11.勇気の向こう側

「い、五十嵐。ちょっといいか?」


「あ、畑山君……」



 優斗が宮前西高校に引っ越してくるほんの少し前、新しい生徒会への所属が決まり忙しくしていた琴音に、野球部新キャプテンの畑山球蔵きゅうぞうが声を掛けた。

 お互い新たな仕事をして遅くなった学校帰り。北風冷たい暗い夕暮れ時であった。



「ご、ごめんな、急に。姿が見えたもんで」


「え、ええ……」


 畑山と琴音は一年の時同じクラスだった。ほとんど話したことのない間柄であったので突然呼び止められた琴音は困惑していた。冬なのに黒く焼けた肌。畑山が短く刈り上げられた髪に手をやりながら言う。



「あ、あのな。俺、ずっとお前のことが好きだったんだ。良かったら俺と付き合ってくれないか」



(え、ええっ!?)


 風に揺れる茶色のボブカット。突然の告白に琴音が口に手を当て驚く。


「あ、あの、私……」


 驚き戸惑う琴音を見て畑山が尋ねる。



「誰か好きな奴でもいるのか?」


「いえ、その……」


 この頃の琴音に特段好きな人はいなかった。ただ『男はみな敵よ!!』と口癖のように言っていた優愛の影響や、生徒会の仕事が忙しく男のことを考える余裕などは全くなかった。

 畑山が指を広げた右手を前に突き出して言う。



「分かった! 分かってる。気になる奴がいるんだろ? だが俺は負けん! いつかお前を振り向かせてやる。じゃあな!!」


 畑山はそう言うと冬なのに大量にかいた汗を拭きながら走り去って行った。



「な、何も言っていないのに……」


 まったく興味のない男であったからどう断ろうかと思っていた琴音。この日より学校で彼に会う度に意味深な笑みを向けられるようになった。





「琴音、どうした? 顔が暗いぞ」


 ボランティア清掃への打ち合わせを終え生徒会メンバーで下校中、隣を歩く優斗が横を見ながら琴音に言った。琴音が顔に手をやり驚いた顔で答える。



「だ、大丈夫です。ちょっと考え事を……」


「考え事? 大丈夫だって! 楽しくやろうぜ!!」


 そう言って親指を立てる優斗。戸惑いつつも琴音もすっと親指を立ててそれに応えた。



(私が畑山君に直接お願いするべきなのかな……)


