17.優愛のアパートで

「じゃあみなさん、これで『ボランティア清掃活動』を終わります! お疲れさまでした!!」


 パチパチパチパチ!!!


 集まった宮西の生徒達の前で生徒会長の優愛が感謝の言葉を述べ頭を下げると、皆から大きな拍手が沸き起こった。昨年は全敗した宮北との勝負。今年は幸先よくまず一勝することができた。



「優斗」


 真っ黒に焼けた肌、短く刈り上げられた野球部キャプテンの畑山がゆっくり歩いて来た。優斗が言う。


「ありがとな、キャプテン」


「ああ、こちらも。部員達も思ったよりボランティアを楽しんでいたようだ」


 女生徒と仲良くゴミを拾う部員を見て畑山も時にはこうした息抜きも必要なんだと感じていた。優斗が言う。



「試合には呼んでくれ」


「ああ、力を貸してもらうぞ」


 ふたりはしっかりと握手をして頷く。畑山が尋ねる。



「ところで優斗は転校生だったな?」


「ああ、今年の二月にやって来た」


 畑山の顔が少し曇る。


「それは家族の理由か何かか?」


「ああ、親父の転勤で……」


「そうか。優斗は知っているの分からないが、高校野球では転校生ってのは転校後原則一年は出場できないんだ」


「え? そうなのか??」


 驚く優斗。畑山が答える。


「だが家族の理由などの場合、高野連に申請すれば特別に許可が貰えることもある。野球部が手続きをやっておこう」


「ああ、それは有り難い」


「問題ない。任せろ」


 優斗は再び畑山と握手をして笑顔で立ち去る彼を見送る。






「優斗様ぁ~」


 そこに響く甲高い声。真っ赤なツインテールに大きなリボン。宮北の朱色のジャージを着た鈴香がにこにこしながらやって来る。



「完敗ですわ~、優斗様ぁ」


 負けたのになぜか嬉しそうな鈴香。


「最初は勝てるかな~って思っていたんですけどぉ、優斗様が来てからあっと言う間に逆転されてしまいましたわ~。優斗様は本当に凄いお方ですわね~」


「俺が凄いんじゃないよ。ここにいるみんなが頑張ってくれたから勝てたんだ。まあでも楽しかったぞ。また次もよろしくな!」


 そう言って差し出した優斗の右手に、鈴香はまるでカーテシーのように片足を後ろに引き膝を緩めてその手を握る。



「次は水泳大会でございますわ。優斗様ぁ、どうぞお手柔らかに。それでは失礼しますわ〜」


 鈴香はすっと姿勢を戻すと右手の指で輪を作って自分の口元につけ、まるで投げキッスのようにして立ち去って行った。




「な、なにあれ!? あなた、あいつと何を話したのよ!!」


 それを後ろで見ていた優愛が優斗の元にやって来て言う。


「ああ、今日の対戦についてちょっとな。あと、次は水泳大会だって言ってた」


 対戦のことを聞き、優愛が興奮気味に言う。



「そ、そうよ! 次は水泳大会。あなた、ちょっとは泳げるの??」


「あ、ああ、まあ、人並み程度には……」


「ふん! せいぜい足を引っ張らないようにしてよね!!」


 優愛はそう言うとプイと顔を背けて歩き出す。一緒に歩き出した優斗に、今度は後ろから別の声が掛かる。




「あ、あの、優斗さん……」


 歩きながら優斗が振り返ると、茶色のボブカットをした琴音が頬を赤く染めながら立っていた。


「おう、琴音。お疲れさん!」


「あ、はい。お疲れさまでした!」


 琴音は小さく駆け足で優斗の隣に並ぶと、いつもより接近して歩き出す。



「ゆ、優斗さん。今日はありがとうございました」


「何が?」


「あ、その、野球部とか、色々です……」


 話しながら顔が熱くなってくるのを感じる琴音。隣に優斗がいるというだけでなぜか興奮してしまう。優斗が答える。



「まあ、キャプテンとは色々の約束をしたからな」



(!!)


 琴音の頭が真っ白になるかのような発言。手を前で組み、下を向いて顔を更に赤くして歩く。



 ――五十嵐おまえのことはあいつに託したから



 不意に浮かぶキャプテン畑山の言葉。琴音が小声で言う。



「あ、あの、私……、その、託されちゃってもいいかなぁ、なんて思ったりして……」


 そう言いながらこっそり下から優斗の反応を見つめる。一方の優斗は未だに『野球部の勧誘に一緒に来た琴音を安心させてくれ』と託されたものだと思い込んでいる。



「ああ、だから琴音も心配しなくていい。してくれ」


「は、はい……」


 そう返事しつつも琴音の頭は大混乱していた。



(あ、安心って一体どういう意味なの!? 私、すべてを優斗さんに預けちゃってもいいのかしら!? でも優斗さんモテるし……、優愛ちゃんだって絶対優斗さんのことが好きだし。多分計子ちゃんも……、でも……)



「あ、あの、でも、優斗さんは特定の彼女そういうのは不要だって……」


「不要? いや、大事でしょ」


 優斗はさらっと前を向いて悪気なく答える。



(ええっ!? 優斗さん、彼女作る気あるの?? 卒業と同時にアメリカ行くから要らないって確か言ってたはずなのに……)


