21.頑張る計子ちゃん!!

「優斗さんに水泳、教えて欲しいの。で……」


 計子は頬を赤く染めながら優斗に上目遣いで言う。同時に優愛と琴音の顔が驚愕から憤怒へと変化する。



「え、水泳? いいよ、べつに」


 ただ優斗だけはそんな空気を読むことなくその依頼を飄々と受けてしまう。優愛が優斗を指差しながら言う。



「あ、あなた、それどういう意味よ!!」


「優斗さん、計子ちゃんとふたりきりで……」


 琴音も泣きそうな顔で小さくつぶやく。



「いや、だって水泳上達した方がいいんだろ? だったら教えてやるよ、それくらい」


「あ、ありがとうございます。優斗さん……」


 まさか自分の要求が通ると思っていなかった計子は、内心驚きながら優斗に感謝する。優愛が不満を爆発させながら言う。



「お、おかしいでしょ!? どうしてあなたとこの女が一緒に、み、水着で泳ぐわけ!!??」


「どうしてって、水泳の練習だからだろ?」


「そ、そう言う意味じゃないわよ!」


「じゃあ、どういう意味?」


 水着になった計子に密着し、手取り足取り教える優斗を想像した優愛が真っ赤になって言う。



「そ、そんなこと、私の口から……、し、知らないわ!! ふん!!!」


 優愛が優斗に顔を背けて恥ずかしさを隠す。ルリが言う。



「優愛ぁ〜、どうしたのよ~??」


「もういいわ!! 今日はこれで終わり! 私、帰るから!!」


 そう言って鞄を持ってひとり部屋を出る優愛。



「お、おい、優愛!」


 バン!!


 優斗が呼び掛けるものの優愛は勢いよくドアを閉め部屋を出て行く。



「優愛ちゃん……」


 琴音を始め、優斗達が優愛が出て行ったドアを心配そうに見つめた。






(ん? 携帯が鳴ってる……)


 優愛が帰ってしまったことでミーティングも終わり、生徒会室を出て帰宅しようとした時優斗はスマホが鳴っていることに気付いた。表示は野球部キャプテンの畑山。優斗が出る。



『もしもし?』


『お、優斗か? 今どこにいる?』


『今? 生徒会の打ち合わせが終わってこれから帰るところだけど』



『そうか。あのさ、前に話していた高野連への許可だが無事に下りたぞ』


 転校生は原則一年経たないと高校野球に参加できないルール。その特別許可が無事下りたそうだ。優斗が嬉しそうにお礼を言う。


『ありがとう! さすがだな!!』


『大したことない。顧問が頑張ってくれたんだ』


『なるほど。どちらにしろこれで心置きなく参加ができる訳だな!」



『ああ、そうだ。で、その練習だが今からうちに来てやって行かないか?』


『今から?』


『ああ、間もなく予選が始まるし、いくらお前でも少しぐらい連携なんかやっておいた方がいいだろう?』


『確かに』


 経験者であり、抜群のセンスを持つ優斗でも野球はチームプレー。個々が連携し協力してこそ勝利がぐっと近づく。優斗が答える。



『分かった。これからちょっと寄って行くよ!』


『おう、待ってるぜ!』


 優斗は踵を返し、真っすぐ野球部専用グラウンドへと向かった。






「う~ん、疲れたな……」


 野球部の練習に参加した優斗は、いつもより遅めにマンションへ帰宅した。普段使わない筋肉を使ったせいか少し体が痛い。

 玄関を上がり暗かったキッチンに明かりをつけると、それまで眠っていたかのように静かだった部屋が息を吹き返したかのように賑やかになる。優斗は程よく体に残る疲れを感じながらキッチンに立ち、夕飯の準備を始めた。



 ティロロロロン……


 そんな優斗の鞄に入れたままのスマホが鳴り、誰かの着信を告げる。


「あれ、誰だろう?」


 夕食を作りかけていた手を止め優斗が鞄からスマホを取り出す。優愛の業務連絡かなと思いながら見たスマホの画面には、『山下計子』の文字が浮かんでいる。



(計子? なにかな……)


 優斗がスマホを手にしてビデオ通話ボタンを押す。



『もしもーし』


『あ、優斗さん。ごめんなさい、急に……』



(え?)


 スマホの画面に映し出されたのはいつものおさげではなく、黒髪を下ろした全く雰囲気の違う計子。赤い眼鏡はしているが、お風呂上がりなのか頬が赤く染まっている。少し暗めの部屋。計子の後ろ壁には彼女の鞄などがかけられているのが見える。



(な、なんかちょっと色っぽい……、って言うか、どうしてみんなビデオ通話してくるんだ??)


 そんなことを考えていると画面の計子が恥ずかしそうに優斗に言った。



『変、ですか……?』


『変? 何が?』


 計子が少し俯きながら黒髪に手をやり答える。



『髪……、下ろしたんですけど……』


『え、あ、ああ。いいんじゃない? よく似合ってるよ』


 実際おさげの計子も十分可愛かったが、こうして髪を下ろしてもまた別の魅力がある。眼鏡をしていなければ、一見優愛と見間違えるほどだ。計子がさらに下を向いて小声で言う。



『あ、ありがとうございます……、嬉しい……です……』


 最後の語尾ははっきりと聞こえないほど小さな声。優斗が言う。



『あ、それで何か用だった?』


 計子が顔を上げて答える。



『あ、はい! その、本当に私に水泳を教えてくれるのですか?』


『教えるよ』


『本当にですか?』


『教えるって! まさか嫌だったとか?』


 計子が首を左右に大きく振って答える。



『そ、そんなことありません! 私からお願いしたわけだし……』


 今でも昼間、自分からで教えて欲しいと言ったことを思い出し赤面してしまう。優斗が言う。


『まあ、俺も人に教えたことはないから上手く教えられるかどうか分からないけど』


『優斗さんは水泳を習っていたのですか?』


 今度は優斗が首を左右に振って答える。



『ううん。ただ小学校の頃から休みなんかはしょっちゅう行ってた。泳ぐのは趣味かな』


『へえ~』


 朝の日課も知っている計子は、更に水泳も行っている優斗を見て感心する。



(加えて野球も上手だって言うし、試験も神崎さんを抜いちゃったし、一体どれだけ凄い人なの……?)