 琴音は前を歩く銀髪の男の背中を見ながらひとり思った。






『業務連絡よ』


 その日の夜、ひとり自主学習をしてた優斗のスマホがいつもの時間に鳴った。スマホにはパジャマのような服を着た優愛。彼女の私生活が垣間見れ、優斗が一瞬どきっとする。



『あいよ。よろしく頼むな、生徒会長さん』


『何それ? 馬鹿にしてるの?? いい、ちゃんと聞きなさいよ!』


 優愛はそれから先程生徒会室で決めた内容の再確認を行った。

 ボランティア清掃に向けた準備が主なもので、清掃に使う手袋やごみ袋、新たに購入するごみ拾い用トングなどの確認をする。



『きちんと予算を当てることにしたわ。あとは人員ね……』


 いくら道具があってもやはり清掃は人手が必要。学校で一番の規模を誇る野球部の勧誘が大きなカギとなる。優斗が言う。



『明日、野球部に交渉に行ってみるよ』


『交渉は良いけど、当てはあるの?』


『ないよ』


『知り合いは?』


『いない』



『あなた、やはり馬鹿でしょ』


『何だよ、急に!!』


『もういいわ。せいぜい頑張ってね。じゃあ』


『あ、おいっ……』


 その言葉を聞くより先にいつも通りに映像が切られた。そして流れてくる優愛の独り言。



『ありがとぉ、優斗君。優愛の為に……』


 優斗が通話を切る。

 会う度にツンツンした優愛だが、こうしてスマホの向こうでデレる彼女をいつしか優斗は可愛いと思うようになっていた。



「学校でもああしていればちょっとは可愛がられるのにな。まあ、急にああなったらみんなびっくりするだろうけどな」


 優斗はスマホを片付け再び勉強へと戻った。






 翌日の放課後。鞄に荷物を入れながら優斗が隣の優愛に言う。


「なあ、優愛」


「なによ!」


 学校じゃ普通に会話ができないのかと優斗が苦笑いする。



「これから野球部に行って来るから、今日は生徒会行けないかも」


「そ、そう。まあ、せいぜい頑張りなさい……」


 そう会話するふたりに茶色のボブカットの女の子が近付いて声をかける。



「あ、あの、優斗さん……」


「ん、琴音。どうした?」


 琴音は優斗の前まで来ると恥ずかしそうに下を向きながら小声で言った。



「や、野球部に行くのなら、私も一緒に行ってもいいですか……?」


「え、琴音が行くの?」


 大人しくて内向的な琴音。その彼女が自分からあの荒々しい野球部へ行くと聞いて優愛が驚く。



「どうしたの、琴音? 何かあった??」


 心配した優愛が琴音に尋ねる。


「ううん。何もないけど、ちょっとキャプテンさんと知り合いで……」


 まさか告白されたなどとは恥ずかしくて言えない。優斗が言う。



「おお、それは都合がいい! 俺、転校したばかりだし全然知り合いとか居なくてさ。琴音が来てくれるなら大助かりだよ」


「は、はい……」


 優斗にそう言われ恥ずかしそうに下を向く琴音。優愛がプイと顔を背けて言う。



「ふん! 所詮男なんて使えないクズよ!! 好きにしたらいいわ!!」


 優斗はこれから協力を求める相手に対して、なぜそこで怒りだすのか全く理解できなかった。





「ありがとうございます。同行させて貰って……」


「いや、そんなことないよ。一緒に来てくれて助かるよ!」


 優斗と並んで廊下を歩く琴音。

 すらっと背が高く魅力的な銀髪の優斗。転校早々に一部女生徒の間では噂になっており、一緒に歩くだけで向けられる視線をひしひしと感じる。

 校舎のエントランスに行き、靴を履き替えながら優斗が尋ねる。



「野球部のキャプテンと知り合いなんだって?」


「え、ええ……」


 琴音が頬を赤くして答える。


「それは心強いな!」


 琴音の心臓がばくばくと大きく鼓動する。心では会話とは別に全く別のことを考えていた。



(言っちゃえ、言っちゃえ、言っちゃえばいいだよ!!)



「あの、優斗さん……」


「ん? なに?」


 琴音が下を向き顔を真っ赤にして言う。



「誰にも言わないで欲しいんですけど、実は私、そのキャプテンさんに告白されたんです……」



「えっ」


 さすがの優斗もその言葉に驚く。



「え、じゃあ……」


 その言葉を遮って琴音が顔を上げ言う。



「でも、断ったんです! ちゃんと断りました……、だから、心配しないでください……」


「あ、ああ、そうか。ごめんね、なんかこんな事に付き合わせちゃって……」


 優斗が頭を掻きながら答える。



(優斗さん……)


 そんな彼の顔を琴音は下を向きながらもしっかりと見つめていた。



 どんな反応をするのだろう?

 悔しがるのかな。

 驚くのかな。


 ……ちょっとは嫉妬してくれるかな?



「じゃあ、行こっか。話し辛かったら俺、話するから」


 そう微笑んで先を歩き出す優斗を見て琴音が思う。



 ――どれでも、なかった。



 その表情から彼の心は読めなかった。

 分からなかった。



(でもいい)


 それで良かった。

 彼の中に一瞬でも『五十嵐琴音』という女の子を刻み付けることができたから。



「あ、優斗さん、待ってください!」


 琴音は先を歩く優斗の背中を追った。






「え、キャプテン? 球蔵さんなら今いないよ」


 校舎を出て中庭を歩き、運動場とは少し離れた場所にある野球部専用グラウンドに到着したふたり。弱く実績もないのに昔から人数だけ多く、この様な専用グラウンドまである。大昔の野球好きの理事が造ったそうだが、肝心の実力はつかなかったらしい。



「いないんだ……」


 優斗が残念そうな顔をする。



「今、ちょうど夏の地方予選前で、球蔵さんもその打ち合わせに出ちゃってるよ」


「なるほど」


 弱小校ではあるが、それでも夏の甲子園の地方予選は最も大切なイベント。この為に皆厳しい練習を行っている。



「何の用だった?」


「ああ、俺ら生徒会でな。今度の清掃ボランティアの協力をお願いに来たんだ」


「清掃ボランティア……」


 その言葉を聞いた野球部員が眉間に皺を寄せる。この大会前の忙しい時期にそのような面倒なことができるかといった表情だ。優斗が軽く手を上げて言う。



「じゃあ、また来るわ」


「ああ……」


 立ち去る優斗と琴音を見つめる野球部員。

 後にこの野球部員からキャプテンである畑山球蔵に『茶色のボブカット女の子が尋ねて来た』と伝えられる。それを聞いた彼はえらく興奮し、その日の練習中ずっとソワソワしていたということは誰も知らない。



 その日の夜、いつものビデオ通話で生徒会の業務連絡をしてた優愛が尋ねる。



『それで、野球部の方はどうだったの?』


『ああ、キャプテンはいなかった』



『そう……』


『あ、でもちゃんとアポ取ったから大丈夫』


『ふん、ちゃんと仕事しなさいよ!』


『はいはい』


 優斗はそう会話しながら、今日はどんなデレを見せてくれるのだろうと楽しみになった。

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