6日目

「それは本当に…………無理なんだ」

「…………なんで」



 見上げた私の視界には、死神が居て。

 けれどその死神の視界は俯かれていて、私は入っていなかった。



「私、本当になんでもっ、なんでもするから! だからっ」

「―—――紗凪? 起きてる?」

「…………お母さん」



 音を立てて開かれた白い扉に、一瞬意識がそれる。

 その瞬間消えていく死神に、私は思わず手を伸ばした。



「あっ」

「紗凪? どうかした?」

「…………なんでもない。ノックしてから入って」



 頭の中がごちゃごちゃで、考えることができない。

 けれども今自分がやるべきことだけは何とか理解して、努めて冷静にふるまった。



「ていうか、なんで私のところになんか来るの?…………こないでよ」

「紗凪」

「放っておいて」

「紗凪」

「放っておいてよ!!」



 喉が痛いな、と考える。

 けれど、本当に痛いのは喉ではないことは自分でもとっくにわかっていた。



(痛い)



 ずきずきと、痛む。

 それは薬の副作用による頭の痛みでもなくて、昨日の疲れによる足の痛みでもなくて、―—――ただ。



『そんな顔するなら、素直になればいいのになって思ったんだよ』



 そんな顔ってどんな顔だって、あの時は返したけれど。

 母の顔を見たくなくてそらした視線の先にあった窓に、泣きそうな顔をしている自分が見えた。



(胸、痛いな)



 素直になるなんて、できない。

 だって私には、そんな資格はないのだから。



「……………また数日たったら、様子を見に来るわね」



 窓に映った自分の顔は、もう見ないようにした。






 ◇◇◇







(…………昨日、結局来なかったな)




 六日目の夜、午後十時。

 消灯時間にはまだ一時間あるとはいえ、いつもは朝に訪れるはずの死神は来ていない。


 もしかして最期最終日まで来ないのだろうか、と考えながらベッドに座り布団をかけた後、それはないと小さく首を振る。



「だって、願い事があと一つ残ってる」

「そうだね」

「…………来たんだ」



 いつも通り唐突に表れた死神だけれど、それに驚く気力は今の私にはない。

 それは相手も同じようで、ただ感情を感じさせない声音で「三つ目の願い事が叶えられない理由だけど」と前置きして口を開いた。



「三つの『願い事』では現実世界こちら側に対する————『生』のことには、干渉できないからだ」



 最初にも話したと思うけど、と言って、死神は私の隣に座る。

 病室に一台ずつ置かれているその椅子が死神には少し小さいのだと、私は初めて気づいた。



「確かに三つの『願い事』でも、前の二つの願い事のような比較的簡単なことや、死神の管轄内にある『死』への干渉はできる。ただ、君たち普通の人間は『生』の管轄だ。それは仮死状態だとしても同じ。そして―—――『生』に干渉できるのは、あくまで神だけ」



 そう言った死神の声は、やっぱり何の感情も感じさせないくらいいつも通りで。

 それにどうしようもなく苛立ってしまった私は、掛けられていた布団の端を握りしめた。



「…………私、生きていても周りに迷惑しかかけない。なら、せめて自分が死んで良かったことを、一つでもいいから増やしたい」



 そんなのも許されないのかと。

 言外に私がそう言っているのを感じたのだろう、死神は一瞬唇を嚙み締めたけれど――――何かに気づいたように、息を吸う。



「もしかして、君がお母さんに辛く当たってるのもそれが理由?」

「…………どこから見てたの?」

「全部、かな」



 全部ということは、あの私のとても人に見せられない顔も見られていたわけで。

 それを理解した瞬間、何かが壊れた様に言葉が口をついて出た。



「そうよ。こんな娘、いなくてよかったって。やっと死んでくれて清々したって、死んでくれてよかったって、思ってほしくて」

「なんで君はっ!」



 一瞬声を荒げた死神に驚いて肩を揺らす。

 それにはっとした様子を見せると、そいつは息を吐きながら囁くように言葉を紡いだ。



「君が生きることが、お母さんにとって嬉しいんじゃないかな」

「そんなわけない」



 そんなのは全て綺麗事なんてのは、もうとっくに知っている。

 私の生命維持のための治療費はバカにならなくて。


 そして、私なんかのためにお母さんがパートのシフトを増やして一生懸命働いているのも、知っている。



「お母さんもそう。瀬名くんもそう。私、生きている間、周りに迷惑しかかけてこなかった。なら、最期ぐらい、」



 こんなことを言っても何も変わらないというのは、わかっている。



「最期ぐらい大切な人を助けたいって、思うじゃない…………!」



 けれど、もう止めることができなかった。


 ――――まるで子供の様に感情を剥き出しにして叫んでも、死神はただ決められた判断を下すけれど。



「それは、無理なんだ」

「じゃあ…………じゃあ、これが『叶えられない願い事』になるなら、神を動かす『願い事』になるなら、なんで私は死神にならなかったの? なんで貴方は、教えてくれなかったの?」



 どれだけ滑稽で愚かでいい。

 もしそれで、大切な人を助けることができるのなら。



「私、瀬名くんのためなら何でもできる。どんなことだってする。だから、だから私も死神に――――」



 その瞬間、口元に指があてられる。

 驚いて言葉がでなくなった私に、その死神は続きを遮るように言った。



「わかってたよ。———優しい君はきっとそう言うとわかっていたから、僕は君にその選択肢を選ばせなかったんだ」



 その瞬間、ずっと低くて冷たかった死神の声が、変わった。


 まるで、冬の雪が雪解け水になるように。

 まるで、しぼんでいた蕾が花開くように。



「実は僕、一つだけ君に嘘を吐いたんだ」



 風が強くなってきたのか、ザアっと木々が揺れる音がする。

 けれどそれらが聞こえなくなるくらい、私は聞き覚えのある声に動揺していた。


『彼』を呼んだ言葉に反応して、それでいて私より年上で。

 口元にはほくろがあって、そしてフードを頑なにとらない理由がある人。



「僕は、『君を迎えに来た』んじゃなくて、『君を助けに来て』、」



 一際大きな夜風が吹き、カーテンが揺れる。



「そして――――『僕自身を殺しに来た』んだ」



 そして風と共にローブが捲れたその下に、穏やかな顔をした『死神』を見る。

 ————紗凪、と私の名前を誰よりも優しく呼ぶその声を、私はずっと前から知っていた。



「ごめんね。これは僕が君に吐いた、最初で最後の一つの嘘だ」



 記憶よりも少し大人びた顔をしたその人だったものは、自身を『死神』だと名乗る。

 ————瀬名くん、と呟いた声は、小さく掠れて空気に溶けた。





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