第12話「王女達」

 アデリアスとグレンがテトルクに到着する数日前の夜、ヒュームとタスクは共に静かな時間を過ごしていた。幼い頃から姉妹のように育った二人は、姫と騎士という鎧を外せば、家族のようなものだ。

 ミルスから隠された手記の話を聞いて、ヒュームはひとつ決断をしなければならなかった。これまでテトルクの中でも極秘裏に進んでいた調査団だったが、ようやく大陸神の尻尾が見え始めた。しかし、このままオルドラン教の真実を公にするには、あまりにもリスクが大きかった。

 これまで信じ続けていたものが、魔物襲撃の真の原因だったなどとどうして信じられるだろう。下手をすれば暴動が起きる。それほどまでにオルドラン教は東西で浸透し過ぎていた。

 王女や司祭が国教を偽りだと叫べば、立場は一瞬で変わり反逆者として追われる可能性も高い。場合によっては混乱に乗じて第三勢力が現れるなどの危険もある。表立っては動けない。


「……私の立場は、おそらく足枷になる。あの時タスクは怒ってくれたけど、父上の願いは今の私には好都合ですね」

「ヒューム様……」


 ヒュームは笑みを浮かべて語る。どこか、遠い目をして。


「タスク。私はずっと貴方に支えられてきました。貴方が私の騎士になってくれたから、ここまで来れたのです」

「いえ……それは私の台詞ですよ」


 二人の瞼の裏に、遠い記憶が映し出される。




  ◇◆◇◆◇◆




「今日からお前の友人として、共にテトルクで生活するタスクだ。仲良くするのだぞ、ヒューム」

「はい!」


 ヒュームの頭を撫でる熊獣人の男は、ヒュームの父でありテトルクの王。彼に連れられてテトルク城にやってきたのは、鳥獣人の女の子だった。ヒュームより四歳年上で、もう一人の姉ができたようで嬉しかったヒュームは随分タスクに懐いた。

 対してタスクはというと、無口で表情があまり変わらず、かといってヒュームを邪険にするわけでもなく、ただ静かだった。

 ヒュームには、何故タスクが友人としてやってきたのか全くわからなかった。けれど、それでも良かった。忙しい父と母、そして次代の王として厳しい教育を受ける第一王女に迷惑をかけたくはないが、ずっと寂しかったから。

 タスクもまた、周りの臣下達に何を言われようとも、ただヒュームの側にいた。鳥のヒナのようにちょこちょことついてくるヒュームをかわいがってさえいた。

 出会いから何年も経ったある時、二人が城内を歩いていると他の騎士達の話し声が聞こえてきた。嫌な予感がして、ヒュームとタスクは柱の陰に隠れて息を潜める。案の定彼らの話題は二人のことだった。


「王はヒューム様をどうなされるおつもりだろうか。よもやニバルメンに嫁がせるつもりでは」

「けど、前に連れてきたあのタスクとかいう奴、あれはニバルメンから人質として送られてきた元王女らしいって噂だぞ。それならわざわざ向こうに渡す必要ないだろ」

「元? 何やったら王族から離脱させられるんだよ」

「さぁ……よっぽどのことなんじゃないか?」


 おっかねぇ、と笑い合う騎士達から目を逸らし、爪が手のひらに食い込むほど握りしめていたタスクの姿を、ヒュームは今でも忘れることはない。

 騎士達をやり過ごし、ヒュームの手を引いて彼女の部屋に戻ってきてすぐに、タスクはポツリと声を絞り出した。


「申し訳ありません、嫌な気分にさせてしまって」

「そんなこと……貴方が悪いわけではないのに」


 ヒュームからすれば自国の騎士達が、大事な友人に対して謂れのない陰口を言っているのだ。謝るべきは自分の方だ、と涙を浮かべる。

 タスクがニバルメンからテトルクに来た理由を、ヒュームは知らなかった。タスクもまた、語ることをしなかった。


「いいのです、姫様。私は私自身が潔白だと知っています。そして、私を信じてくれる貴方がいる。それだけでじゅうぶんです」

「でも」

「……そういえば、心に決めたことがあるのです。聞いていただけますか?」


 ヒュームをベッドに腰掛けさせると、タスクは膝を折って頭を垂れた。驚いて固まったヒュームの顔をゆっくりと見上げながら、意思を秘めた瞳で告げる。


「私は、この国で騎士になろうと思います。貴方を守るために」


 幼いヒュームが心の支えになっていたことを、タスクはひしひしと感じていた。どんなに平和に見えても、目立たない場所で良からぬことを企む者がいることもわかっていた。それなら、自分も大切な人も守れるだけの強さを得たいのだと願った。

