第2話 ソラ


 ソラが僕の手を握った。


「目を閉じて。いい? 絶対目を開けたらダメだよ」


 まぶたを閉じると同時にふわっと、まるで重力が無くなったような感覚。ソラはまだ僕の手を握ったままに優しく語りかける。



――――


ふわっ


 まだ目をつむったままに、優しいぬくもり。


「そのまま、そのまま、」

「いつまで目を瞑ってればいいの?」

「私がいいって言うまでずっと」

「……」


ふわっ


 また何かが僕に触れた。ソラの言っていた、悲しい想いなのかな? と思った。でもなぜか心がじんわりと温かくなっていく感じがする。


ふわっ


 白い雲に触れているような感覚。


ふわっ


 まただ。


ふわっ


青空そら、私のこと覚えてる?」

 ソラの声。けれどソラは知らない女の子で……


ふわっ


 昔の記憶の断片がひとつひとつ蘇る。幼い頃の僕の姿が、幼い頃のソラと一緒にまぶたの裏に浮かんだ。


ふわっふわっ


 温かなぬくもりは僕を包み込んで、記憶が再生される。


――――


 そうだった。僕には姉がいたんだ。母さんからは幼い頃に事故で亡くなったと聞かされていた。当時僕は四歳で姉の記憶がおぼろげにしかうかばない。でも……


ふわっ


 頭の片隅に小さく息をしていた記憶が、命を授かったように再び呼び起こされる。


 姉と一緒に過ごした日々は確かに存在した。忘れていたのは僕だった。かけがえのない姉に支えられていたのだ。たった一人の姉に。

 孤独は悪くなかった。けれど、孤独の中で、心には小さな淋しさが芽吹き、それが次第に大きくなっていった。

 ソラは幻想なのだろうか。姉を失い、ひとりぼっちになった僕が創り出した幻想なのだろうか。


ふわっ


 姉の歌う子守唄は僕を夢の中に誘った。赤ん坊の頃、僕が泣き出すといつも決まって『青空あおぞら』という子守唄を歌ってくれた。その歌声はゆりかごのような優しいリズムを奏でていた。


ふわっ


 赤ん坊の僕はよくゲップをした。そんな僕に「青空そら、将来お笑い芸人になれるね」なんて言うものだから、母さんに怒られていた。


ふわっ


 姉は赤ん坊の僕を、よく、くすぐった。きゃっきゃっと笑う僕と一緒になって笑う。

「笑う門には福来たる、なんてね」

 本当は姉の心からの幸せそうな笑顔に安心して僕は笑っていたのだろう。


ふわっ ふわっ ふわっ


 姉との記憶が蘇る度に、閉じた瞳からは大粒の涙を零していた。



「もういいよ」


 ソラの声にゆっくりまぶたひらく。

 の中に僕たちはいた。地上には僕の住む田舎町いなかまちのパノラマ。先ほどまで晴れ渡った夏の空は、薄暗い雲に覆われ、雨を降らしていた。



「今日は青空そらに会えて良かったよ。学校サボってもいいことあったね! さあ、帰ろう。私はもう満足しました」

 ニコニコと話すソラは僕の手を強く握った。



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