18.部屋と妄想と私

「二月の朝、車に轢かれそうになった私を助けてくれたのって、優斗でしょ?」


 優愛のアパート。

 狭い部屋でベッドの上に座る優愛が、前を向き長い黒髪に触れながら言った。一瞬の沈黙。優斗が答える。



「よく覚えていないな……」


 はっきり覚えているのにどうして咄嗟にそんなことを言ったのか。

 後から考えれば、それは優愛に『朝の日課』について知られたくないと無意識に思った為であろう。優愛が優斗の方を振り向いて言う。



「そう……」


 彼女の瞳に映る優斗の銀色の髪。細いが筋肉質の腕。

 未だ鮮明に覚えているあの時の出来事。力強く抱かれた自分の体がじんじんと熱くなったのを思い出す。



「ま、まあ、いいわ。言いたくないのなら!」


 優愛は顔が赤くなるのを感じ、いつも通り顔を背けてぞんざいに言う。少し気まずくなった優斗が別の話題を振る。



「そう言えば優愛はひとり暮らしだったんだな。ちょっと驚いた」


「どうして?」


 振り返り優斗の顔を見た優愛が聞き返す。



「どうしてって、まあ、なんとなく……」


 そこに特段理由があった訳ではない。本当に心から『なんとなく』そう思い聞いただけだ。優愛が寂しそうな顔をして話し出す。



「私ね、妹がいるの」


「妹?」


「ええ、血の繋がっていない義理の妹」


「……」


 真剣な話に優斗の背筋が伸びる。



「親が離婚して私は父親に引き取られたんだけど、その後父親が再婚して、その相手の連れ子だったのが妹」


「そうなんだ……」


 複雑な家庭環境。同時に優斗の脳裏に、彼女の『叶えたいリスト』の中で「妹に謝る」みたいな記載があったことを思い出す。優斗が相槌を打ちながら聞く。



「でもね、再婚した相手、義理の母親と私が全然上手くいかなくって……、その妹ばかり可愛がって、だから妹に私も冷たく当たるようになって。喧嘩が増えて、それでどんどん家での場所がなくなっちゃったんだ……」


 それまで耐えていたのか優愛の目が赤くなり涙ぐむ。



「だから病気なのにさ、高校はお父さんに無理言ってひとり暮らしさせて貰ってるの。馬鹿みたいでしょ……」


 その言葉と同時に優愛の頬に涙がすっと流れ落ちる。



「優愛」



(え?)


 優斗はベッドの上で涙を流す優愛をそっと抱きしめて言った。



「馬鹿じゃないよ。そんなんになれば誰だってそう思う。辛くて当たり前」



「ちょ、ちょっと、何をして……」


 急に抱きしめられた優愛が恥ずかしくて声を上げようとした時、ふっとその朝のことが脳裏に蘇る。



(あ、同じだ……)


 細いのに筋肉質の腕。抱かれているだけで感じる深い安心感。

 触れられたところがじんじんと熱く心地良く疼く感覚。銀色の髪。



 ――やっぱりあなたじゃん



 顔が真っ赤になった優愛。

 少し下を向いて小さく言う。



「……いい加減離してくれる? それともこのまま押し倒す気?」



「え? あ、ああ、ごめん!!」


 そう言われた優斗が慌てて優愛から離れる。優愛が赤くなった顔を見られないように顔を背けて言う。



「ふん! 病気で弱ったところをつけ込むなんて卑怯にも程があるわ!」


「そ、そんなつもりじゃないんだけどなあ……」


 優斗が苦笑いしてそれに答える。そして言う。



「じゃあ、優愛。お詫びに何か夕飯でも作ってやろうか?」


「え? あなた料理できるの?」


 意外過ぎる優斗の言葉に優愛が驚き尋ね返す。



「まあそれほどってことでもないけど、ひとり暮らしが長いから料理も覚えたよ」


「そ、そうなんだ……」


 いつの間にか体調も良くなってきた優愛。それと同時に思い出す自分の汚い台所。



「あ、あれは、私体調が悪くてちょっと片付ける暇がなくて……」


 何のことを言っているのか良く分からない優斗。すっと立ち上がって優愛に言う。



「じゃあ、なんか作って来るわ。リクエストある?」


「リ、リクエスト……?」


 あまり料理が得意じゃない優愛。他者にリクエストなんてされたらそれこそテンパってしまうのに、目の前の男は平然と言ってのける。



「な、ないわ。別に……」


「そうか。じゃあ、冷蔵庫にある余り物でなんか作るよ。ちょっと待ってて」


「え、ええ……」


 優愛はそう言って台所に向かう優斗を見つめる。ようやくはっきりとしてきた頭で今の状況を考える。



(ゆ、優斗くぅんとふたりっきりで、抱きしめられて、私はベッドの上にいて、ご飯まで作って貰ってる……!?)


 自分の頭の中で復唱した優愛が、全身を真っ赤にして倒れ込むように再びベッドで横になる。



(優斗くぅん……)


 全身の火照り。台所から聞こえる彼を感じる音だけで優愛は幸せな気分になって来た。



(待って! このまま体調が悪いことにしておけば、もしかして『あ~ん』とかしてくれるとか!?)


