5日目

「驚かないのね」

「…………海だけじゃなく、場所を指定したから。何かあるのかなとは思っていた」

「そう」



 平然とした様子の死神の返事に相槌を打ち、それで、と言葉を続ける。

 雨音だけが響くこの空間で、死神はただ私の話に耳を傾けていた。



「前に来たのは、二年前。ちょうど、私の病気がわかった時だった。余命は長くて三年って言われてて。でも私、いきなり余命とか言われても意味わかんなくて」



 雷が、どこか遠くで鳴る音が聞こえる。



「だから現実逃避として、名前の由来になった海に行きたいって言ったの。それで来たのがここ。でも、行ったのは私とお母さんだけじゃなくて、私の幼馴染も一緒で」



 ただ、雨と雷の音が響き渡る。

 今思えば『あの日』も――――そして死神こいつと会ったのもすべて同じような天気だったな、と思いながら、私は話を続けた。



「幼馴染って言っても、その人は私より二個上で、一人っ子の私にとってお兄ちゃんみたいで。よく遊んでくれてた」



 その人も一人っ子だったから、彼も私のことを妹のように思っていたのではないだろうか。


 いつもは優しくて、自分のおやつとかも譲ってくれたりして。

 けれど、悪いことをしたら、きちんと叱ってくれる人でもあって。



『大人の人たちはすぐ治るって言ってたのに…………全然、治んない。みんな嘘ばっか』

『…………そうだね。世の中は、きっと嘘ばかりだ。けど僕は、絶対に紗凪に嘘はつかないと約束するよ』



 そして、病気に関して隠されることばかりで不信に陥りかけた私に、絶対に嘘はつかないと約束してくれた唯一の人だった。



「でも、私の病気がわかって一番動揺してた人だと思う。なんで紗凪が、って、ずっと言ってた。けど、海にきて私と遊んでたら元気が出てきて」



 そして――――雨が降り、雷が鳴りやまない日は、決まって『あの日』の出来事を夢に見る。



「それで、今日みたいに。…………本当に同じみたいに、途中で雨が降ってきて。どこか雨宿りできる場所に行こうって話してたんだけど、その日は休日で人も多かったから、お母さんとはぐれて」



