9.叶えたいリスト

(この辺り……)


 その日の夜、自室でひとり鏡の前に座る優愛ゆあがあの雨の朝、銀髪の男に抱きかかえられ触れられた辺りを手で撫でる。

 鏡に映った顔は朱に染まり、とても学校で見せる『男嫌いの生徒会長』とは別人のよう。



(男なんて大嫌いだったはずなのに、どうしてこんなにどきどきするの……)


 何度思い出しても胸の鼓動が止まらない。

 ちゃんとお礼も言えずに立ち去って行った彼を思い出し大きくため息をつく。



(優斗君、優斗君なんだよね、あれって……)


 すらっとした背、引き締まった筋肉、痺れるような声。そして輝く銀髪。

 どう考えても彼以外いない。



「あいつは全然そのことについて言おうとしないけど、一体何を考えているのかしら!!」


 ちゃんとお礼を言いたい。そしてもっと話したい。



「……でも、私、どうして彼のこと『備品』だなんて」


 優斗を悪く言うつもりはない。

 でも煮え切らない態度や他の女と仲良くするのを見るとどうしても悪態をつきたくなる。



 ――俺、彼女作らないようにしてんだ。



 不意に浮かぶ優斗の言葉。引っ越しばかりですぐ会えなくなるから彼女は作らないと。


(私と同じじゃん……)



 悪性の腫瘍。

 自分には将来がない。そんな人間が恋人など作ってはいけない。自分も、そして相手もきっと傷つく。


(だからひとりでいい)



 独りで生き、きっと独りで消えて行く。

 怖い。きっとたったひとりで病気と戦い、転移した全身の痛みに苦しみながら最期を迎える。



「明日は病院か……」


 数週間に一度、病院を訪れ薬物治療を行っている。点滴を打ち、その反応によって薬を調整する。点滴を打った後、特に数日は辛い。吐き気やだるさ、時には発熱も起こす。



(怖い、怖くて潰されそう……)


 見えぬ恐怖と戦う日々。

 学校で皆といる時は楽しくて忘れてしまうこともあるけど、ひとりになるといつも心が震える。



「どうして私なの……」


 何度この言葉を口にしたか。

 どうしてこんなに若くして病気になってしまったのか。

 どうして自分なのか。



 ――生きたい、もっともっと生きたい



 そんな時、優愛はいつも手帳に挟んだ一枚のメモを見つめる。



『叶えたいリスト』


 それは優愛が、その時を迎えるまでにやっておきたいことを自然と書き連ねたメモ。


『生徒会長になる、大学生になる、心を震わす景色を見る、宮北に全部勝つ、妹に謝る、病気を治す……』


 叶ったもの、未だのもの、そしてこれから書き足すもの。

 特に未記入である一番最後の願いは、何度ペンを持って書こうとして結局書けなかった。



(涙……)



 優愛は不意に流れた涙に気付き、急ぎハンカチで拭き取る。


(あいつの、声が聴きたいな……)



 優愛は専用の台座にスマホを置き、ラインを開く。そしてもう一度涙を拭き、頬を少し両手で叩いてから通話ボタンを押す。



『もしもし、優愛?』


 聞きたかった声がスマホから流れて来る。


『何よ、その疲れた顔は?』


 銀髪のいつもの顔。それを見るだけで心が落ち着く。



『さ、業務連絡を始めるわよ』


 優愛はいつも通り生徒会の連絡事項の確認を始めた。






「ふう……」


 いつも通り自転車に乗り朝の日課を終えた優斗がマンションに戻って来る。

 春になってすっかり日が昇るのも早くなり暖かくなってきた。走り終えると着ていた服がしっとりと濡れている。優斗はすぐにシャワーを浴び、学校へ行く支度をした。




「よお、優愛。おはよ!」


 宮前西高校のエントランス。

 そこに黒い長髪を靡かせた美しい少女が上履きに履き替えている。病的なまでに白い肌。艶のある黒髪。生徒会長と言う立場にあってあまり目立たないが、出るところはしっかり出た理想的な体形。

 そんな誰もが羨む高嶺の花である優愛だが、もちろん誰も声を掛けようとはしない。罵られる男子はもちろん、女子からも一歩引かれてしまっている。



「ふん!」


 そんな彼女に笑顔で声を掛けられる唯一と言っていい男子生徒の優斗。相変わらず塩対応だがそれでも彼女と対等に会話する優斗には、ある意味皆から畏敬の念を持って見つめている。



「挨拶ぐらいしろよ、生徒会長だろ?」


「うるさいわね。どうして備品なんかに挨拶しなきゃいけないの?」


「おいおい、俺はいつになったら『人』に昇格できるんだ?」


「知らないわ」


 優愛はプイと顔を背けてひとり歩き出す。



(やれやれ……)


