第39話 約束の時

「緊張する・・・」

隣でガタガタ震える俺に、貴志は優しく微笑みながら俺の頭を撫でる。

「大丈夫だ。ずっと俺が隣にいる」

「それはわかっているんだけど・・」

撫でている手とは別の手で俺を引き寄せ抱きしめると、今度は優しく背中を摩る。

その間、ほんの少しだけ貴志のフェロモンが感じられて、俺は心地よさに貴志の胸におでこをすり寄せる。

ふと胸元の花に目が止まり、ふふッと笑った。

「似合ってる・・・」

ポツリと呟いた俺の声に、貴志は少しだけ体を離し、俺の頬に触れながら顔を上に向けると、真っ直ぐに俺を見つめる。

「そう言えば、どうして薔薇なんだ?」

そう問われて、俺は貴志の手に頬を擦りながら、貴志の目を見つめ返す。

「だって、俺達の出会いは薔薇だったから。そして、薔薇は5本・・・」

そう言いながら、貴志の胸元に視線を移し、小薔薇で束ねた小さなブーケを指で突く。

「俺も天音と出会えて良かった。俺の運命の人で最愛の人。心から愛している」

「僕も・・・。本当は6本にしたかったけど、日本の祝い事は奇数が基本だから、5本にしたんだ」

「そうだったのか・・・ならば、結婚式は6本の薔薇と、一本の桔梗を添えるのはどうだろうか?勿忘草もいいな」

「ふふっ、どれも季節が違うからブリザーにしておかなきゃね」

そんな会話をしている内にすっかり緊張が取れて、俺はもう大丈夫と貴志の両手を取る。

スタッフから出番だと声を掛けられ、俺は貴志の腕に自分の手を絡める。

その手に自分の手を添えた貴志はゆっくりと顔を傾け、そっとキスをした。

突然の事に驚いて貴志を見上げると、顔を赤らめながら背ける貴志の姿があった。

「くそ・・・我慢すれば良かった」

小さな声でぼやく貴志を見て、俺は小さな声を出して笑う。

思えば、貴志とキスを最後にしたのは俺が初めてのヒートになる前だ。それからはガラスに阻まれ、そのまま旅立った貴志とは6年も会えず、戻ってきてからはぎこちない雰囲気に阻まれていた。

一緒になると決めてからも、どこか遠慮をしているのか、それとも万が一の対策なのか、貴志からはされる事はなかった。

それをわかっていたから、俺もしなかった。

俺はそっと貴志の耳元に口を近づけ、囁く。

「終わったら沢山してください」

その囁きに驚いた表情で貴志が振り向くが、同時に扉が開き、中へと案内される。

目の端から顔を真っ赤にしている貴志の顔が見えて、笑いそうになるのを必死に耐えながら俺達は歩き始めた。


「いやぁ、おめでとう!2人のおかげでいろんな会社に伝手が出来たし、何より料理と酒が美味い」

片手にシャンパンを持ちながら、秀が声をかけてくる。

貴志と2人で挨拶回りしてへとへとだった俺には、救いの女神に見えた。

貴志はそれを感じてか、少し秀の側で休息してくれと、側を離れ義父の元へと歩いて行った。

「秀、少し顔が赤いけど大丈夫?」

「大丈夫。雰囲気に酔ってるだけだ。何か感慨深くてな」

「ぷっ、お父さんみたい」

「今まで2人を、特にお前を見守ってきたんだ。親友を超えて父親の気分だよ」

秀の返しに俺は声を出して笑う。

「秀、本当にありがとう。これからも何かと秀に頼るところはあると思うけど、俺ももっと強くなるから、ずっと見守っててくれる?」

「・・・・あぁ。もちろんだ」

秀はそう言いながら俺の頭にポンと手を置いて微笑んだ。


しばらく秀と話をしているとトイレに行きたくなって、付き添うか?と言う秀に大丈夫と答えて、1人会場を出てトイレへと向かう。

流石の有名ホテル、シックな造りで中は広い。女性トイレでも無いのに、化粧室みたいな空間もある。

俺は早々とトイレを済ますと、その化粧室みたいな所にある椅子に腰掛け、ため息を吐く。

それから目の前の鏡で、身なりを整え、ヨシっと勢いよく立つと背後から人の気配がして、体がビクッと強張る。

「すみません・・・」

俺は一言だけ言葉をかけてそそくさとその場を立ち去ろうとしたが、痛いくらい強い力で腕を掴まれ振り返ると、見覚えのない中年の男性と目が合う。

「あんたが、シンデレラオメガか?」

そう言葉を発した男性からはお酒の匂いが漂っていた。

「来賓の方ですか?」

恐る恐る尋ねると、男はニヤリと笑う。

その表情にゾッとして手を振り払おうとするが、更に強く掴まれる。

「お前、劣性らしいが、あんな金持ちを射止めるなんて、余程シモの世話が上手いのか?」

「何を言ってるんですか?離してください」

「なぁ、俺も相手してくれないか?金持ちを虜にするオメガが、どんな味をするのか試してみたんだよ」

ニタニタと笑いながら話す男に、恐怖心を感じて、携帯を取ろうとポケットに手を入れるが、すぐに手を振り払われ携帯を取られる。

男はその携帯を床に落とし、踏みつけると、何かをポケットから取り出し、俺の目の前に翳した途端、スプレーのような霧が顔にかかる。

その瞬間、心臓がドクンと大きく音を立てた。

これは・・・アルファのフェロモン・・・・?

必死に顔を拭うが、一度吸ってしまったフェロモンは鼻の奥へと届き、体が熱くなるのを感じる。

「これ、オメガの発情を促すアルファフェロモン。どうだ?あそこが疼くだろ?所詮、オメガはアルファのフェロモンには勝てない。一度発情しちまえば、誰にでも股を開く」

下品な声で笑いながら、崩れ落ちる俺を見下ろす。

俺は体の異様なまでの熱さと鳴り止まない心臓の大きな音に、呼吸が苦しくなり、片手を掴まれたまま、その場にうずくまる。

視界がぼやけている中、秀の姿を見た気がして俺は声を捻り出す。

「しゅう・・・たす・・・け・・・」

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