2日目

 そう言われた言葉に、小さく息を呑む。先程までのふざけた笑みをなくしたその死神は、次の瞬間ゆっくりと口を開いた。



「…………と、言いたいところだけど」



 そしてまた笑い、私の肩に手を置く。



「まず、君は寝よっか」

「は? いやなに言って、」

「午前四時…………もう四時半か。良い子は寝なきゃ。それと僕、普通の人には見えないからさ。誰かに喋ってるところが見られたら、君が変な人になるよ」

「……………」



 何もいない空間に話しかける自分を思わず想像し黙り込む。

 そんな私を見て、死神はあははっと無邪気に笑った。



「あ、また笑った」

「いつも笑ってるってば」

「そうだけど、そうじゃなくて」



 上手く言いたいことが言えずに、口を開けたり閉じたりする。

 けれど結局納得する言葉が出なくて、私は諦めて小さくため息を吐いた。



「とにかく、死神について話すんでしょ? 私は起きられるから、早く————」

「じゃ、おやすみ」



 仕切り直しと口を開くと、不意に視界が真っ暗になる。


 ひんやりと目に当てられているそれが死神の手だと気づいた時には、もう意識はなくなっていた。





 ◇◇◇






 コンコン、と控えめにされたノックの音で、不意に目が覚める。



紗凪さな。起こしちゃった?」

「別に」

「体調はどう?」

「平気」



 聞かれた問いに対して端的に言葉を返す。

 そっか、と目を伏せて微笑んだその女性に目を向けないよう、私は外へと視線を移した。



「————お母さんこそ、平気なの。お金、とか」

「私は大丈夫よ。子供はそんな心配してないで早く治しなさい。大切な一人娘に使わないお金なんて、いつ使うの」



 そう言って今日も何でもなさそうに笑う母は、前に来た時よりも少しやつれているように見えた。


 うちは、母子家庭だ。


 父は私が生まれてすぐに他界し、母は女手一つで今―—――私が十六歳になるまで育ててくれた。

 昔は「大きくなったらたくさん働いてお母さんに恩返しするんだ」と言っていたのに、今はこのざま。


 小さく自嘲交じりにため息を吐くと、不意に暖かな体温が私の手を包み込んだ。



「紗凪。私は何よりも紗凪のことが大事よ。何があっても、ずっと」

「…………ほっといて」

「…………また来るわね」



 ごめんね、とどこか困ったように――――最初から最後まで笑みを崩さない母に、唇を嚙む。

 花に水を入れ着替えを用意して出て行った母は、やっぱり笑顔を浮かべたままだった。



(そんな顔をさせたいわけじゃ、ないのに)



 そんな、哀しそうに笑わないでほしい。

 ごめんねなんて、言わないでほしい。


 私はただ――――



「おはよう」

「きゃあああっ!」

「会って早々悲鳴を上げるなんてひどいなあ。まるでお化けに遭遇したみたいじゃないか」



 視界の端に急に飛び出てきた全身ローブに、思わず悲鳴を上げる。

 反射的に視線を移したアナログ時計は、また一秒と針を進めていた。


 午前五時。

 母にあったのが午後三時だったので、あれからずいぶん寝ていたらしい。

 そう考えながら隣にいる死神をじっと見て、やはり夢ではなかったのだと安心のような嫌悪のような複雑な感情を覚えた。


 まあ死神だからお化けとそう大差ないか、と一人で笑っているそいつに、私はそっとため息をつく。

 けれど何も面白くない冗談かわからないものを笑っていた死神は、ふと私のほうをじっと見つめてきた。



「なに。やっとその冗談がつまらないって気づいたの?」

「この高尚な冗談がわからないなんて、君もセンスがない。そうじゃなくて、そんな顔をするぐらいなら素直になればいいのになって思ったんだよ」



 そんな顔。どんな顔?


 母の顔なら、わかる。だって、いつもどこか哀しそうに笑っていて、それが私の病気のせいだとわかっているから。

 けれど、私? 私がどんな顔をしているというのだ。


 そこまで考えたところで、どうでもいいと首を振る。

 こんな存在すら怪しい死神の言うことを聞くなんて、私も大分参っているらしい。



「…………ん、どこ行くの?」

「飲み物買いに。水でもいいけど、ジュースが飲みたくなって」

「看護師さんの許可はいいの?」

「みんな目を盗んで買っているから、今更よ」



 ベッドから立ち上がり、近くにあった車いすを引き寄せようと手を伸ばす。

 すると隣にいた死神がすっとそれをベッドに寄せてきて、私は思わず目を瞬いた。



「…………ありがとう」

「どういたしまして。さっ、いこ。歩きながら昨日の『願い事』について話すよ」



 車いすに乗り、病室を出て廊下を進んでいく。

 やはりというべきか、奇怪な格好をしている死神には誰も目を向けなくて、やっぱり何かの冗談の類ではなさそうだと息をついた。

 まあでも、他の人にも見えるのなら、こんな奴と一緒に歩きたくない。いや見えなくても嫌だけれど。


 そこまで考え、自動販売機の前についたところに気づく。

 私がポケットから財布を取り出しジュースを吟味していると、隣から不意に声がした。



「それで、僕たち死神について。僕たちは死ぬ一週間前の人たちの前に現れて魂を回収するって言ったよね」



 一人で話していると思われないようただ小さく頷き、決めたドリンクのボタンを押す。

 そんな私の反応を見て、「それで、死神はどういうものかというと」と話を続けた。



「―—――実は、僕たち死神は、君と同じ人間なんだ」



 頼んだココアの缶が落ちた鈍い音が、長い廊下に大きく響いた。







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