第35話 幸せな年明け
なかなか寝付けなかったせいか、昼前にはうとうとし始めて、結局、寝てしまった俺の部屋を大きなノック音が響く。
寝ぼけながら返事をすると、秀がドアを開け入ってきた。
「天音、新年だぞ!ほら、約束の人形焼き!」
明るい声に一瞬で目が覚めた俺は、差し出された包みを受け取り、袋の香ばしさと暖かさに袋を頬ずりする。
「秀、ありがとう。秀とコレがないと年明けた感じがしないんだよね」
「確かに。俺も今年は違和感だった」
笑いながらそう返す秀に相槌打ちながら、チラリと後ろを見る。
それに気付いたのか秀がため息を吐く。
「なんだよ。俺はもう用済みか?」
「ち、違うよ。ただ、一緒に来るって行ってたのに、来ないのかなって・・・」
「来てるぞ。ドアの向こうに」
そう言いながらドアを指差す秀に釣られて、俺もドアの方へ視線を向ける。
「ここまで来といて、あいつびびってるんだよ」
秀の声に反論するように、閉められたドアの向こうから大声が聞こえる。
「ビビってなどいない!心配なだけだ!」
その声に、俺は返事をする。
「貴志くん、匂いする?」
「・・・いや、感じない。だが・・・」
「俺は大丈夫だよ。きっとヒートは終わってる。疲れから熱が出てるだけだよ」
俺の返事にドアが荒々しく開いて、心配そうな表情で貴志が姿を表す。
「熱は高いのか?今からでも病院に行くか?」
質問攻めの貴志に俺と秀は笑う。
「大丈夫。今は微熱程度だから」
「そうそう。天音はいつも熱を出すとすぐ顔が真っ赤になって、涙目になるんだ。今は顔も赤く無いから、すぐに良くなる」
秀の言葉に安心したのか、貴志はそろりそろりと足を忍ばせ、秀の隣に座る。
俺は2人の顔を見ながらニコリと微笑む。
「2人とも明けましておめでとう。昨日のメール、本当に嬉しかった」
「毎年送ってるのに、感謝する事か?」
秀がぶっきらぼうに答えるが、俺は嬉しいとまた感謝を添えた。
「寂しかったんだ」
「どうして?」
「ほら、大晦日って遅くまで人が歩いてるでしょ?外から聞こえる笑い声とか聞いてて、明日は秀といけないのかぁとか考えてたら羨ましくて・・・どうしてもヒート中は部屋に缶詰でしょ?その間は、症状が落ち着くまで両親も部屋に入れないし、前だったらそれどころじゃないから気にならなかったけど、今はだいぶ症状が和らいできたから1人でいる空間が寂しくて・・・」
俺の弱音に2人は黙り込む。それに気付いて俺は明るい声をあげて、秀が持ってきた袋に手を入れる。
「いい匂い。秀、本当にありがとう。ほら、みんなで食べよう」
俺は一つずつ取って2人に渡すと、自分の口にも放り込む。
口の中に広がる甘さが、気持ちを和らげる。
「昔から好きだよな。いいか、貴志、あんこではなくカスタードがいいんだぞ?なっ、天音」
「そうそう。あんこ派もいるけど、俺は断然カスタード派」
「そうなのか・・・これは見た目は和菓子でも、中身は洋菓子が合うのか」
物珍しそうに手に持った人形焼を見つめながら、一口齧ると小さく甘いと呟いた。
「そうそう、聞いてくれよ。貴志のやつ、初詣が初めてとかで人の多さに驚いててさ、ちょっと目を離すと人混みに流されて迷子になるんだよ」
「迷子ではないっ!」
「あれはどう見ても迷子だろ?本当はもっと早くここに来る予定だったのに、すーぐ逸れるから探すのに時間かかってさ。体ばっか大きくなっても、お子ちゃまには変わりないな」
「あんなに人が多い所は初めてなんだ。今まで移動は常に車だし、前に行った遊園地はあんなに混んでいなかっただろう!?」
「そりゃそうだろ。あの時は貸切だったし、いるのは従業員と大勢の警護班だけだったからな」
秀の返にぐうの音も出ない貴志は眉を顰めながら、小さな声でぶつぶつと文句を言い始めた。
その間にも、秀は貴志のやらかし体験を話し続け、終始貴志を困らせていた。
俺はそんな2人の姿を見ながら、沢山笑った。
二時間近く経った頃、秀の携帯が鳴って上司だと呟いて部屋を出る。
すると、貴志がそっと手を差し伸べる。
「天音、俺、フェロモンのコンロロールを学んだだろう?」
「うん」
「フェロモンを出す事にはそれぞれ意味があるんだ。威嚇と発情の促しがよく知られているが、オメガを安心させる出し方もあるんだ」
「そうなの?」
「本来は番同士が互いに与え合う行為だが、番ってなくてもその方法はあるらしい。ただ、それを悪用する奴もいるから、そこは気をつけて欲しい」
「・・・わかった」
「それでだな・・・あの・・・今、天音にそれをやってもいいだろうか?」
「え・・?」
「安心させる事で体調が良くなる事もあるそうだ。早く天音に元気になって欲しいから、試させて欲しい。もちろん危険だと思ったらすぐ辞めるし、秀もすぐ近くにいる」
不安そうな表情で俺を見つめる貴志から、視線を手へと落とす。
それからそっと手を重ねて、また貴志に視線を戻すと嬉しそうな表情を浮かべていた。
貴志は重ねた手に、もう一つの手を重ねる。
すると、貴志の方から心地良い香りが漂ってくる。
ミントのような爽快感がする香りに混じって、心なしか暖かさを感じる。
その香りに包まれると、不思議と穏やかな気持ちになる。
久しぶりに触れた手、漂ってくる香り、優しく微笑む表情、真っ直ぐに俺を見つめる視線、全てが俺を愛おしいと訴えてくる。
そんな感覚の中、母の言葉が頭をよぎる。
満たされるとは、きっとこう言う事なんだと知らされる。
ほんの数分だけ続いた後、貴志は手を解く。それが、とても寂しく思えた。
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