20.選手選抜
山下計子は悩んでいた。
「合わない……」
正確に言えばそれは今年の二月、優愛や優斗にお願いされて生徒会の会計を手伝った時から感じていたものである。
学校から家までやや遠い計子。その長い通学時間、電車の中で読書をすることが楽しみであったが、ここ最近大好きな本に余り集中できない。その理由は明白だった。
(サッカー部の収支が合わない……)
何度計算しても支出が上回る。前回は意味不明な領収書が提出されており不審に思いつつも時間がないため見ない振りをしたが、今年度もうすでに計算が合わない。
ガタンゴトン、ガタンゴトン……
リズミカルに揺れる電車。眠くなるような電車の音。
計子は窓ガラスに映る自分の青白い顔を見てため息をつき目を閉じた。
翌日、教室でお昼を食べ終えた優愛が一緒に食べていたルリに向かって言う。
「さあ、水泳部のキャプテンの所へ行くわよ!!」
「え~、ちょっと待ってよぉ~、ルリ、まだ食べてるよ~」
ピンクの髪に手をやりながら、ルリがお弁当箱のソーセージを箸でつまむ。優愛が自分の弁当箱を片付けながら言う。
「早く食べなさいよ。時間なくなっちゃうわよ!」
「え~、だってぇ、ルリ食べるの遅いもぐぐぐっ~!!」
喋りながら口におかずを詰め込むルリ。最後は何を言っているのか分からない。優愛が首を振って言う。
「もう仕方ないわね。私、先に行ってるから、ルリは後で来てちょうだい。いいわね?」
「あ、ちょっと、優愛ぁ~!!」
優愛は弁当箱を鞄に片付けると、すぐに教室を出て行った。
「優愛ちゃん、頑張ってるね」
計子と一緒にお昼を食べていた琴音が、勢いよく教室を出て行った優愛を見て言った。少しずれた赤い眼鏡を直しながら計子が答える。
「そうね。宮北との対決だからね。負けられないんでしょう」
計子もお弁当を食べながら答える。琴音が尋ねる。
「計子ちゃんは、泳げるの?」
ご飯を食べていた計子が顔を上げて少し考えてから答える。
「うーん、まあ、全く泳げないことはないけど……」
計子の言う『泳げないことはない』は一般常識内での話。得意だとか全く泳げないとかではないという意味。ただこのひと言で彼女が水泳代表に選ばれてしまうことなど、この時はもちろん思ってもいない。琴音が嬉しそうに言う。
「いいなあ、泳げるんだ! 私なんて全然ダメで金づちなんだよ」
ちょっと舌を出して恥ずかしそうに言う琴音。計子が尋ねる。
「全然泳げないの?」
「うん、水に入った途端なぜか沈む」
計子は自分と違い、琴音の胸にある立派なふたつの膨らみを見て思う。
(まあ、そんな立派なものつけていたら沈むよね……)
計子は自分のまな板を見て苦笑しながら琴音の話に付き合った。
放課後、授業を終えた生徒会メンバーがいつも通り生徒会室へ集まる。
ふたつ目の対戦である水泳大会を控え、否が応でも慌ただしくなる。一番遅くやってきた優愛とルリ。皆が座るのを待って優愛が言う。
「お待たせ。じゃあミーティングを始めるわね」
真剣な面持ちで優愛を見つめる一同。琴音だけがノートを開いて議事録の準備をする。優愛が言う。
「今日の最大議題は水泳大会だけど、その前に七月に入ったらすぐある募金活動について説明するわ」
「募金活動……」
優斗が小さくその言葉を口にする。
「そう、募金活動よ。学校内に募金箱を置いてみんなに募金して貰うの。箱は毎年使っているのがあるわ」
そう言って優愛は物に溢れた生徒会室の隅の方にある埃まみれの箱を指差す。
「なるほどね」
優愛が腕を組んで皆に言う。
「ただ今年はもっと盛大にやりたいの」
「盛大?」
優愛の言葉を復唱する優斗。優愛が言う。
「みんなで募金箱を持って、どんどん声を掛けながら積極的に募金して貰うの」
「は? なんでまた?」
「宮北もやるの、募金。負けたくないわ」
「負けたくないって、募金ってそう言うもんじゃないだろ……」
やや呆れた顔の優斗に優愛が言う。
「私も知らなかったんだけど、教育委員会の資料でどの学校がどのくらい募金を集めたか分かるらしいんだって。だから負けたくないの」
「あのなあ……」
ため息をつく優斗。優愛が握りこぶしを作って皆に言う。
「心配しないで。作戦も考えたわ!!」
「作戦?」
「ええ、名付けて『美男美女の募金大作戦』、作戦コード『BB募金大作戦』よ!!」
「……」
一同静まり返る。ひとり張り切る優愛に琴音が尋ねる。
「ね、ねえ、優愛ちゃん。それってどういう作戦なのかな……」
待ってましたと言わんばかりに優愛が説明する。
「簡単よ。イケメンと美少女を募金係にして、歩く人達にどんどん積極的に募金するよう仕向けるの。そうねえ、募金してくれたら笑顔と握手ぐらいしてあげてもいいかな」
「……」
再び静まり返る一同。優斗が尋ねる。
