑顔になってそれに答えた。
「なに、あなた。あの女がそんなに気になるわけ?」
席に戻った優斗に、隣に座る優愛がむっとした顔で言った。
「あの女? 計子のこと? 水泳の練習について話してただけだよ」
「ふん! どうだか」
顔を背けて怒りを表す優愛。優斗が困った顔で椅子に座って言う。
「優愛、なんでそんなことで怒るんだよ? 水泳大会の為だろ? 俺も宮北には勝ちたいと思ってるんだぜ」
「そ、そんなことは分かってるわよ! ただ……」
「だだ、なんだよ?」
『私も一緒に……』と言う言葉を飲み込んだ優愛が優斗にむっとして言う。
「いいの! とにかくあなたは備品なんだから私の言うことを聞いていればいいの!!」
「な、なんだよ、そりゃ……」
優斗はやっぱりよく理解できない生徒会長を見つめながらため息をついた。
「さて、みんな揃ったかしら??」
放課後、いつも通り優愛の号令で生徒会室にやって来たメンバー。皆の間で腰に手を当てて優愛が大きな声で話し始める。
「いよいよ来週の月曜日と火曜日に募金活動が始まるわ。計画も順調よね?」
琴音が小声で隣にいる計子に尋ねる。
「順調って、あれから何かしたっけ?」
「しー、聞こえるよ。琴音さん」
そんなひそひそ話など全く耳に入らない優愛が皆に言う。
「じゃあ今日は当日に使う募金箱を作るわ。首に掛けて使えるやつ。段ボールはこの部屋に幾つもあるから好きなのを使ってちょうだい。じゃあ、『BB募金大作戦』に向けて頑張るわよ!!」
「お、おお……!」
勢いよく拳を振り上げる優愛に対し、他のメンバー達は顔を引きつらせながら小さく手を上げる。とりあえず会長命令だから箱の製作は行わなければならない。
渋々段ボールと格闘を始める皆をよそに、計子だけひとり机に残って電卓を叩き始めた。それに気付いた優斗が声をかける。
「計子、募金箱作らないのか?」
帳簿に伝票、レシートを片手に計子が高速で叩いていた電卓の手を止める。
「え、ええ。ちょっと計算をしておきたいのがあって……」
そう言う計子の声に元気はない。ここ最近感じている彼女のおかしな態度を優斗が再び感じる。
(計子ほどの計算達者の子にしては伝票の数が少ない……)
机の上に置かれている書類はそれほど多くはない。彼女の能力ならばあっと言う間に計算できる量。優斗はそんな彼女にやはり違和感を覚える。
(何も話してくれないか……)
優斗は再び高速で電卓を叩き始めた計子を見て内心思った。
そして計子と約束した日曜日を迎える。
約束の時間より随分早く来てしまった計子が、待ち合わせ場所である駅前でひとり優斗を待つ。
梅雨の中休みで良く晴れた日曜日。駅前には汗をかきながら歩く人達が行き交う。
(緊張、しない方がおかしいよね……)
手にしたトートバックの中には優斗が好きだという『スクール水着』。高校は水泳の授業を選んでおらず仕方なしに中学の頃に着ていたものを引っ張り出して来たが、一応着られたもののやはり窮屈感は否めない。
(さ、触られるのよね。もちろん……)
どうやって教えてくれるのかは知らないが、きっと手や足、腰などに触れられるのだろうとひとり妄想する。
「お待たせ!」
「優斗さん……」
そんな計子に長身の優斗が声をかける。
銀色の髪にラフな短パン。サンダルだが不思議と清潔感を感じる。優斗が言う。
「さ、行こっか。そこのショッピングセンターの中にあるんだ」
「あ、はい!」
計子は暑さと緊張で顔から汗が噴き出るのを感じつつ、先を歩く優斗の後に続く。
「あの、優斗さん。今日は本当にありがとうございます」
優斗の横に並んだ計子が小さく頭を下げて言う。長身の優斗。背はあまり高くない計子が横に並ぶと、その凸凹ぶりが滑稽にすら見える。
「いいって。どうせ俺も日課みたいなものなんだから」
そう言ってはにかむ優斗の笑顔が眩しくすら感じる。
(優斗さんとふたりきり……)
計子はこの経験したことのない状況に初めてともいえる幸福感を感じていた。
いつの間にこんなに惹かれてしまっていたのか分からない程自分の中で大きくなっていた優斗という存在。同時にクラスでは陰キャであろう自分が、異性に対してこれほどまで積極的になれることにも驚いている。
「優斗さん……」
そう声をかけた計子。だがそれよりももっと大きな別の声がそれをかき消す。
「優斗様ぁ~!!」
スポーツジムへ到着したふたり。その入り口に立っていたひとりの女の子がこちらを見て駆け寄って来る。
「え、鈴香!?」
それは真っ赤なツインテールに大きなリボン。ショートパンツからギリギリまで出した生足が色っぽい宮北高校生徒会長の十文字鈴香であった。鈴香は優斗の前まで来るとその手を握って言う。