 優斗が苦笑していると優愛が立ち止まり振り返って言う。



「そうだわ。今日生徒会はお休みだから」


「え? なんで?」


 優斗が近付いて一緒に歩き出す。優愛が言う。



「今日、薬の投与の日なの。学校は早退して病院に行かなきゃならないの」


「そうか……」


 優斗の頭の中にずっとある『悪性の腫瘍』という言葉。

 あれからあえてその話題には触れていないが優斗は優斗なりに心から心配していた。



「きっと大丈夫だから」


 優斗の言葉に優愛が答える。


「無責任なことは言わないでと言ったでしょ」


「そうかもしれない。だけど、俺は大丈夫だと思ってる!」


「ふん! ふざけないで」


 ふたりはそのまま教室へと入る。

 三年生となった新しい教室。未だ男嫌いの優愛が、そんな彼女が優斗と一緒に教室にやって来る光景に皆が注目する。女生徒ですら一部からは声を掛けづらい優愛。怒っているのか機嫌が悪いのか、可愛いのだがとにかく扱いが難しい生徒会長。



「そう言えばあなた……」


 そんな優愛と自然に会話する優斗。


「なに?」


「野球なんてやっていたのね」


 優斗が苦笑して答える。



「ちょっとだけだよ。他にもいろいろ掛け持ちしていたからさ」


「野球部じゃなかったの?」


「幽霊部員。行ったり行かなかったり」


「ふーん」


 優斗のその行動の意味がいまいち理解できない優愛。



「あ、でも生徒会ってのは初めてなんで、よろしく頼むよ。生徒会長さん」


「ふん! し、仕方ないから面倒見てあげるわ!」


「サンキュ!」


 優愛は優斗に顔を背けながら喜びを全身に感じていた。






 午前中最後の授業。

 優愛は手帳に挟んでいる『叶えたいリスト』のメモを手にし、じっと見つめていた。


(いくつ、叶うんだろうな……)


 頑張れば叶うものもあれば、ほぼ絶望的なものもある。ただ、書いては消している最後の願いだけは未だしっかりと書けない。



「神崎!」


「あ、はい!」


 メモを見ていた優愛が教員に呼ばれる。


「じゃあ、これやって」


 教員はそう言って黒板に書かれた数式を指差す。優愛は「はい」と答えて立ち上がり、そのまま前へと歩いて行く。



(あっ、なんか落ちた)


 歩き出した優愛。それと同時に机から一枚の紙が落ちたのに優斗が気付く。隣の席の優斗がそれを拾い優愛の机に置こうとして、その書かれた文字が目に入り手が止まった。



(『叶えたいリスト』……?)


 見るつもりはなかった。

 ただ目に入ってしまった。



(これって、おい、これってまさか……)


 メモを持つ優斗の手に汗が滲み出る。



 ――これって優愛が居なくなるまでに叶えたいリスト、ってことか??



 そう思った瞬間、急に手にしていたメモを奪われた。



「な、何見てるのよ! 勝手に!!!」


 そこには数式を書き終え、自分の席へ戻って来ていた優愛が立っていた。手には大切なメモ。怒りの視線を優斗に向けている。優斗が小声で言う。



「ご、ごめん。落ちてたから拾って……」


「信じられない、勝手にっ!!!」


 優愛はメモを鞄にしまうとプイと顔を背けて椅子に座った。



「じゃあ、これで午前の授業を終わります」


 教員の挨拶と共に授業が終わると、優愛は鞄を持ってひとり学校を出て行った。






 その日の夜、夕食を食べ終えた優斗は机に座りスマホを見つめていた。


(ちゃんと謝らなきゃ)


 昼、学校で偶然見てしまった優愛のメモ。

 彼女の境遇を知っているから優斗にはその意味がしっかりと理解できた。優斗がスマホを持ってその通話ボタンを押す。


 流れる呼び出し音。そして声が響いた。



『もしもし……』


 少し思い詰めたような声。暗い表情。優斗がすぐに言う。



『優愛、ごめん! ちゃんと謝りたくて』


『……』


 無反応の優愛。表情がない。


『見るつもりはなかったんだ。落ちたのを拾って、偶然見えちゃって……』



『分かってる。もうそんなに謝らなくてもいいわ……』


 その言葉を聞き、ようやく優斗は胸をなでおろす。優愛が言う。



『ただちょっと恥ずかしかっただけ。本当に、それだけ……』


『恥ずかしいことなもんか!!』


 優斗が大きな声で言う。



『凄くいいことだと思うよ!!』


『……ありがと』


 優斗が優愛を見つめて言う。



『優愛』


『なに?』



『俺も手伝わせてくれ、そのリスト』



(え?)


 優愛が驚きの顔で優斗を見つめる。



『俺も協力する。だから一緒に叶えようぜ!!』



 それを聞いた優愛の顔が一瞬で赤く染まる。


『ば、馬鹿なこと言わないで!! どうしてあなたなんかと……』



『大丈夫!!』


 優愛が優斗を見つめる。



『俺も優愛の力になりたい』



『な、なに勝手なこと言って……』


 そう言われた優愛が更に顔を赤くして下を向く。そして優斗に言う。



『きょ、今日は業務連絡ないから、これで……』


『あっ』


 そう言っていつも通り映像だけを切る優愛。そしてすぐに彼女の声が優斗のスマホから流れた。



『ありがとう、優斗君。私、本当に嬉しい……』


 そこで通話を切る優斗。

 そして天井を見上げながら大きく息を吐く。



「マジで、やるぞ!」


 色々と自分の為に、自分が後悔しないために頑張って来た優斗。そんな彼が初めてに全力を尽くそうと心に決めた瞬間であった。

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