 計子が好奇心で尋ねる。



『ほかに得意なものはあるんですか?』


『得意? うーん、そうだな……、運動以外だと前の学校で野球部と掛け持ちしていた軽音楽部でやってた楽器かな?』


『楽器? ギターとか?』


 優斗が頷いて答える。



『正解~!!』


(ギ、ギターもできるの!? 一体どれだけハイスペックなのよ!! 本人あまり自覚がないようだけど……)


『す、凄いですね……』



 いつも飄々としている優斗。勉強や運動のことなど全く自慢しないし、優愛から『備品』などと呼ばれてもめげずに一生懸命生徒会を手伝ってくれる。



(でも、彼女は作らないんですよね……)


 もし優斗が本気で『彼女募集』とか言い始めたら、一体どれだけの女子が群がるのだろうか。考えただけでも身震いしそうな計子が本題に入る。



『それで優斗さん。水泳はいつ教えてくれるんですか?』


 優斗が少し考えてから答える。



『そうだなあ……、俺はいつでもいいけど日曜日、かな?』


『日曜……』


 計子は休みの日に優斗とふたりきりで会えること少なからず興奮する。



『俺が休みに使っているスポーツジムがあるんだけどそこプールもあって、計子も本会員オレと一緒に行けばビジター料金で使えるからそこがいいかなあって』



『あ、はい。私はどこでも結構です……』


 スポーツジム、自分の人生では一度も交差したことのない場所。でも知らない場所でも優斗と一緒なら行ける。不思議と楽しみにすら感じてしまう。計子が恥ずかしそうに尋ねる。



『あ、あの、優斗さん……』


『なに?』



『その、水着はどんなのを着て行けばいいのですか……?』


 計子は生まれてからこれほど恥ずかしい質問をしたことが無いと思った。異性に、男性に対して『自分の水着を相談する』など想像もできない。優斗が笑顔で言う。



『何でもいいよ。まあ、でも泳ぐ練習だから学校で着ているようなスクール水着みたいのが泳ぎやすいのかな?』


(ス、スクール水着!? 優斗さんはそう言うのが好きなのかな……?)


『スクール水着』という言葉の印象が強過ぎて、何かちょっと違った捉え方をしてしまった計子。興奮した彼女が自分の胸の辺りを押さえながら優斗に尋ねる。



『あ、あの、私、実はあまり大きくなくて……、そ、それでもいいですか……?』


 計子は自分のまな板のような胸にコンプレックスを感じていた。実際、優愛や琴音、ルリのような立派な胸を見てはしょっちゅうひとりため息をついている。優斗が首をかしげて考える。



(大きい? 水着なんて大きかったら良くないだろう。小さいのは困るし……)


 優斗が言う。


『あ、あんまり深く考えすぎなくてもいいと思うよ。ちょうどいいのがベターかな』



(ちょ、ちょうどいい?? 優斗さんにとってちょうどいいってどう言う意味なの……??)


 混乱する計子に優斗が言う。


『じゃあ日程はまた連絡するよ。ごめん、俺、まだ夕飯食べていないんだ』


『え? あ、そうだったんですか!? ごめんなさい、それじゃあまた!!』


『ああ、また明日学校で!』


 優斗はスマホの画面で笑顔で手を振る計子に、同じく手を振り返して応える。真っ暗になったスマホの画面を見ながら思う。



(そうだよな。俺、教えるって言ったんだから、ちゃんとやらなきゃな)


 そう気持ちを新たにしていると、再びスマホが鳴った。



「わっ、優愛!?」


 スマホの画面には『神崎優愛』の名前。

 先ほど怒ってひとりで帰ってしまった優愛だが、一体どんな顔で会話すればいいのだろうか。



『はい、もしもし……』


 優斗が恐る恐る応じると画面に映し出された優愛が腕を組んでこちらを見ている。先ほどの計子と同じく黒髪を下ろした優愛。眼鏡を掛けていないだけでまるで姉妹のようだ。優愛が言う。



『誰と話していたのよ? ずっと出ないし』


『ええっと、ちょっと友達と……』


『……』


 無言で優斗を睨みつける優愛。まだ怒っているのだろうか。空気を変えようと優斗が声を出す。



『あ、いつもの業務連絡かな?』


『そうよ! 嫌なの!!??』


 優斗が首を振って答える。



『そんな訳ないじゃん! 待ってたよ!!』


 その言葉を聞いて優愛の顔が一瞬明るくなる。



『そ、そうなの? まあ、仕方ないわね。あなたも私の声なしじゃ眠れなくなったのかな?』


『うんうん』


 優斗は内心「あれ?」思いつつ笑顔でそう答え、いつも通りの業務連絡を受ける。



『じゃあまた明日! おやすみ、優愛』


『ふん! 仕方ないから言ってあげる。おやすみ!!』


 そう言っていつも通り映像だけ切られる。そして漏れる声。



『あ~ん、良かったぁ。優斗君怒ってなかった!! もう心配で泣きそうだったよぉ~、優愛、声聞かないと眠れないし……』


 優斗が音声を切る。

 ひとりデレる優愛を可愛いと思いつつも、すっかり作り損ねてしまった夕食をまた初めから作り始めた。

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