「お待ちしておりましたわ~、優斗様ぁ~!!」
意味が分からない優斗が尋ねる。
「ま、待ってたって、俺は約束なんてしてないだろ??」
鈴香が小さく頷いて答える。
「はい、だからずっと朝から待っていましたの~」
「はあ?」
同じジムに通っていることは知っている。先日もプールで会った。だから待っていたというのか。驚いた顔をした計子が優斗に尋ねる。
「優斗さん、彼女ってあの……」
「ああ、宮北の生徒会長さんだ」
「一緒に通っていたんですか……?」
「いいや。この間偶然ここで会っただけ」
長い足、同性でも見惚れる色っぽい太腿。可愛らしいツインテールに、それに反するようなふくよかな胸。計子は自分の地味なワンピースにおさげの髪を思い出し恥ずかしくなる。そして同時に思う。
(まさか、今日一緒に泳ぐのかしら……)
嫌な予感しかしない。
完全に女として負けている自分。いくら優斗と約束していても、色っぽくて可愛い鈴香に靡いてしまうのは可能性は十分ある。計子の姿に気付いた鈴香が声をかける。
「あら~、そちらは確か優斗様と同じ生徒会のぉ~」
「山下計子です」
計子は一歩前に出て胸を張って言った。負けるつもりはない。そんな計子の意思表明である。鈴香が笑顔で言う。
「山下ぁ、計子ちゃ~ん? イヤだぁ~、地味なお名前っ」
「鈴香っ、失礼だろ!!!」
それを聞いた優斗が鈴香を一喝する。
「やだやだ、優斗様ぁ、ごめんなさ~い!! そう言うつもりで言ったんじゃないんですぅ~」
(地味な、名前……)
それは計子自身、自分で思っていた。子供の頃から思っていた。
でもこれは両親がつけてくれた名前。嫌な時期もあったが今では誇りにすら感じている。優斗が鈴香に言う。
「まあ分かればいいんだが……、あ、そうだ、鈴香。今日、計子に泳ぎを教えるんだけど、彼女に更衣室とか案内してあげてくれないか?」
一瞬眉間に皺を寄せた鈴香だが、すぐに笑顔になって答える。
「はーい! 優斗様のご命令なら、鈴香ぁ、なんでも承りますわ~!!」
「そうか、じゃあ頼んだぞ」
「はーい!!」
鈴香はそう答えると、計子の腕を取って事務の中へと入って行く。
受付でビジター登録を済ませ、鈴香に連れられてプール更衣室へ向かう計子。室内はしっかりと空調が効いており先程まで出ていた汗も自然と引いて行く。
何か消毒液のような香り漂う更衣室に着いた計子に鈴香が言った。
「計子ちゃんも~、優斗様のことが好きなんでしょ~??」
「えっ?」
突然の質問に固まる計子。ただでさえ敵校の生徒会長とふたりきりで緊張していた計子なのに、いきなり核心のような質問をされ戸惑う。鈴香が続ける。
「鈴香はねえ~、ずっと優斗様のことを想っていたの~。野球する姿とってもカッコいいし~、泳ぐ姿も素敵よ。だからね、計子ちゃん……」
黙って聞く計子に鈴香が言う。
「あなたは諦めて」
魅力的な女性だと思った。
辛いことを言われているのに全然嫌みがない。アニメのような真っ赤な髪に白磁器のような白い肌。頭もいいしスタイルも抜群。本当に自分とは対極に居るような女性。でも思う。
「私は諦めません、十文字さん」
それは決意をしたひとりの女性の言葉。
それを感じ取った鈴香が笑顔になって答える。
「いいですわ~、計子ちゃん。私も負けませんから~!!」
計子の胸にほっとした気持ちが広がる。鈴香は持っていた鞄から真っ赤なビキニを取り出し計子に言う。
「とりあえず今日はこれで優斗様を誘惑しますわ~!!」
スタイル抜群の鈴香。それが面積も小さな赤ビキニを着たら男の視線をひとり占めするのは火を見るよりも明らか。だが計子も負けていない。トートバックからスクール水着を取り出し鈴香に言う。
「ビキニもいいけど、知ってる? 優斗さんはスクール水着フェチなんですよ」
「えっ!?」
さすがにこればかりは鈴香も知らない。さらに計子が追撃を行う。
「しかもこれ、私の中学時代の水着。ちょっとサイズが小さめで、私が着るととってもエッチなんです」
「えっ、え……」
色気では絶対負けぬと思っていた目の前の地味っ子に、思わぬカウンターを食らった鈴香が後ずさりする。だがそこは生徒会長。すぐに姿勢を立て直して言う。
「いいですわ~!! じゃあ、勝負しましょう!!」
「勝負? 何の?」
聞き返す計子に鈴香が言う。
「もちろんふたりの水着姿を見て貰って、どちらが優斗様のお好みか、ですわ~!!」
ついつい相手の挑発に乗ってしまった計子。彼女でも計算外の何かとんでもないことが始まってしまったと呆然とした。
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