「絶対趣旨が違うような気もするが……、それよりどこに『美男美女』がいるんだよ?」
「美男美女? そうねえ、まず美女はここにいるじゃん」
そう言って皆を指差す優愛。琴音が驚いて言う。
「え、び、美女って生徒会のメンバー……??」
「そうよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんなの無理!!」
計子が立ち上がって言う。優愛が落ち着いて答える。
「何が無理なのよ? あなただって、まあまあ綺麗な顔してるんだから頑張れば男子だって協力してくれるわよ?」
「な、何よ、その言い方……」
計子が怒りの顔で優愛を見つめる。優斗が立ってふたりの間に入る。
「ま、まあ、ちょっと落ち着けよ。優愛もそう言う言い方はよせ。失礼だぞ」
「な、なによ。ほんとのことじゃない……」
ちょっと納得いかない顔する優愛。優斗が言う。
「優愛」
「わ、分かったわよ。謝るわ。それより美女隊はこの生徒会メンバーでやることには変わりないから。イケメン隊は、さっき水泳部キャプテンの平田君に頼んで置いたわ」
水泳部キャプテン平田。宮西一のスイマーにして、水泳部らしく日に焼けた細マッチョのイケメン。ルリが笑いながら言う。
「そうなのよ~、優愛ったら、嫌がる平田君をぉ、無理やり恫喝して……」
「ルリ、つまらないこと言わなくていいの」
「は~い」
優愛に睨まれ笑顔でそれに答えるルリ。優斗が尋ねる。
「あ、じゃあ、水泳大会もそいつに頼むんか?」
「そうよ。ふたつ返事で了承してくれたわ」
それを聞き横で笑いを堪えるルリ。計子が尋ねる。
「で、イケメン部隊ってのはその平田さんひとりなの?」
一瞬の静寂。琴音が恐る恐る言う。
「ゆ、優斗さんもイケメン部隊でいいじゃないかと思うけど……」
皆が琴音、そして優斗の顔を見つめる。優愛が笑って言う。
「あはははっ、それ本気で言ってるの??」
計子が言う。
「優斗さんでいいと思うわ。彼の女生徒からの人気はみんなも知っているでしょ?」
先の『ボランティア清掃活動』でのビラ配りの減り方、そして優斗目当てに集まった当日の女の子達。イケメンと言う表現が当てはまるかは分からないが、人気があるのは間違いない。ずっと優斗を見続けてきた計子はそれを十分理解していた。琴音が言う。
「わ、私も優斗さんが募金したらいいと思うよ……」
腕を組み、しばらく考えていた優愛が優斗に言う。
「まあ、いいわ。どちらにしろ生徒会にいる以上募金活動には参加してもらう訳だし」
「俺は構わないけど……、それより水泳大会の残りのメンバーは決まったのか?」
そう尋ねる優斗に優愛が困った顔をして答える。
「ええ、それね。あなたと私、そして平田君は決まったけど、もうひとり女の子が決まらないのよ」
「誰も協力してくれないのか?」
「ええ……」
優愛が悲しそうな顔で答える。ルリが言う。
「だってぇ~、優愛ぁ、勧誘に行く時の顔、怖いも~ん!!」
そう言うルリに優愛がむっとした顔で見つめる。琴音が言う。
「あ、そうか。もしここで足を引っ張っちゃったりしたら、優愛ちゃん怒らせちゃうもんね……」
大切な宮北との対戦。下手に遅れて負ける原因でも作ったら優愛の逆鱗に触れることは間違いない。優愛が首を振って否定する。
「そ、そんなことないわ! 水泳大会は健全な体育教育が目的の大会。勝ち負けなんて気にしないわよ!」
「……」
誰もがひとかけらもそのような言葉を信じない。琴音が計子を見ながら言う。
「じゃあ、計子ちゃん、出れば? 水泳、得意でしょ??」
「え?」
計子が驚きの顔で琴音を見つめる。優愛が尋ねる。
「なに、あなた水泳できるの?」
「で、できないわよ! 全然、無理です!! 琴音ちゃん、変なこと言わないで!!」
「えー、でも、計子ちゃん泳げるって……」
ちょっと弱気な声で答える琴音。優斗が言う。
「計子、泳げるなら一緒に出ようぜ。やる気のない奴が出るより、生徒会のメンバーの方がいいと思うし!」
「え、で、でも、私泳ぎなんて……」
出たくない。恥ずかしいし、ちっとも水泳なんて得意じゃない。でも、
「な、計子」
目の前で子供のような笑顔で優斗にそう言われると、もはや計子には断る選択肢などなかった。
「私、遅いけどいいの……?」
「ああ、大丈夫。俺が全部ひっくり返すから」
「……分かったわ。でも条件があるの」
「条件?」
優愛が聞き返す。計子が優斗の方を見て恥ずかしそうに言う。
「優斗さんに水泳、教えて欲しいの。ふたりっきりで……」
のほほんと笑顔のルリ。
それ以外の女生徒の顔が怒りで固まった。
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