4.おさげの女の子
「ふう……」
翌朝、いつもより更に早く起きた優斗はまだ真っ暗な外に出て、空に輝く星を見て大きく息を吐いた。肌に突き刺さるような冷気。時々吹き付ける風に手足が冷たくなる。
「はああ……」
手袋をはめる前に手に一度息を吐き温める。
優斗はそのままマンションの駐輪場へ行き、買い物などで利用する自転車の準備を始めた。手袋をはめ電気をつけた優斗が勢いよく自転車を漕ぎ出す。
(さあ、今日から頑張るぞ!!)
優斗が真っ暗な闇の中へと消えて行った。
「はあはあ、結構疲れたな……」
自転車で飛ばすこと約一時間。目的の場所へ来た優斗が自転車を停め歩き出す。東の空もだいぶ明るくなって来ており、吹き付ける冷たい風も火照った体にはちょうどいい。
(あら、また挑戦者かしら……)
そんな優斗を近くの家の窓からひとりの女の子が見つめる。
朝の勉強を自宅二階でしていた眼鏡を掛けたおさげの女の子。窓から自転車を止め歩き出す銀髪の男をじっと見つめる。
(どのくらい頑張れるのかな……)
女の子はズレた眼鏡を手で戻すと、再び計算機を叩きながら数学の勉強を始めた。
二月が終わり、いよいよ年度末が近付いて来た。
放課後、生徒会室に集まった一同を前に生徒会長の優愛が言う。
「以上で『卒業生を送る会』の打ち合わせを終わります。何か質問は?」
優愛が生徒会メンバーの顔を見回す。
「はい」
唯一の男性メンバーである優斗が手をあげる。優愛がそれを面倒臭そうな目で見て言う。
「……なに?」
優斗が立ち上がって言う。
「『なに?』じゃないだろ! なんで俺だけみんなと違う机で、って言うかなんで机が段ボール箱なんだよ!!」
副会長のルリや書記の琴音が座る生徒会室のテーブル。その後ろに段ボール箱を机に、床に座らされた優斗がいい加減怒って立ち上がる。優愛が答える。
「備品にはそれで十分でしょ? そもそも備品には発言権ないし」
副会長のルリがピンクの髪をいじりながらくすくす笑う。琴音は何も言わず下を向いてじっとしている。
「俺が何か悪いことしたんかよ」
「ふん!」
不満そうにそう言った優斗を優愛が冷たくあしらう。髪をいじって遊んでいたルリが優愛に言う。
「ねえ、優愛ぁ~、そんな事より会計どうするのよ~??」
年度末を控え、一年間の収支報告を行わなければならない。年末の選挙を終え、前生徒会が行って来た収支の確認を始めとした最も大変で面倒な作業が待っている。
「そうよね……、とりあえずみんなで手分けしてやるしかないよね……」
強気の優愛がちょっと弱気になって言う。
「あの、優斗さん……」
前に座っていた琴音が茶色のボブカットを揺らしながら振り返り、優斗に尋ねる。
「なに?」
「優斗さんは、計算とか得意ですか?」
「得意って程じゃないけど、一通りはできるよ」
「収支報告書を作らないといけないんですけど……」
控えめに言う琴音。そして部屋の隅に置かれた段ボール箱を指差して言う。
「あれ、全部そうなの」
「ええっ!? あれ、全部……??」
優斗が部屋の隅に置かれた段ボール箱を開ける。中には様々な領収書が無造作に入れてある。優愛が腕を組んで言う。
「それ全て計算して、一円でも合わなかったらすべてやり直し。まさに『三月の地獄』よ」
優斗は各部活や様々な年間イベントで使われていた領収書を手にして呆然とする。ルリが優愛に言う。
「ねえ、優愛~、やっぱり山下にお願いしようよ~」
(山下?)