 それからタスクは、自分に降りかかる悪意を正面から払い落としていった。腕一本で自分への印象を変えた。テトルク騎士団最強と言われた騎士すらも、彼女には敵わなかった。

 テトルク王は大層喜んで、タスクをヒュームの護衛騎士に任命した。タスクの陰口を言うものなど、もう誰もいなかった。


 それからしばらく経った頃、二人は王の私室に呼び出された。いったい何の話だろうと部屋を訪れると、王の他に東オルドラン教の司祭ミルスもそこにいた。


「急に呼び出してすまなかったな。お前達三人に伝えなければならないことがある」


 王から告げられた言葉。それは、大陸の西側にあるローゼル大森林が突如として滅びたということだった。東側のテトルクには、直接的な関係があるわけではない。しかし、ルド砂漠が滅びた時も王位に就いており、滅亡を止められず、助けられなかった多くの命のことを想った王は、西側の話とはいえ他人事ではないのだと三人に話した。


「我らテトルクもニバルメンも、いつ同じ滅びの道を辿るかもわからぬ。魔物も数を増す一方。大地の均衡は既に偏り、もはや大陸神は我ら大陸の民を守らぬ。しかし、大陸神が守らぬならば、余はテトルクの民だけでも守る責務がある」


 王はヒューム、タスク、ミルスの顔を順番に見る。


「ニバルメンがどう動くかはわからぬが、だからといってこのまま手をこまねいていても状況は変わるまい。そこで、お前達だ。お前達には大陸神について調査を行ってもらいたい。無論、内密にだ」

「私たちが……ですか……?」


 動揺を見せるヒュームに、王は少し躊躇いながら言葉を紡いだ。


「ヒュームよ。幼き頃からお前を見てやらず、イルシュばかりにつきっきりだったこと、今更謝っても許してもらえようもない。だが、タスクが来てからのお前は眩しいほどに明るくなった。余の側よりも、テトルクよりも、お前が輝く場があると感じる。身勝手な願いだとは百も承知だが、時が来ればお前は大陸神に縛られずに生きよ」

「王……! ヒューム様のお気持ちのひとつも知らず! そのようなことを……!」

「タスク、待って!」


 王の言葉はヒュームを気遣うようでいて、テトルクからの追放宣言に等しい。怒りを抑えられなくなったタスクが、王に対して彼女にとっての剣である杖を手に取った。ヒュームが慌てて間に入り、タスクの手を掴む。


「良い。タスクはヒュームの騎士だ。ヒュームを守るために剣を手に取り余に向けるのなら、それは称賛されて然るべきだ」


 王はタスクの行動を褒めるばかりか、不敵に笑った。タスクは杖を握りしめたまま王の様子を窺う。


「本来はお前達二人が対等な立場であるべきなのだが、お前たち自身が望む姿なのが良いのだろうな」

「対等……?」


 王はタスクに向かってそう言った。ヒュームはその意味がわからずに呟く。王の代わりに、今まで静観していたミルスがヒュームの疑問に答えた。


「タスク殿はニバルメンの第一王女でした。私が西オルドラン教の司祭との会合へと向かった際、ニバルメン内での派閥争いからタスク殿を遠ざけるために、ニバルメン王が追放という形で私に託してくださったのです。おそらく、ヒューム様はご存じなかったかもしれません」


 ヒュームが慌ててタスクの顔を見れば、タスクは申し訳ありません、と言って目を伏せた。タスクが対等の立場を望まなかったから、あえて言う必要もなかった。第一、いくら戦争が数百年前だったとはいえども、テトルク城内で自分がニバルメン王女だと明かした上で大手を振って歩けるとは思っていなかった。


「西オルドラン教の協力も取りつけたかったが、今は叶うまい。ミルスには次の司祭の選出を依頼しておく」

「承知しました」


 ミルスは恭しく一礼をした。戸惑いを隠せないヒュームと、今にも飛び出してきそうなタスクを見やって、王は言った。


「余に限らず、年老いた者達は過去に縛られておる。少しずつ死の足音が聞こえてくる。だが次代を作るのは若人達だ。その時にはテトルクもニバルメンもなく、過去の遺恨を乗り越えた国を作り上げよ」


 その後、王直属の騎士の息子が調査団に加わった。王が気遣って指示したらしい。




  ◇◆◇◆◇◆




「実はね、タスク。私、姉上がいらっしゃる以上姉上がテトルクの王位を継ぐのだから、じゃあ私の存在意義ってなんだろうって考えていたんです。だからむしろ、父上が王族を抜ける選択肢を与えてくれたことに感謝しているのですよ」


 それに王は「時が来れば」と言った。その必要があるまでは、王族としての権限を活用して良いということだ。おかげで半年近く調査に専念できたのだから。グレンが持っていた大山脈の通行証も、ヒュームが王に用意してもらったものだった。


「タスクこそ、ニバルメンに行かなくて良いのですか?」

「いいえヒューム様。たとえ離れることになっても、今までもこれからも、私の故郷がテトルクです」 


 ヒュームに問われたタスクは、そう言って力強く笑顔を見せた。

 そして数日後、遂にその「時」はやってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る