 布団にくるまりながら様々な妄想をする優愛。どれほど自分の世界に浸っていたのか分からなくなった頃、優斗が料理を持って部屋にやって来た。



「台所にあったもんで作ったんだけど、食べられるかな?」


「わあ……」


 優斗が手にしたプレートの上には真っ白なそうめんに冷ややっこ、納豆に熱々の卵焼き、ナスの煮物が乗せられていた。



「なるべく油を使わないメニューにしたよ。たまご焼きも油を使ってないし、ナスも醤油で軽く煮たもの。食べられそう?」


 優愛は目を輝かせて頷く。



「大丈夫、大丈夫だよ! 凄いじゃん!!」


 料理が苦手な優愛には家で食べる久しぶりのまともな食事。テーブルの上にプレートが置かれるとベッドから降り、すぐに手を合わせて食べ始める。



「いただきまーす!! うわ、美味しっ!!」


 いつしか体の不調もなくなり、昼間の重労働でお腹も減っていたのでどんどん箸が進む。優斗も自分の分をテーブルに置くと優愛と一緒に食べ始める。



(あっ、しまった! こんなにがつがつ食べちゃって『あ~ん』とかして貰うの忘れちゃった……)


 余りにも美味しそうな食事だったので、優愛は優斗に甘えて食べさせて貰うのをすっかり忘れてしまっていた。ただ今の状況にはっと気付く。



(優斗君と差向かいでご飯食べている。これってまるで新婚みたい……)


 男嫌いだった自分。だけどそんな自分でもやはり心のどこかでは異性のことを想い、そして彼の動作に一喜一憂する。食べながら何だか恥ずかしくなってきた優愛に優斗が尋ねる。



「美味しいか、優愛?」


 優愛が顔を背けながら笑顔になって答える。



「ふん、美味しいわ!! あなたにしてはまあまあね!!」


「ありがと」


 優斗もそれに笑顔で応える。

 優愛はこんな幸せもあるんだと思いながら美味しい料理を心ゆくまで楽しんだ。






「さて……」


 優愛のアパートを出て自分のマンションへ帰った優斗は、遅めの風呂に入り日課の夜の勉強を始めようと机に座る。

 昼の清掃活動に優愛の看病、体はかなり疲れていたがこの程度で日課をやめる訳には行かない。学年で一位を取ったからと言って気を抜けば、すぐに優愛に抜かてしまうだろう。



「段ボール箱の机はもう勘弁してほしいからな……」


 そう思いながら参考書を開けようとした優斗のスマホが、ビデオ通話の着信の音を告げる。



「ん、誰だろう?」


 いつもの優愛からの業務報告かと思いスマホに表示された名前を見ると、そこには生徒会書記の琴音の名前が表示されていた。



(琴音? 珍しいな……)


 優斗がスマホの応答ボタンを押す。



『もしもし?』


『あ、ゆ、優斗さん。ごめんなさい、夜遅くに……』


 スマホには普段見ない琴音の普段着、Tシャツに可愛らしいヘアバンドを付けてこちらを見ている。優斗が尋ねる。



『どうした? 何かあった?』


『あ、いえ、その……』


 尋ねられた琴音が顔を赤くして答える。



『何かなきゃ、連絡しちゃだめですか……?』


 その恥じらうような仕草を見て優斗が一瞬どきっとする。



『い、いや、そんなことないよ。ごめん』


 優斗が慌てて否定する。



『あっ、いえ、そんな意味で言ったんじゃ……、あ、あの、今日は楽しかったですね』


『ああ、勝って良かった。宮西まず一勝だね』


『はい、優斗さんのお陰です!』


 優斗が少し照れながら答える。



『いや、俺じゃなくて野球部のみんなだよ』



(野球部……)


 その言葉を聞いて琴音の心臓が鼓動を増す。



『あの、優斗さん……』


『ん、なに?』


 琴音が頬を真っ赤にして言う。



『昼間の件、託されちゃってもいいって話……、私、全然問題ないですから……』


(託される? 野球部の説得の話だろ? なんでそこまで何度も言うのかな……?)


 さすがに少し変だと思いながら優斗が答える。



『う、うん。とにかく上手く行って良かったね』


『え、あ、はい……』


 やはり予想とは違った返事。わざとなの上手く噛み合っていないのか。そんなことは分からない琴音が笑顔で言う。



『優斗さん』


『ん?』


 琴音が再び満面の笑顔で言う。



『生徒会に入ってくれてありがとうございます』



『え、あ、ああ。こちらこそありがと。琴音が居てくれて嬉しいよ』


『はい! 次の対戦は水泳大会ですね!』


『みたいだね。琴音は泳ぎは……苦手だっけ?』


『はい、金づちです……、優斗さんは?』


『得意な方かな』


『うわぁ、凄い! なんでもできるんですね、優斗さん!!』


『そんなことないよ……』


 純粋に喜ぶ琴音に少し照れる優斗。琴音が恥ずかしそうに言う。



『優斗さんは、その、私の姿を見たいなぁ、とか思ったりするんですか……?』


『え? いや、それは……』



 見たい。

 そんなもの見たいに決まっている。琴音は大人しいけど、スタイルも見事な肉感的な女の子である。だけど本人を前にさすがにそれは憚る。琴音がぬいぐるみで半分顔を隠しながら真っ赤になって小声で言う。



『ゆ、優斗さんになら、いいですよ……』



『えっ!?』


 はっきりと全部は聞こえなかったけど予想外の言葉に驚く優斗。琴音がすぐに両手を振って言う。



『あ、あの、冗談です! いや、ホントだけど。あ、もうこんな時間!! じゃあ、またね。優斗さん!!』


『え? あっ、ちょっと!!』


 優斗がそう言うと同時に切られる通話。優斗はしばらくそのままぼうっとスマホの画面を見つめる。突然の電話といい、今日は琴音の様子がちょっとおかしかったなと思い出す。



(さて、勉強するか……)


 それから気持ちを落ち着かせ勉強し始めると再びスマホが鳴る。掛け主は生徒会長。さっきまで一緒に居たのに当然の如く電話してくる。そしていつも通り今日の業務連絡が始まった。もちろんデレ付きで。

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