7日目


「瀬名、くん…………」

「本当は、最期まで言う気はなかったんだけど」



 でも、あまりにも君が頑固だから、と困ったような彼の微笑みは、二年前から何ら変わっていない。

 まるで最初に会った日の様に乾いた喉は、何も言うことができなかった。



「なんで、…………どうして。私のことを覚えていたなら、それなら最初から、」

「嫌だったんだ」



 泣いている赤子をあやすような優しい声で、彼は私の言葉を遮る。

 ふわりと私の頭を撫でたその手は、『あの日』と変わらず温かく感じた。



「君には、僕なんかのことは忘れて、ただ幸せに生きてほしかった」



 生きてほしい、という言葉に思考が止まり、頭が真っ白になる。

 ————思えば、所々違和感はあったのだ。


『君は元気にならないといけないんだから』

『でも君は、これからもっと遠いところに行くことができるんだよ』


 海に行くだけなのに、妙に私の健康に拘る理由。あと三日で死ぬ私に、『これから』の話をしたわけ。

 そして————死神になってまで叶えたかった、『生』の世界に干渉する、『願い事』。


 全てのピースが、ハマった。



「君は、僕の『願い事』が叶えられる、最後の魂で」



 嫌な予感が…………『もしかして』が、確信に変わる。



「————そして僕は、君の病気を治すことを『願い事』に死神になったんだ」



 三つ目の願い事、明日の夜に聞きに来るよ。

 そう言って、死神は呆然とする私を置いて夜の闇に溶けていくように消えていった。






 ◇◇◇





 死神が現れてから七日目の、午後十一時三十分。

 今日も一日のギリギリに現れたその死神は、もうフードは被っていない。



「三つ目の『願い事』は、もう決まった?」

「…………『死神になる』のは?」

「なったとして、『願い事』を叶えるのは無理だよ。三つの『願い事』と引き換えに、『生』に干渉する――――その過程でペナルティとして発生するのが『死神』。すでに二つの『願い事』を叶えている君には無理だ。所詮死神といっても、ただ『死』の管轄に入るだけ。『願い事』がなければ、意味なんてない」

「そう」



 彼には今、私が絶望しているように見えるのだろうか。

 幼馴染を助けることもできず、かといって死神になっても何も得ることはできない、ただの無力な子供だと。



「大丈夫。君は、君だけは、僕が絶対に助けるから」

「―—――認めない」



 私があれから何もせずただぼんやりと今を待っていたと思ったら、大間違いだ。



「私は、認めない。私の三つ目の『願い事』は――――『貴方が生きる』こと」

「は…………だから、それは無理なんだよ」



 まるで聞き分けの悪い子供を諭すような彼を、私は睨みつける。

 君の『願い事』は叶わない、と断定した口調にイラっとした私は、「そもそも!」と大声で言い放った。



「貴方の『願い事』だって、叶えてくれるかわかんないでしょ!? 『生』に干渉することなんて、神様だとしても融通利くかわかんないじゃない! 何が対価よ! 神様なんてくそくらえだわ!」

「くそ…………ちょっと紗凪、落ち着いて、」

「これが落ち着いてなんていられるわけないでしょ! バカ!」

「バカ!?」



 どこかショックを受けている様子の死神を置いて、私はふんっと息を鳴らす。

 少しして立ち直った様子のその死神に、私は「でもね!」と続いて口を開いた。



「私の、『貴方が生きる』って願い事は叶うのよ!」

「何を言って…………だから、君には僕を助けることはできない。『生』に干渉するには、」

「私は! 瀬名くんじゃなくて! 『死神』のあなたを助けろって言ってんのよ!」



 ねえ! と声を張り上げた私を、今度は逆に彼が呆然とした目で見た。



「神様だか知らないけど、どっかで聞いてんでしょ!? 死神の魂は『死』の管轄にいるって、さっき言質はとったのよ! つまりこれは『死』への干渉だから、『願い事』で叶えることができるの!」



 喉に血が滲む。

 けれどこれだけは絶対に言っておかなければと思って、「瀬名くん!」と言って幼馴染の鼻先に指を突き付けた。



「いーい!? 私は確証のない貴方の『願い事』と違って、三つの『願い事』を叶えてもらうっていう検証はもうされてる! 私の『願い事』は絶対に叶うの!!」



 酸素が足りずに、肩で息をする。

 死神と話す間ずっと立っていたけれど、とうとう限界が来たらしい。


 ベッドに座りながらちらりと時計を見上げると、十一時五十八分を針は指している。



「―—――死ぬときって、午前零時になったら静かに眠りにつくんだっけ」

「違う! 君は、君は生きるべき人間で…………だから僕は『願い事』に、」

「これで、やっと死ねる」



 駄目だ、と顔を歪める幼馴染に、私はそっと微笑みかける。



「…………って、前の私なら言ってたかもしれない」



 あと、一分。



「貴方のせいだよ。電車の揺れを知った。海の冷たさを知った。…………大切な人と話せる奇跡を、知った。―—――まだ生きたいって、思っちゃった」

「紗凪っ、」



 あと、三十秒。

 頬を、生ぬるい何かが伝う。



「でも、私は死ぬかもしれない。だけど…………だけどっ!」



 ぐちゃぐちゃになった顔なのは自覚していて、自分の体は意識を手放すことを求めているのはわかっていて、けれど、―—――それでもこれだけは、伝えなくてはならない。



「貴方は生きなさい! 今までできなかった分の親孝行をして、普通に友達を作って、彼女も作って! 結婚して、子供も! みんなに見守られながら最期を迎えなさい!! それでっ、」



 あと、十秒。

 霞んでいく視界に抗い、手を伸ばす。



「来世でも、来来世でもいい! だから、だからまた————」



 あと、五秒。



「―—――私を、迎えに来てよ!」



 限界が訪れる寸前で、死神の手を、掴む。

 掴んだその手は、いつの日かのように温かいような気がした。


 ――――そして、短針と長針が重なる。


 午前零時、都市部のある病室にて。

 大声が聞こえて駆け付けた看護師は、静かに眠る少女と、夜風に靡くカーテンを見て首を傾げた。





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