初めて聞く名前に優斗が首をかしげる。優愛が腕を組んで言う。
「あんな女、無理無理! 冗談じゃないわ!!」
優愛があからさまに嫌そうな顔で言う。優斗が前に座る琴音に尋ねる。
「なあ、琴音。山下って誰なの?」
琴音が再び体をひねって後ろにいる優斗に言う。
「E組にいる女の子で、とーっても計算能力が高い子なんです」
「ほう、それはいいじゃん。手伝って貰えば?」
琴音が小声で言う。
「でも、すっごく優愛ちゃんと仲が悪くて。一年の頃、一緒のクラスだったんだけど、意見がことごとく違って犬猿の仲というか……」
「琴音、何を話してるの! さ、収支のチェック始めるわよ!」
「あ、はい!」
優愛は優斗が見ていた領収書の入った段ボールを手にして机にドンと置くと、その中の領収書を取り出して皆に配り始めた。
「ちょっとあなたも手伝いなさいよ!」
「あ、ああ。分かったよ」
ぼうっとそれを見ていた優斗も一緒に優愛の手伝いを始める。
『三月の地獄』を始めた生徒会メンバー。予定よりずっと遅くなって帰宅の途に就いた。
ティロロロロン……
その夜、ひとり自室で勉強をしていた優斗の携帯にビデオ通話の着信音が鳴った。
(優愛かな……?)
優斗がスマホを見ると『神崎優愛』の表示。最近毎晩だなと思いつつ出る。
『よお、優愛』
『……』
スマホにはむっとした顔の優愛がこちらを睨んでいる。パジャマのような私服にポニーテールが可愛い。ちょっと戸惑った優斗が尋ねる。
『な、なあ、どうしたんだ?』
優愛が抑揚のない声で言う。
『あなたね、前から思っていたんだけど、どうして私のこと名前で呼ぶの?』
『は? だって生徒会って下の名前で呼び合うんだろ?』
『それは生徒会のメンバーのこと。あなたは備品でしょ? 備品に名前なんて呼ばれたくないわ!』
『おいおい……』
優斗が悲しそうな顔をすると優愛が一瞬驚いたような表情になる。しかしすぐにまたむっとした顔に戻って言う。
『さあ、連絡事項よ。しっかり聞いてちょうだい』
ついさっきまで一緒に居て報告を聞いたり仕事をしていたのに、と思いつつ優斗が黙って話を聞く。
『……話は以上よ。明日も私と一緒に生徒会室へ行くこと。いいわね?』
『ああ、分かったよ』
じっと見つめる優愛に優斗が言う。
『いつもありがとな、優愛』
そう言われた優愛の顔が少しだけ驚いたような表情になったが、すぐにそれを胡麻化すようにして下を向き言う。
『そ、そんなこといいわよ! あなたは何も知らない新人なんだし。じゃ、じゃあまた明日』
『ああ、おやすみ』
そして切れる映像。その後すぐに音声のみ優斗のスマホから彼女の声を伝える。
『きゃー、また優斗君の顔見ちゃった!! ずっ〜と優愛のうなじとか見てたし、もう優斗くぅんってばエッチなんだか……』
そこで慌てて優斗が通話を終了させる。
(え、うなじ? エッチ……?)
うなじなどほとんど見ていない優斗。そして思う。
(俺、嫌われているのかな。それとも好かれているのかなあ? どっちでもいいけど俺ってそんなにエッチな顔してたんか……??)
