3日目

「え?」



 唐突に放たれた言葉に絶句する。

 何も声を発することができない私に、そいつは笑うこともせず口を開いた。



「正確には少し違うけど。『元々人間だった』のが、僕たち死神」

「じゃあ、私も死神になるの?」

「いや、君はもうなれない」



 とりあえず帰ろう、声が出てるよ、と死神に促される。

 早朝で誰かいる可能性は低いものの、こんなところ誰かに見られたらたまったものじゃない。


 そう考えて死神が取ってくれたココアを急いで受け取り、車椅子の向きを変える。

 キュッ、と小さく鳴った音を背景音に、死神の通る声が耳に入った。



「死神になる条件は、全部で三つ。まず一つ目は、『死ぬ予定がある』ということ。さっき、『元々人間だった』って言ってたよね。つまり、僕たちは死ぬ…………天界に行く前に死神になるってこと。それでどうして死神になるっていうのは三つ目の条件に繋がるね」



 ただ、車椅子のタイヤが回る音だけが聞こえる。

 やがて病室に着いてベッドにゆっくり座ると、死神も隣にあった椅子に腰掛けた。



「そして、二つ目の条件。『二十歳以下の子供であること』」



 二十歳以下の子供。

 つまりこの死神も、私もそう変わらない年齢————もしかすると、年下なのかもしれないということ。



「三つ目。『三つの願い事で叶えることはできない願い事があること』。君が今その状況にある通り、人は死ぬ前に死神によって三つの『願い事』を叶えることができる」

「それは聞いたけど」



でも、と言葉を続けようとした私を見て、死神はそっと口に手を当てる。



「けどそれは死神にできることだけだから、できないことも多い。けれど————ペナルティがあっても死神になってもいいという人は、そんな願いも叶えることが――――神を動かすことができるんだ」

「…………あなたも、どうしても叶えたい『願い事』があったってこと?」

「それは内緒。代わりに、見た感じ君が気になっているらしいことに答えよう。僕は、生きていたら君より年上だよ」



 まあ、死神に年齢なんてないけど、と笑えないジョークを言ったそいつは、ふうと息をつく。

 小さく拳を握りしめる私をじっと見たあと、死神は不意に口を開いた。



「他に質問があるなら聞くけど」

「…………じゃあ、一つ」

「どーぞ」



 これを聞くには、少し勇気がいる。

 死神について聞く話は————どこか、入ってはいけない場所に入る危うさを感じるから。


 一瞬目を閉じ、覚悟を決めて口を開く。



「その死神になって叶えられる『願い事』は、いつ叶うの?」

「―—――魂を、百個集めたら」



(…………魂を百個集めるって)



 つまり、死ぬ間際の人の前に立ち会い、『願い事』を叶え、そして命を—————



「そんなっ」

「だから、『ペナルティ』なんだよ。神を動かすのはあくまで『対価』だけ」



 まるで、小さい子に諭すようにその死神は言う。

 その響きはとても優しくて、何故かどうしようもなく泣きたくなった。



「それでも叶えたいと思う『願い事』がある人だけが、死神になることができるんだ」






 ◇◇◇







 今日は色々と話しすぎたかな、ゆっくり休んで。



 そう言ってまた死神は姿を消したけれど、目は冴え切っていて。

 眠れるはずがないでしょ、と呟いた言葉に返事は来なくて、それが余計に胸に穴が開いたみたいだった。


 それから朝に看護師さんが来てご飯を食べて、診察をしてもらって、入浴をして。

 消灯の時間になっても襲ってこない眠気はしばらく経っても来る気配はなく、私は結局諦めて、音をたてないように気を付けながら自身の病室をそっと出た。



(…………夜更かしは体に悪いから、ってお医者さんたちは言うけれど)



 どうせ一週間後…………もう一週間を切るか、もうすぐ死ぬ体だしいいかと思ってしまう。

 どうやら私は知らないうちに、あのブラックジョークを言う死神に染まってきたらしい。


 ――――夏とはいえ人気がない夜は、少しひんやりとしている。

 かすかな蛍光灯の明かりを頼りに、私は目的の場所までと速足で歩いた。



「まったく、こういうときに死神あいつがいればいいのに」



 そう悪態をついてみるも、やっぱりなにも返事は返ってこない。

 そうこうしているうちに目的地までついていて、私はゆっくりと車いすを止めた。


 小さくノックをする。…………返事は、返ってこないけれど。



「入るね」



 廊下より静かな気がするその病室の主に、断りを入れてから部屋に入る。

 カタ、とわずかな音を立てて扉がきちんとしまったのを確認してから、私はそっとベッドの隣へと移動した。


 月明かりに照らされたその人に向かい、私は小さく口を開く。



「―—――あのね。最近、変な死神を名乗るやつが居て。私、一週間以内に死ぬんだって」



 ただ、呼吸器から漏れる微かな息の音だけが聞こえる。

 よく目を凝らさないと見えない口元のほくろは、水蒸気でほとんど見えなくなっていた。



「だから私、日記を書くことにしたの。―—――これは、私が死ぬまでの一週間の物語。起きたら読んで、きっと飽きない。こんな変な話、どこにもないよ」



 淡々と主に注がれる点滴が、また一粒落ちていく。



「だから、だからさ」



 行儀よく体の上で組まれてるその手を、ぎゅっと握りしめる。

 冷たいのか温かいのかわからないそれに、私は自身の頭を押し付けた。



「―—―――早く目を覚ましてよ、瀬名くん」

「呼んだ?」

「きゃあああっ!」

「もうその反応も慣れてきたよ」



 病院では静かにね、と指を口元にあてた死神に、私は目を大きく見開く。

 なんでと呟いた声が聞こえたらしく、そいつはにこりと微笑んだ。



「日付、変わったから」

「え?」

「ほら、十二時ちょうど。君寝てなかったみたいだし」



 私が驚いて時計に目を移すと、確かに長針と短針が重なっているのが見える。

 消灯時間は十一時で、確かにしばらくたってから移動したけれど、もうそんなに時間は過ぎていたのかと驚いた。



「さあ、願い事はあるかい?」

「…………ある」



 おどけた様にそういった死神に、ちらりと隣のベッドを一瞥してから頷く。

 それに少し驚いた様子の死神に、私は唾を少し飲みこんでから口を開いた。



「私を、海に連れてってほしいの」







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