2
私と運転手は別室に連れていかれた。
連れていかれたといっても一歩も動いていない。瞬きの間に、周囲が変化したのだ。薄暗く何もないままなのは先ほどまでと同じだが、ここには四方に壁がついていた。
そして、部屋の中央にはさっきの部屋にはいなかった小柄な女が立っている。少女はサイズが合っていない大きめの紺のセーラー服を着ていた。
『ようこそ、生者の世界からお越しの皆さま』
今度は白い人影が立っている。
『どうぞこちらに』と影は少し離れた場所に立つ我々に向かって、部屋の中央へ来るように手招きした。
『あなたは、人生に後悔はありませんか?』
白い影が、運転手に声をかけた。
「ええ、先ほども言いましたけどなんもありません」
『それではこちらをご覧ください』
白い影が言うと、薄暗い部屋に映像が大きく浮かび上がる。周囲の壁に投影されているのではなく、空中にぽっかりと浮かんでいた。
映像には、女が映っている。
「これは、女房……?」
『あんな酒飲みのギャンブル好きなんていつか勝手に野垂れ死ぬと思ってたのさ』
どうやら男の妻が友人たちに、男が事故を起こした話をしているようだ。
映像の中で妻は『保険金をかけていたから、いつ死んだっていい』とカラカラと笑っている。
「おい、保険金ってなんだ! こいつ、はなから金目当てだったのか! ふざけやがって!」
浮かびあがる画面に掴みかかろうとするも、男の手は映像をすり抜けた。
「俺をあっちに連れて行け!」
『それはできません。こちらから
男は白い影にも食ってかかろうとしているが、影は実体がないようで男の腕はスカスカと空を切る。
「嘘つけ! さっきの扉に入ったら行けるんだろ? 早く出せ!」
『この扉ですか?』
スッと白い影の横に黒の影が現れ、黒い扉を出現させる。
「開けろ!」
『では、死を後悔しているのですか?』
「そうだよ、あんなに馬鹿にされて黙ってる奴があるか!」
『後悔しているのでしたら、こちらへ』
黒の扉が開き、男は足を踏み鳴らしながら光の中へと消えていった。
扉が音もなく閉まると、無音の世界に包まれる。
残ったのは、少女と私だけ。
そして次に指名されたのは少女だった。
「お母さんと、いたくないから。これでいいです」
少女はうなだれたまま呟く。
白い影は、少女にも映像を見せた。そこに映し出されたのは、未来の「少女が生きた場合」の姿だった。
映像の中の少女は、働きながら勉強をし、人に囲まれ幸せそうに笑っていた。
「お母さん、は?」
じっと映像を見ていた少女が白い影に尋ねる。
『あなたの未来にはいないようです』
「そう……」
少女はまた下を向いた。
「でも、お母さんがいた世界には戻りたくないです」
顔を上げ、白い影に向かって強い口調で言い放つ。
『わかりました。では後悔はないのですね』
力強くうなづいた少女に、白い影が扉を出現させた。黒い影が出したものと同じく豪奢な扉だが、色は白く扉のノブが黒とは逆の位置についている。
ゆっくりと扉が手前に開く。
その先の光は黒の扉より薄く、中の様子がよく見えた。扉の向こうには空のような青い空間が広がり、白い階段が下に伸びている。
「……待って」
扉に向かっていた少女が足を止める。
「これ、もしかして、生き返るんじゃないの?」
『ええ、そうです。こちらは生者の世界への扉です』
「え?」
私は思わず声を上げる。
では、前の人たちが入っていったのは――、と考えながら固く閉ざされた黒い扉を見た。
『こちらは再生の扉です』
黒い影が応える。
再生――、と言葉を繰り返すと、黒い影が『そちらの解釈で〈死〉ということです』という。
――と、いうことは「生きたい」と願った人たちを死なせて、「死にたい」人を生かすと?
『いいえ。選別の判断基準は、後悔の有無です』
私は言葉をまったく発していないというのに、白と黒の影たちは声を揃えて私の疑問に応えてくる。
『生者の世界は修行の場。高みを目指す者が次の修行の場へと行くことになります』
『つまり、更なる高みを求めない後悔のない生は、修行者としてまだ未熟であるため、もう一度生者の世界で修行するよう導いております』
開け放たれた白の扉に手を向けながら白い影がいう。
次いで黒い影が『再生の扉を超えた方は、審判を受けたのち次の修行地へと向かいます』と続けた。
つまるところ、さっきの人たちは死んで別の世界へ行き、この子は生き残ってもとの世界へ――。
「冗談じゃないわ! 私は死にたいの! 絶対に嫌、そっちの扉を開けて!」
少女が大声を張り上げる。
『あなたは修行者としてまだ足りておりません』
『なにとぞ、後悔のある人生を』
白と黒の影が少女ににじり寄るのを見ていると、影の隙間から少女とばちりと目が合った。
そこからは、あっという間だった。
彼女は影の間を素早くすり抜けて、こちらに駆けてきたかと思うと、私の胸ぐらを両手でぐっと掴む。そして影に向かって思いっきり私を投げ飛ばしたのだ。
私の体は影にぶつかることなく、スカッと通り抜ける。そして後ろの開きっぱなしだった白い扉へと向かっていった。
いわゆる霊体という存在だから軽いのか、もしくは火事場の馬鹿力というものか。どちらにせよ、体躯の小さな少女が大人を投げ飛ばす、その度胸は大したものだ――と感心するしかなく。
私の体は、扉の中の青い空へと落ちていった。
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