優斗はそんな優愛を少し可愛いと思いつつ、再び参考書を手にして勉強を続けた。
(ふう、だいぶ慣れて来たな)
翌朝、日課の自転車で目的地に辿り着いた優斗が、少し汗ばんだ体を冷たい風に晒す。
「ああ、気持ちいい」
まだまだ薄暗い早朝。自転車から降りた優斗の吐く息の音が静かに耳に響く。
(また来てるわ……)
その眼鏡を掛けたおさげの女の子は、部屋から見える銀髪の男の姿を見て頷いて思う。
(結構頑張ってるのね。うん、好感が持てるわ……)
自転車を置き、階段を上がって行く優斗の姿を女の子がじっと見つめた。
翌朝、生徒会長の優愛と副会長のルリが一緒に登校する。
「ねえ、優愛~」
「なに?」
「やっぱり山下に手伝って貰おうよ~」
『三月の地獄』、それは新しく結成された生徒会に最初に立ちはだかる強力な試練。前年度の生徒会がいい加減なほど後任の生徒会の負担が増す。優愛が嫌そうな顔で答える。
「だからあの女は無理だって」
「でも、ルリ達だけで収支報告やるのだって無理だよ~」
確かにそれは一理あった。
優愛にルリ、琴音、そして備品だとして馬鹿にする優斗に手伝って貰ってもほとんど捗らなかった会計。三月は『卒業生を送る会』もあるし、そもそも春休みに入るため登校日数自体少ない。
「そ、それはそうなんだけど……」
廊下を歩きながら話すふたり。優愛も初めての会計作業が思ったよりもずっと大変だということを実感していた。ルリが言う。
「今日さ~、山下連れて行くから。ね、いいでしょ?」
「でもあの女、絶対私の手伝いなんてしないよ」
「それはちょっと優愛が頭下げてお願いすれば~?」
「な、なんで、私があんな女に頭を下げて……」
「じゃあ、終わるの? 会計~??」
「そ、それは……」
困った顔をする優愛。ルリが優愛の頬を軽くつねって言う。
「そういうこと。じゃあ、ちょっと声かけてくるね~」
「あ、ちょっと、ルリ!!」
ルリはピンクの髪を左右に振りながら山下のクラスへと走って行った。
放課後、生徒会室にやって来たルリ以外のメンバーが椅子に座る。琴音が優愛に言う。
「優愛ちゃん、今日は喧嘩しないでね……」
「ふん! それはあの女次第よ」
(一体どんな子が来るんだよ……)
徹底的に優愛に嫌われている女の子。男なら理解できるが相手は女の子。どんな子か想像がつかない。優斗がそんなことを考えていると生徒会室のドアが開かれた。
「優愛~、連れて来たよ~」
副会長のルリがピンクの髪を揺らしながら笑顔で入って来る。
その後ろに赤い眼鏡をかけた女の子。髪はおさげで一見すると地味っ子だが、整った顔立ちは間違いなく隠れ美少女である。自分の可愛さに気付いていない系なのかもしれない。
優愛は彼女が入って来るとプイと顔を横に向ける。おさげの子が言う。
「神崎さん、私に用があるって一体なんですか?」
落ち着いた口調。それを聞いたルリが驚いて言う。
「えー、山下~、それは朝教えたでしょ~」
ルリは当然会計を手伝って欲しいと言って連れて来ている。山下と呼ばれたおさげの女の子はそれを分かった上で尋ねている。優愛が言う。
「会計を、ちょっとだけ手伝って欲しいの」
そう言いながらも顔は横を向いたまま。山下がむっとして答える。
「それが人にものを頼む時の態度かしら?」
優愛がそれを聞いて同じくむっとした顔で山下を睨み返す。山下が言う。
「それより前の話を蒸し返すようで悪いのですが、神崎さんの男性を見下す態度、あれ、私許せないんですよ。やりたいなら女だけでやればいいでしょ? どうして男をそんなに馬鹿にして……」
そう言いつつ部屋の隅にいた優斗に気付き口が止まる。
(ん?)
じっと見つめられた優斗が少し戸惑う。山下が優斗に近付き目をぱちぱちさせながら言う。
「あの、あなた、お名前は……?」
突然尋ねられた優斗が答える。
「え、名前? 上杉優斗だけど……」
(優斗さん……)
山下は突然座っていた優斗の腕にしがみ付き、そして言った。
「優斗さんにお願いされたら、私、手伝ってもいいかな~」
(はあ!?)
しがみ付かれた優斗はもちろん、そこに居たメンバー全員が予想外の行動に出たおさげの女の子を驚いて見つめた。
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