12.恋のトラウマ

 五月下旬の日曜の午後。

 夏を思わせるような入道雲の下、優斗はひとり駅前にあるスポーツジムに向かって歩いていた。


「こんにちは!」


「こんにちは。予約していた上杉です」


 ショッピングセンター内にある大型ジム。プールを併設したそのスポーツジムは、立地も良く若い人から年配の人まで多くの人が利用している。

 受付の女性がすらっと背が高く銀髪の優斗を見て思う。



(やだ、いい男……)


 優斗が尋ねる。



「何か手続きは必要ですか?」


 優斗に見惚れていた受付の女性が目をパチパチさせて答える。



「え、ああ。すみません。ネット申し込みでしたら会員証をスマホで出せますか?」


「はい」


 優斗がスマホを取り出しジムの会員証を表示させる。


「ありがとうございます。これから毎回これを提示してこのQRコードをここで読み取って頂ければ受付終了です」


「分かりました」


 優斗がカウンターにある機器にスマホのQRコードをかざし、ピッっという音を聞いてから軽く頷く。受付のお姉さんが笑顔で言う。



「中にありますタオルや飲み物の一部は無料です。分からないことがあればスタッフにお気軽にお申し出くださいね」


「はい、ありがとうございます!」


 優斗はにこっと笑ってジムの中へと入って行く。受付のお姉さんは手元のパソコンに表示させた優斗のデータを見てはあとため息をつく。



(あれ、高校生なの? 可愛い……)


 顧客の個人情報には非常時以外見ることは禁止されているが、受付のお姉さんはパソコンに表示された優斗の写真をその後もぼうっと眺めていた。




「さて、頑張るか!」


 週末の優斗の楽しみ。それは中学から続けている水泳だった。

 基本体を動かすことが大好きな優斗。運動神経抜群の彼が週末に楽しみにしているのがジムでの水泳。筋トレなどはあまり興味はなかったが、とにかくゆっくりと気持ちよく泳ぐことが大好きだった。



「おお、広いな!」


 優斗はフィットネス用の半袖スパッツスーツに着替えプールに出る。数名人はいるが年齢層は優斗より上の社会人がほとんどだ。優斗も父親に無理を言ってここの会費を払って貰っている。



(ああ、気持ちいい)


 準備運動をして水に入る優斗。周りは見慣れない若い男に気付き注目する。特に女性会員からは熱い視線が注がれる。全身が柔らかいバネのような筋肉に包まれた優斗。薄い水着の上からだとその引き締まった体がよく分かる。



 優斗が本格的に運動を始めたのは中学一年の頃だった。当時は少しぽっちゃりした体形でほとんどモテ要素などなかった。

 そんな彼が人生で初めての恋をした。引っ越しが決まっていたが抑えられなくなった気持ち。まだ幼かった優斗は意を決してその女の子に告白した。



「俺、お前のことが好きで……、付き合って……」


「は? 何言ってるの?」


 純情だった優斗の心に太く鋭いガラスの破片が突き刺さる。女の子が言う。



「上杉ってもうすぐ引っ越しするんでしょ? それでどうやって付き合うの?」


「そ、それは……」


 それは分かっていた。でも気持ちが抑えられなかった。女の子が続けて言う。



「それに、私、あんまり太い人は好きじゃないの」



(太い人……)


 特にそのような自覚がなかった優斗。

 どちらかと言えばぽっちゃりだった彼はこの時初めて自分が『太い人』だということに気付いた。



 ――運動して瘦せてやる!!


 この時から優斗は毎朝の走り込みや週末の水泳を開始する。

 最初は意地でやっていた運動も続けて行くうちにだんだん楽しくなり、高校に入る頃にはすっかり趣味になっていた。ストイックに続けた運動のお陰ですぐに優斗の体は締まり、身長も伸び始め中学の頃とは全くの別人になった。


 引っ越しを繰り返す優斗。過去を知らない場所に行く度に、ある意味、中学・高校デビューできたことは彼にとってプラスに働いた。

 ただ人を好きになることができなくなってしまった彼は、いくら外見が変わろうと恋愛に対するトラウマは簡単には癒えることはなかった。




「あ~、優斗様ぁ!?」


 何本か泳ぎ、プールサイドで休んでいた優斗に甲高い声が響いた。


「え?」


 呼ばれた方を振り向く優斗。そこには真っ赤なツインテールを揺らしながら笑顔で走って来る女の子。競泳用や控えめな水着が多い中、彼女だけは真っ赤なビキニをつけている。



「す、鈴香??」


「は~い、鈴香で~す!!」


 鈴香は優斗の前まで来ると後ろに手を組んで前屈みになって答える。

 宮前西高校のライバルで、宮前北高校の生徒会会長。前に会った時は気付かなかかったが、水着の彼女を見ると大きな胸や長い足などスタイルも抜群である。大人の女性にも負けない色香の鈴香。優斗が驚いて尋ねる。