 でも、せめて私たちだけでもはぐれないように手を繋ごう、と握ってくれた幼馴染の手は、温かかった。



「それで、私は雨宿りできる場所―—――ここにお母さんがいるのが見えて、走って。…………でも、気づかなかった」



『紗凪。勝手にどっか行かないで』

『わかってる! あ、お母さん!』

『紗凪―—――危ない!!』



 それから先は、映画を見ているかのようだった。

 雨音と雷の音で何も聞こえなかった私に、やっと眼前に迫るクラクションの音が聞こえて。

 息を呑んだ瞬間背中に衝撃が来て、次に目を開けると病室の真っ白な天井があった。



『紗凪、落ち着いて聞いて。あの子は貴方を助けてくれて、今―—――』



「仮死状態って、言うんだって。起きることも喋ることもなく、ただ息をしているだけ。…………それが、私の幼馴染」



 なんでとか、そんなわかりきった答えを聞くほど、その時の私は幼くなくて。

 けれどその事実を飲み込めるほど、その時の私は大人ではなかった。


 そしてそれは――――きっと、今も。



「なんでって、思うじゃない。…………私なんて、どうせ病気で――――今みたいに病気で死んじゃうんだから、私が『ああなる』べきだった!」



 だから私は、最期くらいはあの人のためになりたい。

 そう願うのは、私の勝手な独りよがりだろうか。



「三つ目の『願い事』よ。その人を、私の幼馴染を————瀬名くんを、助けて」



 私がじっと目の前の死神を見つめて言うと、その人はローブ越しに同じように見返したように見えたけれど――――不意に顔をそらす。



「………それは無理だ」



 窓に叩き付ける雨の音は、もう聞こえなかった。






 ◇◇◇







 ――――その姿を見た時、どれほど驚いたことだろう。



 どうして、と狼狽える彼女に「また明日説明する。雨が止んでいるうちに帰ろう」と言って落ち着かせ、電車に乗せて。

 話している間に日没間際になっていたこともあり、座ってすぐに眠ってしまった彼女の寝顔をじっと見つめた。


 じっと彼女を見ていると、死神になった日のことを――――彼女を『助ける』という選択をした日のことをふと思い出す。



『お、今回の子は若いなー』



 そう言って唐突に表れた人らしきものは、自らのことを『死神』と名乗り。

 けれどそう言われて戸惑う自分に、その死神は放つ言葉とは正反対に快活に笑いかけた。



『君はあと一週間で死ぬんだ。その前に、君の三つの『願い事』を叶えるよ』



 ローブにあるフードを被ろうともしないその死神は、自分より三つほど年上に見える。

 大学生の遊びだろうか、とじっと見つめると、『やっぱり信じないかー』と笑った死神は、突然僕の頭を撫でまわした。



『そうだよな、いきなり死ぬとか言われて、怖いよなー』

『いえ、それはいいんですけど』



 その言葉を聞いて、『ええ』とどこかオーバーリアクションで死神が驚く。

 ただ、と言葉を続けると、その死神は興味深そうに黙った。



『守りたい人が、いて。まだ死ぬわけには、いかないんです』



 その言葉を聞いて、どこかおどけた雰囲気だった死神が、真剣味を帯びた顔になる。

 そうだよなー、と誰に聞かせるまでもなく呟いた死神は、どこか遠くを見つめていた。



『―—――大切な人は守りたいよな。それが、自分の力じゃどうにもできないなら、尚更』

『…………はい』

『ただ、それは無理だ。俺ら死神が叶えることができる世界への干渉は死神の管轄内にある『死』だけであって、『生』のほうには干渉できない』

『……』

『…………ただな。どうしても叶えたい『願い事』を一つだけ叶える方法がある。自分が蘇りたいとか、そういうのは駄目だが…………『生』に干渉できる、三つの『願い事』でも叶えられないものを、叶える方法。————神を動かす、唯一の対価が』



 これはでかい独り言なんだけどさ、と聞こえた言葉に、小さく頷く。

 それに『ありがとう』と言った死神は、微笑みながら話し始めた。



『俺、年が離れた体が弱い弟がいてさ。病気ってわけじゃないんだけど、外で思いきり遊ぶこともできなくて』



 ふと顔を上げた瞬間―—――その弟のことを話す死神に、目を見開く。



『でも俺、学校の友達ばっかで、全然あいつに構ってやれなくて。バカだよなー、俺。…………もっと、遊んでやればよかった。一緒にいればよかった』



 そのたった一人の兄弟のことを語る死神の目は、切なくもとても優しそうで。

 思わず目を奪われた僕にも柔らかく微笑みかけた後、その死神は『だからさ、』と続けて口を開いた。



『俺は、せめてアイツがこれからの人生で俺以外の奴と遊べるように、弟を健康な体にしてくださいって、頼むつもりなんだ。…………だってさ、』



 眩しい朝日が窓から差し込み、元々色素が薄い死神の髪を眩く照らす。



『―—――最期ぐらい、兄らしいことしてーだろ?』



 そう言ったその死神を見て、何とも言えない気持ちが胸に込み上げてきて。

 けれどそれを言い表せずに俯いた自分を、死神は無理矢理前を向かせた。



『なあ。お前は、『守る』を『助ける』に変える覚悟はあるか? 傍にいるんじゃない、例え見守れなくても、報われなくても、その人を助けるって―—――死神になる、覚悟は』

『…………はい』



 これまでの話の流れから、なんとなく分かっていた。

 三つの『願い事』でも叶えられない願いを叶える一つのその方法が、『死神になる』ということ。



『そうか。じゃあ、お前の願いを言え』

『――……僕は、』



 そうして自身の願いを口にしたとき、彼は『眩しいな』と目を細めながら言って、僕に軽くデコピンをした。






(…………だから、君とはもう会うつもりはなかったんだよ)



「―—――ん、ここ…………病室?」

「おはよう。ご名答だ」



 フードを深く被り直し、少し声音を変える。

 今何時、とどこかまだ眠そうな声を出した彼女に、僕は「次の日の午前七時だよ」と答えた。



「あれ、私…………どうやって帰ってきたんだっけ」

「電車までは意識があったようだけど、大分疲れていたようだったから。僕が着ている、『生』の人間からは見えなくするローブを被せて運ばせてもらったよ」



 そう説明すると、ぼんやりとした返事が返ってくる。

 それに苦笑すると、ようやく意識が浮上してきた彼女が目を見開くが、それを小さく手で制した。



「君の『願い事』は分かった。けど、」



 けれどそんな制止も聞かず「お願い!」と叫んだ彼女は、見たことがない顔をしていて。

 思わず何も言えなくなった瞬間、彼女は必死な顔で僕を見上げた。


 そしてその顔それが――――なぜか、二年前の自分と、重なる。



『幼馴染の病気を、治してほしい』

「瀬名くんを、助けてほしいの。…………なんでも、するから」



 その真っ直ぐすぎる瞳を、見ることができない。

 ああ、これは確かに。



(―—――眩しいな)



 昔、自分の担当だった死神の言葉が、今なんとなくわかった気がする。

 けれどその気持ちがわかった今、―—――そして、弟のことを語っていた彼に対する気持ちがわかった今、無性にあの死神にデコピンをくらわせたくなった。






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