 ますます混乱する琴音。優斗が言う。



「そう言えば次の対戦は水泳みたいだね。琴音は水泳得意なの?」


「え? いや、あんまり……」


 琴音は自分の水着姿を優斗の見せながら赤くなる自分を想像する。優斗が右手を差し出して言う。



「また忙しくなるね。よろしくな、琴音」


「あ、はい!」


 琴音は差し出された右手を握り返し答える。



(本当に良く分からない人。まるで雲みたい……)


 琴音は大きくて力強い優斗の手を握りながら、子供の様にはにかむその笑顔を見て胸がきゅんとなった。






「じゃあねー、優愛ちゃん、優斗さん、また明日!!」


 琴音はそう言うと笑顔で電車を降りて行った。

 ボランティア清掃が終わり電車で帰宅する生徒会メンバー。ひとり、またひとりと電車から降りて行く。偶然家が同じ方向と言うこともあっていつも最後は優愛と優斗は二人きりになる。

 優斗が車内の壁にもたれ掛かっている優愛に言う。



「お疲れ、優愛」


「……ええ」


 小さい返事。電車の騒音に掻き消されるような声。いつもの元気な優愛とは何か違う。



「どうした? 疲れたのか?」


「……大丈夫よ」


 その声、そして少しぐったりとした様子。絶対大丈夫じゃないと思った優斗が優愛に強めに言う。



「どうしたんだよ、何かあったのか?」


 優愛が少し青い顔をして答える。



「……副作用が強くて」


(!!)



 優斗は思い出した。

 ボランティア清掃の対戦に夢中で彼女が病気だってことを。元気に皆を鼓舞する彼女を見てそんなことをすっかり忘れてしまっていた。



「だ、大丈夫か? 優愛っ」


 そう言って電車内の壁にもたれ掛かって青い顔をする優愛の肩を掴んで言う。



「気持ち悪い……」


「ど、どうすれば……?」


「大丈夫、家に帰って休めば……」


「家だな? 分かった、そこまで送って行く。家に行けば家の人がいるんだな?」


「……」


 虚ろな目。一瞬悲しそうな表情をした優愛が小さく答える。



「いないよ。私、ひとり暮らしだもん……」



「え?」


 ひとり暮らし。

 母親もおらず、父親が転勤族の優斗もひとり暮らし。まさか優愛もひとり暮らしだったとは。優斗が優愛の肩に手を回し言う。



「とりあえず家まで送ってく」


「ちょ、ちょっと、なに気安く触って……」


 そう言いながらも強い眩暈が優愛を襲う。



「無理するな」


「う、うん……」


 優愛は恥ずかしさと気持ち悪さが同居しつつ、電車に規則正しく揺られながら家へと向かった。






(ここが優愛の家……)


 青い顔をした優愛を支えながらやって来た彼女の家は、年季の入った古いアパートだった。築何十年と経っているであろう寂れた二階建ての建物。まるで一昔前の浪人生が住むようなアパートだ。



「二階の部屋、これ鍵……」


 優愛はポケットから可愛いマスコットの付いた鍵を手渡す。優斗は鍵を受け取り優愛と共に階段を上がり部屋の鍵を開ける。



「入るぞ?」


「うん……」


 優愛は話すのも辛そうなぐらいぐったりしている。

 優斗は優愛を抱きかかえるようにして玄関で靴を脱ぎ、部屋の中へと入る。



(散らかってるな……)


 玄関のすぐ先には狭い台所があった。テーブルの上にはカップ麺が幾つもあり、一緒に食べかけのお菓子やジュースが無造作に置かれている。優斗が優愛に尋ねる。



「どうする? とりあえず横になるか?」


「う、うん……」


 優愛は吐きそうなほど気持ち悪かったが、それと同時に優斗に抱かれているという状況に眩暈を起こしそうだった。

 優斗が優愛を抱きかかえたまま台所の奥にある部屋へ運ぶ。そしてそこにあったベッドに優愛をゆっくり寝かせる。



「大丈夫か……?」


「うん、ごめんね、なんか……」


 ベッドで横になった優愛。恥ずかしさのあまり布団を顔の半分までかけて優斗に答える。

 部屋には丸いテーブルがひとつ。ベッドはピンクを基調とした女の子らしいデザイン。壁にはたくさんの洋服が所狭しと掛けられている。

 優斗はここで優愛が暮らしているのかと緊張しながら声を掛ける。



「何かできることはないか?」


「……水が飲みたい」


「分かった!」


 優斗はすぐに立ち上がり台所にあるコップに水を入れて持ってくる。



「はい、優愛」


「ありがと……」


 紺色のジャージを着た優愛がゆっくり体を起こし、優斗が持って来てくれた水を口に含む。それを数回繰り返してから言う。



「ごめんなさい。こんなみっともないところ……」


「何言ってんだ。全然気にすることない。それより他にして欲しいことは?」


 優愛は持っていたコップを優斗に渡し、小さく首を振る。



「ううん、もう大丈夫。……それよりさ、ひとつ聞いてもいい?」


 コップをテーブルの上に置いた優斗が答える。



「なに? いいよ」


 優愛が体を起こしたまま前を向いて尋ねる。



「二月の雨の朝、車に轢かれそうになった私を助けてくれたのって、優斗でしょ?」


 優斗は驚きじっと優愛を見つめた。

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