「お前もここ使ってたんか?」


「はーい、そうですよ! 優斗様は最近ですかぁ??」


「あ、ああ。申し込みはだいぶ前にしたんだけど、来たのは今日が初めて」


 鈴香はすっと優斗の隣に座ると笑顔で言う。



「わあ、それじゃあ優斗様のを鈴香にくれるんですね~!!」


「何言ってんだよ、お前。意味分からないぞ」


「恥ずかしがらなくてもぉ~、鈴香にお任せ下さ~い!!」


 そう言って鈴香は隣に座る優斗の引き締まった腕の筋肉を人差し指でつつっと触る。



「お、おい! 触るなって!!」


 突然現れた銀髪で背の高い好青年と、赤のツインテールの美少女の絡みに周りにいる人達の視線が集まる。鈴香が尋ねる。



「優斗様は~、ここに泳ぎにいらしたんですか?」


「ああ、そうだよ。水泳も趣味でね」


 鈴香が驚いた顔で言う。



「まあ、野球だけじゃなくて水泳も! 鈴香はもうメロメロですぅ~」


 頬を赤くしとろんとした目で優斗を見つめる鈴香。



「宮西では野球はされないのでしょうか?」


 少し考えてから優斗が答える。


「うーん、分からない。今は生徒会が一番だからね。まあ必要ならば手伝うことはありかな」


「鈴香はホームランを打つ優斗様が見たいですぅ~」


「あんなのまぐれだよ」


 優斗が苦笑いして答える。鈴香が尋ねる。



「そんなに宮西の生徒会が大事なんですか~??」


「ああ」


「鈴香よりも?」


「言っている意味が分からん」


 鈴香が舌をペロッと出して言う。



「ごめんなさい。神崎さんのことが気になるとか??」


 神崎、それは優愛の苗字。



「さあな。それより今度のボランティア清掃、お手柔らかに頼むぞ」


「え~、どうしようかなぁ?? 優斗様が私の彼氏になってくれればお手柔らかにしますよ~!!」


 優斗が頭を掻きながら答える。



「あー、だからそれは無理だって。俺は彼女は作らない。いや、作れないって言った方が正解かな」


 鈴香が優斗の腕に手を回して言う。



「私はどこへでも付いて行きますよ。優斗様と一緒なら~」


「お、おい! 放せって!!」


 薄い水着。じかに鈴香の胸の感触が伝わって来る。優斗が立ち上がって言う。



「とにかく対戦、楽しみにしてるぞ!」


「は~い!!」


 優斗は軽く鈴香に手を上げると、そのまま水に入り泳ぎ出した。






「よお、おはよ。優愛」


 翌日の朝、教室で優愛に会った優斗が笑顔で挨拶をする。優愛がプイと顔を背けて言う。


「ふん! 馴れ馴れしくしないで!」


「馴れ馴れしいって、朝の挨拶だろ?」


「私の名前を気安く呼ばないでって言ってるのよ!」


「だって俺も生徒会じゃねえか?」


「今は、違うわ!」


「何だよそりゃ……」


 優斗が困った顔でため息をつく。



「そうそう。今日の放課後は大切な打ち合わせがあるからちゃんと私と一緒に生徒会へ行くように。いいわね?」


「はいはい」


 結局どっちなんだよ、と思いつつ優斗が苦笑いして答えた。





「琴音、例のチラシは出来上がった?」


 放課後、生徒会室へ行った優愛が先に来て忙しそうにしていた琴音に言う。


「あ、優愛ちゃん! うん、もう刷り上がったよ!」


 茶色のボブカットを揺らしながら琴音が笑顔で言う。その手には何やら書類の束。優斗が尋ねる。



「それ何?」


 琴音が優斗の方を向いて笑顔で答える。


「あ、優斗さん! これはですね、じゃじゃーん!! 『清掃ボランティア』の募集チラシです!!」


 そう言って琴音が刷りたてのチラシを優斗に見せる。


「へえ、凄いじゃん!」


 優斗はその一枚を手にして見る。大きく『清掃ボランティア参加者募集!』と書かれたチラシ。掃除道具の可愛らしいイラストや日時、場所などが記載されている。ただある文字に気が付き優斗が言う。



「なあ……」


 優斗が琴音に尋ねる。


「はい?」


 優斗がそのチラシの一番下の文字を指差して言う。



「これ、なに?」


「……」


 そこには赤色で大きく『これを手にした者は絶対参加すること! いいわね!!』と書かれている。琴音が困った顔で答える。



「あ、あの、それは優愛ちゃんが……」


 優愛が優斗の持ったチラシを手にして言う。



「いい誘い文句でしょ?」


「どこがだよ!! まるで脅迫じゃないか!!」


「なんでよ……」


「なんでじゃないだろ!? これはボランティア。参加するかどうかは本人が決めることだろ?」


 優愛がむっとして言う。



「そんなこと言ってるから甘いのよ。そうやって毎年同じことを繰り返して、結局ほとんど誰も来ないの。分かる??」


 優愛の言うことにも一理ある。ただ誘うだけのボランティア清掃など響かないし、誰も来たいと思わない。優斗が腕を組んで首を傾げて言う。



「う~ん、だけどなぁ……」


 いまいち納得できない優斗。しかしそんな彼の腕を引っ張って優愛が言う。



「さあ、ぼさっとしないでチラシ配りに行くわよ! 付いて来なさい!!」


「あ、おい、ちょっと優愛!?」


 優愛と優斗は出来上がったばかりのチラシの束を持って学校の入口へ向かった。





「はいっ!!」


「ひ、ひえ~!!」


 ビラ配りを始めるふたり。しかし覇気迫る顔でビラを配る優愛には誰も近付こうとしない。特に男子生徒達は彼女の姿を見るだけで皆逃げ始める。対照的に優斗の周りには、



「あ、あの、上杉先輩ですよね?」

「ビ、ビラ下さい!!」

「うわぁ、背、高い……」


 自然と女生徒、同学年や下級生等たくさん集まって来ている。優斗が言う。



「今度、ボランティア清掃やるんだ。時間あったら来てくれる?」


 優斗が笑顔でそう言うと女生徒の間から黄色い声が上がる。そして次々と減って行くビラ。最後の一枚を配り切ったところで、優斗が優愛に近付いて言う。



「優愛、ビラが無くなったんで、そっちの手伝おうか?」


 優愛が額に青筋を立てて言う。



「う、うるさいわね!! これは私が配るの!!」


 そう言ってひとり下校する生徒の中へ突進していく優愛。優斗はその後ろ姿を苦笑しながら見つめた。

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